朝礼の間は私語を慎みましょう。

「……くん……ふぶきくん……」


 誰かが名前を呼んでいる。


「んー……もうちょっと寝かせて……」

「吹雪くん、起きて! もう勤務時間になるよ!」


 勤務、という言葉に意識が引っ張られた。


「……勤務!」

「はい起きた、おはよう」


 ニコニコ笑う社長の顔。結構近い。慌てて飛び起きなくて良かった、と吹雪は胸を撫で下ろした。もしそのまま上半身を起こしていたら、下手すりゃ社長と正面衝突していたかもしれない。この至近距離で正面衝突ということは即ちアレだ。アレったらアレだ。駄目だ駄目だ、そんなのいけない。


 とりあえず、自分の置かれた状況を把握しよう。場所は会社の事務所、応接スペースに置いてあるソファーの上、だと思う。確かに窓から差し込む光は朝だ。雀だってチュンチュン鳴いている。

 制服は着たまま。即ち、昨日のままだ。そう、昨日……

 血の気が引いた。


「しゃ、社長!」

「はい、なんでしょうか吹雪くん」


 いけない、とか考えておきながら結局はバネ仕掛けのように跳ね起きた。社長はと言えば、簡単に避けてみせたのだが。


「あ、あの、俺……クビ、ですか……?」

「なんで?」

「へ?」


 予想の斜め上を飛んでいった社長の言葉。吹雪は口を半開きにしたまま、間抜け面で社長を見つめる。


「なんで吹雪くんをクビにせにゃならんのよ」

「い、いや、だって」

「昨日のことを言いたいのかな?」


 口調は軽いが、社長の目はふと鋭くなって、吹雪の背筋を冷やす。射竦められた様子に気付き、社長は軽く溜息をついて笑う。


「そんなに緊張しなさんなって」


 ぽんぽんと頭を軽く叩く。萎れた吹雪はまるで捨てられた子犬のようだ。


「そうだなぁ……私としては、最低でも昨日の損失分を補填してもらうまで、居てもらわないと困るのよね。吹雪くんが今すぐにでもここを辞めたいって言うなら、まあ考えなくもないけれど」

「あっ、え、いや、その」

「考えるだけであって、辞表を受理するとは言ってないから気を付けなさいよ?」


 ふふ、と笑って社長は立ち上がった。


「さ、働きますよ。あ、吹雪くん朝ごはん食べてないか。朝礼終わったらコンビニ行っておいで」


 事務所のドアが開いて、ぞろぞろと社員達が入ってくる。「はよー」だとか「ざいまーす」だとか、これまた適当な挨拶。その中に、いつもよりさらに頭をぼさぼさにした鉄男もいた。


「鉄男くんも朝ごはん食べてないでしょう。吹雪くんと一緒にコンビニ行ってきなさい」

「そこで『私が何か作ってあげるから』とか無いのーシャッチョサーン」

「自分と子供の弁当作って疲労困憊。今日は子供の社会科見学の日なのだ」

「じゃあみどりさんヨロシクゥ!」

「……俺のメシは高いぜ?」


 みどりが宇宙海賊ばりのニヒルな笑みで返す。いつもの朝だ。


「ヒューッ! あ、そうだ、高いで思い出した。おい吹雪ぃ」

「さんを付けろよデコ助野郎ォオォオ!」

「酒代よこせやゴルァ」

「……はぁあああああ?」

「お前飲んだだろ! あれ俺のなんだからな? ちゃんと代金は支払えよ」

「ざっけんなテメェ、金取るとかひとっことも言わなかったじゃねえかよ!」

「言えるような空気だったか? アァン? お前がどんなツラしてたか、この場で高らかに語ってもよろしいですかな?」

「み、見てたんじゃねぇか! 見るなっつったろ!」


 思わず繰り出す拳。ひょいと躱す鉄男。


「お前、避けるんじゃねぇよ!」

「えー、俺さあ、女優だから顔は大事にしたいのよねぇー女優ってか美少女?」

「誰が美少女なんじゃい!」

「俺」


 今度は見事なストレートが入った。拳は綺麗に顎を捕らえ、ヒットした箇所から鉄男は吹っ飛んでいった。吹っ飛んだ先には何人かの社員が居たのだが、全員避ける。受け止めようなんて人間は存在しない。まるでモーゼが海を割ったかの如くだ。


「おぅ吹雪ィ! テメェやろうってのかァ?」

「やるもクソもへったくれもねえ! 最初っから俺はお前をブッ殺すっつってんだろうが!」

「やれるもんならやってみろってんだ! その前に俺が老衰で死ぬだろうけどな!」

「ざっけんなオラアアアアアアア!!」


 取っ組み合いを始める二人を微妙に避けて、残りの社員達は横一列に並んだ。社長も二人を無視してホワイトボードの前に立つ。


「はい、朝礼を始めますよ。おはようございます」

「おはようございます!」

「今日は現金輸送が三件、要人護衛が二件。あとは何かあったっけ禅くん」

「イベント会場の警備に関する打ち合わせが予定されていますが、キャンセルの可能性があります」


 何事もないように朝礼を始めてしまう社長。社員達も同様だ。仕方ない、いつもこの調子なのだから慣れようというものである。

 一応は一般的な意見を言う代表の菊之丞が、貴士を肘でつついて


「おい、止めてやった方がいいんじゃないのか」


 なんて言うものの、


「巻き込まれるからヤダ。菊兄が止めて」


 と、貴士は書類に目を落としたまま返す。菊之丞は勿論動くはずもなく、首を横に振るだけだ。一応言っただけであって、実行などする気がないのはいつものことだ。言葉にするだけ優しいとも言えよう。


 こんな調子で、ここ日々谷警備保障はいつも通りの朝を迎えたのであった。

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