困った時はまず落ち着くことが大切です。

 そんな二郎の様を、横目で以蔵は見つめていた。


「おい、そこの」


 呼びかけられ、二郎は憎しみの篭った視線を以蔵にぶつける。だが以蔵は気にもせず続ける。


「どうして貴様、信忠を知っている」

「信、忠……?」

「まあいい、後でゆっくりと聞こう。信忠と同時期に来た奴は全員捕まえた。一人ひとりに話を聞けばいいだけだ」


 以蔵のこの言葉だけでも、判断できることは大量にある。相手がこちらの状況を把握しきっていないこと。他にも、多分関係ない人間まで捕縛されているだろうこと。伯が何かの立場であるということ。

 だが今の二郎には届かない。怒りと混乱と、そしてかつての光景が脳の奥にちらつく今の状況では、彼に冷静な判断をしろというのも無理な話だった。


「さあ竜馬さん、一緒に戻ろう」

「…………これ以上、学校の人間を殺すのはやめろ……そうしたら、戻る」

「分かった。竜馬さん、分かってくれれば良いんだ。よし、お前ら……」


 そう言って以蔵が片手を軽く上げようとし、しかし、その手は瞬時に『消失した』。射撃音と共に。肉片が飛び、千切れた手首から血があふれる。もう一度銃声、今度は頭。以蔵の頭部が上半分吹き飛んで、何かを語ろうとした口は下顎だけ残して消えてしまった。

 目の前で起こった突然の死。理事長は銃声の方へ顔を向ける。そこにはまた別の、見知った顔が居た。


「歳三、貴様……!」

「懐かしいな。相変わらず、貴様は腑抜けたことばかり言ってやがる。二十五年前と変わらず」


 理事長とさほど変わらぬ歳であろう男。以蔵を殺害したのは彼だ。スピーカーから聞こえてきた声も、この男のものだった。


「どうして以蔵まで殺した、仲間だろうに!」

「仲間? この腑抜けた野郎が仲間だと? 竜馬は本当に相変わらず、間の抜けた事しか言わんな」


 重量のありそうな銃火器を構え、昏い銃口を理事長へと向ける歳三。


「裏切り者は殺す。それだけだ。貴様もそうだ、貴様のような奴が居るから、腑抜けた空気が伝染るんだ。昔から目障りだったんだよ竜馬……最初から殺しておけばよかったんだ。何が戦力の補填だ、十傑だけで十分だろうが!」


 漏れ出る本音。歳三の目には憎しみと、そして本人も気付かぬ嫉妬が混ざっている。


「どうせ、俺達を襲っているのも貴様の仕業だろう! だからさっさと殺せと、俺は何度も言い続けてきたんだ! 貴様さえ居なければ……!」


 トリガーに指が掛かる。明確に向けられる殺意、死の予感が背筋を走って、全身を恐怖の不快感で満たす。質量を伴っているのかと思うほどの実感があった。ざらりとした感触が。


 だが、そんな感触も意識も、別の要素に吹き飛ばされた。

 閉鎖された体育館の外、校庭と外を隔てるガラス壁がある辺り。そこから、とんでもない大きさの爆音が聞こえてきたのだ。体育館の中にいる全員がそちらを見た。分厚い体育館の扉が揺れていた。


「……もう一丁」


 誰も居ない外。何者かが小さく呟きながら、弾頭をランチャーの頭に差し込む。迷わず体育館の扉へとそいつを向け、躊躇いもなくぶっ放した。強烈なバックブラストが先程壊したガラスの破片を背後へと吹き飛ばす。

 当然のことながら、体育館の扉は吹き飛んだ。扉の付近にいた戦闘要員達もだ。その辺りに生徒や職員はおらず、巻き添えを食ったものはいない。

 青い顔で扉の方を見つめるのは、敵味方とも同じだった。唐突な出来事に全員が呆然とする。突き刺さる多数の視線。その先にいたのは、白衣を翻して仁王立ちする女。背中や肩に大量の荷物を持ち、殺意を丸出しにして、舞い上がる埃や瓦礫を物ともせず。

 女は走り出した。とは言えど、あまり素早くとは行かない。何せ荷物が多すぎる。虚を突いたからこその移動である。向かう先は、体育館の脇にあるテラス部分。階段を駆け上り、一度影に隠れてからサブマシンガンを撃つ。一瞬だが応戦が遅れた奴等が、ばらまかれる銃弾の餌食になった。


「もひとつオマケだ、受け取って!」


 弾頭を使い切ってしまったため、無用の長物になったランチャーを下に向かってぶん投げる。蜘蛛の子を散らすように武装集団が避け、その間に体育館のステージ側まで駆け抜ける。勿論、撃ちながらだ。転げ落ちるように階段を降りステージの下手へと抜けると、隅に寄せられた緞帳の裏から呼びかけた。


「理事長、これ!」


 肩に掛けたものをステージの床に置き、思い切り理事長に向かって滑らせる。重量のあるそいつは真っ直ぐに理事長の元へ。ステージ際に立っていた理事長は、条件反射のように受け取った。

 蛙鳴雨月と名付けられた、一振りの太刀。受け取ったは良いがやはり戸惑い、理事長はステージ奥を見る。


「坂木先生……」

「嘘ついても駄目ですよ。それ、使ってたやつでしょ?」


 久しぶりに握ったそいつは、昔と同じように手に馴染む。


「刀身見れば分かりますって。そいつは、そこそこ近年まで使われてたもんだ。そうでしょう? 理事長」


 喋りながらサブマシンガンで応戦を続ける保険医の坂木先生、すなわちみどりを戸惑いがちに見つめて、理事長はどう言葉をかけてよいのか着地点を見失った。


「……理事長。ごめんなさい」


 打ち尽くしたサブマシンガンを捨て、今度は腰の後ろからオートを取り出して撃ちながら、みどりの表情は変わらないままだった。それでも、声色は沈んでいる。それは、これから告げること、これから行うことへの罪悪感のようなものであるのか。


「この状況、利用させてもらいます」


 状況が状況だけに言葉な少ない。だが、理事長はみどりの言わんとする事を理解した。


「分かった。坂木先生、お気を付けて」

「ありがとうございます。理事長も……」


 その後の具体的な言葉を、みどりは言うことができなかった。言いたかったのに。

 緞帳から飛び出す。みどりに歳三が銃口を向けるが、横から何かが飛んできて動きが止まった。何か、とは、物体ではなかった。質量があるかと錯覚するほどの殺意。理事長……いや、竜馬とかつて呼ばれた男が、己の太刀を手に取り鞘から引き抜いた。ただそれだけであったのに、殺傷能力の向上、それ自体が殺意として変換され叩き付けられる。そいつは、皮膚感覚として歳三を襲った。


「……歳三」


 もう隠す必要はない。隠している場合ではない。彼は竜馬へと戻っていた。十鬼懸組最強の武闘派であった男へと。


「そいつを、抜いたか。竜馬」

「ああ、抜いたさ」


 鞘をかなぐり捨てる。歳三の背筋を、寒気が走った。



 一方みどりはと言うと、戦闘要員達へ容赦なく銃弾を浴びせながら真っ直ぐに走っていた。向かう先は人の山。そう、顔だけ出した二郎が押し潰されている場所だ。到達するとすぐに、薬の売人に言われたことを忠実に実行しているのであろう生徒を蹴り飛ばし、引き剥がし、放り投げて叫ぶ。


「二郎くん、脱出するよ!」


 残り二人となった時点で二郎自ら跳ね除け、勢い良く立ち上がる。足元に女子生徒が縋り付く。


「伯くんどこ行った、分か……」

「敵に連れて行かれた!」

「何ィ?」


 顔を見もせずに返事だけで、みどりはひたすら応戦。肩に掛けた荷物を下ろしながら、これまた二郎を見もせずに渡す。が、二郎は受け取らなかった。彼の武器であるというのに。


「みどりさん、今すぐに追いかけないと!」

「すぐって、この状況でか!」


 いくらみどりがある程度人数を減らしたとは言え、限界というものがある。応戦が精一杯と言った感だ。


「二郎くんそりゃ無理だ、一旦立て直してから……」

「そんな暇はない!」


 ここでようやく、みどりは二郎の顔を見た。焦りに焼かれて、状況を見失っている顔だった。ああそうか、そうだ、彼は。


「早く行かないとみどりさん、伯が!」

「脱出が先だ、落ち着いて考えて二郎くん」

「でも、伯が、伯が……このままじゃ、あいつが、あの時みたいに……!」


 みどりの腕を掴む二郎。縋るように、詰るように。彼の泣き出しそうな瞳に気付いていながら、それでも咄嗟に振りほどくみどり。そのまま彼女は二郎に向かって拳を振り上げ、思い切り殴りつけた。


「落ち着け、兎塚二郎! 本当に助けたい人間が居るのなら、どうするべきか考えろ! さもないと全て失うぞ!」


 鳴り響くレクイエムと銃声と悲鳴の中、みどりの叫びは二郎へと届く。かつて、ここではない場所で、みどりではない人物が叫んだものと全く同じ言葉。一字一句、違わずに。今はもう居ない医師。彼女の夫であった男。いや、夫であったのかどうかは分からない。ただ知っているのは、既に失われた彼女の半身であるということだけ。消えかけていた二郎の命を救った男であったということだけ。


 殴られた頬が痛い。その痛みが、二郎の意識を現実へと引っ張り上げた。


「……みどり、さん」

「行こう」


 ボストンバッグと大きなハードケースを差し出すみどり。今度こそ受け取って、二郎は顔を上げた。


「表玄関の前に私の車が停めてあるから」

「了解」


 ボストンバッグから自動拳銃を取り出す。この状況下でいつもの長物を取り回すのは困難だと判断したからだ。みどりも使っていた拳銃を腰の後ろに収め、両脇から二丁の得物を取り出し、吠えた。


「テメェら、死にたくなけりゃ道を開けな!」


 宣言すると同時に、二郎の足にいつまでもしがみついている女子生徒を蹴り飛ばす。「ぎゃん」と犬のような声を上げて離れた途端に、まず二郎が走り出した。彼を止めようとした他の生徒をさらに蹴り飛ばし、みどりも走る。手にした二丁拳銃、今持っているのは両方とも九ミリ仕様であるので、弾丸数はダブルカラムマガジンにぎっちり詰まった十五発と一発が二つ分。そいつを惜しみなく撃ちまくりながら。

 先を走る二郎は行く手を阻む黒ずくめの顔面に、狙撃銃の入ったハードケースの角をぶつけた。ゴーグルが割れて、破片が顔に刺さる。

 走る。走る。走る。背後の敵を屠るべく振り向きはするが、止まらずに。遠くなってゆく理事長の戦う姿、混乱の坩堝の中で戸惑い恐慌状態に陥る生徒達、生徒を守ろうと立ちはだかる教師陣、それら全てを置き去りにして。


 体育館を出る直前に、一瞬だけ二人は理事長を見た。轟音と化した死者のための音楽の隙間から僅かに「行け」と声が聞こえて、剣戟の中に掠れていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る