どこへでもお伺いいたします。
私立仙石寺大学付属高等部は、あまり規模の大きな学校ではない。普通の高校程度の生徒数である。スポーツ活動が盛んで、運動系の強豪校というやつだ。
「転校生を紹介するぞ」
クラスの朝礼で担任が告げる。クラスはにわかに色めき立った。古い引き戸を開いて入ってきたのは、少し小柄な男子生徒。随分と緊張しているのが傍目にも分かる。
担任が大きく、転校生の氏名を黒板に書いた。
「あ、えっと、名前の方はにんべんを……」
「すまん、そっちだったか」
白、と書いた横に無理矢理にんべんを書き足して誤魔化す。
「えーと、荒城伯くん、だ。つい先日まで入院生活していたんだが、今日からこのクラスに来ることになった。色々教えてやれよー」
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げる転校生。好奇の視線がいくつも突き刺さるのが頭の天辺あたりで感じられて、少しだけ身じろぎした。
だが、全体の雰囲気はまあ和気藹々としたもので、朝のホームルームがはけた途端に転校生は取り囲まれる形になる。
「あのさ、サッカーに興味ねえ?」
「おいおいおい達也、前置き無しで勧誘すんなって」
「そうだよ、荒城くんて最近まで入院してたんでしょ、だったらそんなサッカー部なんて無茶言わないの」
「最初っから試合やれなんて言ってるわけじゃねえって。ちょっとね、興味があるならね、見学だけでも」
「オメーそれ言うんだったらバレー部だって黙っちゃいられねぇな」
周囲に圧倒され、何も話すことができずにいる転校生。だがお構いなしだ。
「ざっけんな男バレは新しい副顧問来ただろ、贅沢言うな」
「兎塚先生かっこいいよね……!」
「あーやべ、女が食いついてきた、この話題ダメだ」
「アタシさあ、ロン毛の男ってあんまり好きじゃなかったんだけどさ、兎塚先生で意識変わった」
「ッあーわかるーめっちゃわかる、あれはね、もう……ヤバイ……ヤッバイ……」
「え、じゃあ俺も髪伸ばそうかな」
「お前は死ね」
「えぇーなにこの流れーなぁにこれー全否定ー」
転校生がようやく笑って、彼を取り囲む連中も安堵する。和やかに、転校生は迎え入れられた。
その、話題に出た兎塚は数学教師である。先々週に産休の代理としてやってきた。何せ色男なものだから女子に人気がある。その反動で男子からは嫌われそうなものだったが、実際に接してみると男子受けの方が良いという結果に終わった。見た目の割には「女受けを考えていない」タイプだったからだろうか。
「……初速は 八百四十毎秒メートル、この時の外気温を十五度とすると、これは マッハ二・四七一に相当するから……」
黒板に次々と計算式を書いてゆく。兎塚の板書は早い。生徒達が書き終えるまで待ってくれるが、話しながらどんどん書いていってしまうのでつられて焦る生徒もいたりする。
「この動く点P、ある速度で運動している物体に働く空気抵抗は、その物体の速度の二乗に比例する。で、教科書次のページ。中間速度が……」
黒板いっぱいに数式を書いてしまい、兎塚の手が一旦止まる。 ノートへの書き写しを待つため黒板の前から少し離れ、生徒達の様子を見ながら彼は上着ごと腕まくりをした。ふうと息をついて、誰かからの視線を感じて顔を上げると、女子生徒と目が合う。ジェスチャーでノートに書くよう促してやると、女子生徒は顔を赤くしてうつむいた。
保健室の外で、ジャージ姿の教師が二人うずくまって何かをしている。
「何してるんですかー?」
保健室の外に接するガラス引き戸が開いて、新任保険医の坂木が呑気に顔を出した。
「あ、坂木先生も手伝ってよ」
「うっわヤッベ、顔出すんじゃなかった」
「あはは、ひっどいなぁ」
「鉄棒の横にあった看板、描き直してるんですよ」
「あー、なんか鉄棒の回り方の絵がびっちり描いてあったやつ?」
「それそれ。消えちゃってたからさ、いつか描き直さないとって思ってて。で、体育教師と美術教師のタッグですよ」
「今日は陽が出てあったかいから、今のうちにやっちゃおうと」
コンクリートの叩きの上に外した看板を置いて、絵筆片手に格闘中というわけだ。
「で、理事長は何やってるんですか」
「んー、監視!」
うずくまる二人を背後から覗き込んでいたのは、スーツの上にジャージを引っ掛けた理事長である。
「二人がサボらないようにって思って」
「何言ってんですか、理事長は文字書いてくださいよ」
「え、ヤダ」
「ヤダ、じゃなーい。理事長先生が一番文字書くの上手いんだから」
「めんどくさいなぁー」
「一時期、文字書いて生活してたのは誰ですか」
「……はぁい、自分です」
理事長が渋々と手を挙げる。坂木にとっては初耳だ。
「え、何それー?」
「そっか、坂木先生知らないか。理事長先生ね、昔、書道家だったの」
「マジでぇ!」
「卒業証書の文字ね、理事長が書いたやつ印刷してるし、卒業生の名前も理事長が書いてるんだよ」
「そんなん理事長が看板の文字書くしかないじゃん」
「坂木せんせー、そこは私をフォローするところだよぉ」
「あらあらあらあらすみませんね、お給料減らされちゃうかしらん」
軽口を叩きながら、理事長も坂木もうずくまって看板を覗き込む。
「これ、なんだろ……ここ腕だよね」
「左手を? こう? こっちに?」
「多分……もういいや、描いちゃえ」
「理事長は覚えてないんですか、これ」
「いや、全く覚えてない」
「おいおいおい、大丈夫ですか創立者ー」
「二十年前のことなんて覚えてないよぉ。先生方だって覚えてないでしょ」
「……覚えてないわ」
「全く思い出せませんね」
「二十年前ってえっと何歳だったっけ」
「ほらー見ろー覚えてないー」
下らないことを喋りながら、理事長も絵筆を取って文字を書き始めた。確かに上手い。書道家の経歴は伊達ではないということか。
「そうだ、理事長に聞きたいことあったんだ」
「はい何でしょう坂木先生」
「理事長室にある、あの仰々しい刀って言うか太刀は何なんですか。すっごいガラスケースに入ってるやつ」
「あれはね、ここ建てた時に出てきたやつ。前に建ってた蔵の中にあったんだよ。いつか鑑定団に出したい」
「えー、アレそんなに古いもんじゃないですよ」
「ぅえ? そ、そうなの?」
「美術教師ウソツカナイ。結構近代。多分昭和ですね作られたの。ガラスの外から見る分には、ですけど」
「鑑定団ですごい値段つくのが夢だったのに……」
「はい残念、諦めて働きましょうね」
口をとがらせてぶーぶー言う理事長。へらへら笑いながら作業を続ける教師二人。そんな彼等の手を眺めて、坂木は微笑む。
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