だけど色々と苦労もあります。
英治は矢継ぎ早に指示を出し始める。ここからは時間との勝負だ。一分一秒が惜しい。時間を費やすほど、こちら側の「体力」は失われるだけなのだから。
「菊之丞、お前さん、自分の車に火薬どんだけ積んできた?」
「前に積んだままの量だから……」
「よし、それ全部出せ。鉄男、お前も貴士と一緒に社用車戻って、積んである火薬類全部出してこい。二郎、全体の間取り図はあるか?」
「あるぞ……ああ、そういうことか」
「分かってもらえたなら良し。違法建築繰り返して建て増ししまくった家屋だ、ポイントはいくらでもあるだろ。二郎は三人を誘導、設置し終えたら俺達に教えてくれ」
ここまで全く名を呼ばれなかった保が、隣の英治に対し直に視線をぶつける。
「ねぇ英治ちゃん、あのぅ、俺らは何すんの……?」
「保ぅ、分かるだろ? 言葉にしないと駄目なら言ってやろうなあ」
「嫌だ! ねえ英治ちゃん、俺やだぁ聞きたくない!」
「千鶴の足止めだよ、設置し終えるまでの!」
「やっぱりね! 聞きたくなかった!」
今更耳を塞いでももう遅い。いやだいやだと頭を振る保の首根っこを捕まえて、英治は走り出す。
「おい二郎、千鶴の居場所教えろ」
「そのままずっと直進、突き当りを右。そこまで行けば嫌でもエンゲージする」
「やぁだぁあー……」
「諦めろ保、ハイクを詠む準備しておけ」
「俺ニンジャじゃないもん!」
泣き言を言いながらも二人は全速力で走り、死体が転がる廊下を突き進んで突き当りを右折する。曲がった瞬間、ドアを開ける音が聞こえた。
正面に目を向ける。開いたドアから現れたのは、返り血を浴びた千鶴であった。
「……ああ、英治と、保か」
両手に持っていた銃火器を床に捨てる。もう弾は尽きてしまったのだろう。ふわりと微笑む千鶴の顔は、表情だけなら穏やかなものであった。
「丁度いいところに居た。少しでいいから、俺と遊んでくれないか?」
「まあ、そのつもりで来たからな」
「嬉しいな。いつもなら相手してくれないだろ、お前ら」
「ぶっちゃけ今も相手にしたくないよ」
あはは、と笑う保の声は軽いが、既にいつでも飛びかかれるよう態勢を整えている。その姿勢は言葉よりよほど雄弁だ。故に、千鶴は笑った。笑って、誰よりも早く襲い掛かった。
保の意識がそちらに向いた瞬間には既に、千鶴は目の前にまで接近していた。いや、保が認識したのは翻る黒いコートと、こちらの目を潰そうと伸ばされた指。咄嗟に斜め横へ身を引いた。ぎりぎり間に合った。千鶴の爪が瞼を掠めた。
「でもまあ、しょーがないよね!」
背後に回り込む。一見すればガラ空きの背中。だが、千鶴の速さは常軌を逸している。それが分かっているので、保は背中を狙うのをやめにした。
身を沈める。ほぼ床に座るくらいまで低くなった体勢から低位置の蹴りが飛ぶが、千鶴は片足を引いて回避する。十分な速さと死角からの奇襲という二重の条件を満たしているのに、それでも千鶴は当たり前のように避けた。
だが、まだだ。振り抜いた足の勢いのまま身を返す、片手を床について、体を上に伸ばす。伸ばした足の踵が綺麗に千鶴の顎を捕らえた。
いつもの保であればそのまま二撃目をもう片足で入れていただろう。だが、彼はそれをしなかった。理由は単純。足を掴まれそうになったから。慌てて飛び退き、十分な距離を取る。
「さっすが千鶴ちゃん、ビクともしねえ」
普通なら顎に蹴り上げを食らった時点で吹っ飛ばされる。多少なりともよろけるくらいはする。だが、それがない。何故なら、千鶴は適度に衝撃を逃しているから。しかも、攻撃を受けた瞬間に判断し、実行するまでのタイムラグが極端に少ないのだ。
その気になれば彼自身のパワーで捻じ伏せ、衝撃を堪えることも可能だろう。しかしこの一連の流れはほぼ無意識下で行われており、息を吸うのと同じくらいの気軽さである。そうそう崩れるものではない。
振り向いた千鶴と目が合う。やはり、その視線を浴びる度に背筋が寒くなる。死というものを、触れ得る範囲で感じるからだ。色んなものが一切絡まない、結果としての死。当然の帰結としての終焉。死を体現する者。
それでも一歩を踏み出した保であったが、二歩目は出なかった。保や千鶴よりも早く動いた者がいたからだ。そんな人物はこの場にたったひとり。英治だ。
彼はずっと、視線が保の方へ向くその瞬間を狙っていたのだ。意識が僅かでも自分から逸れる一瞬を。
千鶴の懐に入り込む。至近距離だ。少し腰を沈め、右肩から入る。左手で千鶴の右腕を取る。この時点で捉えられた右腕は極められた状態である。そのまま、英治は背負投の要領で千鶴を床へと投げ落としたのだ。ここまで僅か数瞬の出来事、瞬きすらできぬうちの出来事であった。
所謂、逆一本背負い。千鶴は頭から床に叩き付けられた。畳の上などではない、硬い床。衝突の際に耳を覆いたくなるような音。
これもまた通常ならばただでは済まない。下手を打てば死ぬ。頭蓋骨損傷か頚椎損傷、右腕複雑骨折、肘関節及び右肩損傷……。
実際、叩き付けられた千鶴はすぐには立ち上がらなかった。
「……どうだ」
保と同じく距離を取った英治が、誰にともなく呟く。普通なら為す術もない。普通なら、だ。まともに受け身を取ることもできず、痛みと衝撃に体は動かなくなるはずだ。生きているのならば。
だが、千鶴はゆっくりと立ち上がった。床に手をつき、上半身を持ち上げ、膝を立てて、ゆっくりと、体を起こした。
ガラ空きの背中に、二人とも追撃を入れることはできなかった。気圧されたからというのもある。それ以上に、追撃後にやってくるであろうカウンターを容易に連想できたからだ。
千鶴は振り向いた。叩き付けられた頭頂部から血を流して、顔は赤く染まっていた。
「楽しいな」
千鶴は、笑っていた。心の底から、楽しそうに。
「続きをしよう」
そもそも、どのタイミングで受け身を取っていたのか。せめて肘関節くらいは壊せればいいなと思って放った技であったのに、右腕に損傷の様子は見当たらない。流血沙汰になっている頭部だって、どれほどのダメージが与えられているのか……
「ねえ英治ちゃん、俺、逃げてもいい?」
「駄目。お前にもさっきの仕掛けるぞ」
「ヤダそれ何それ絶対死んじゃう」
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