脱いだ服をその辺に置くのはやめたほうがいいですね。
しかし、まだまだ。これでは終わらない。カジノパーティ会場で話を聞きつけた鉄男達は、社員全員に連絡を取っていたのだ。次に現れた人物は、背を屈めて「うーさむさむ」などと呟きながらダンスフロアへ入ってきた。
「あー、中はあったけぇなー。やっぱ置いてくれば良かったかなぁー……」
制服のシャツ、スラックス、そこまではいい。だが羽織っているのは上着ではなく、制服として支給されている黒いロングコートでもなく、半纏。もしくはどてらなどと呼称される、アレ。そんな生活感漂う格好でやってきたのは保だ。髪を整える暇がなかったのか気力がなかったのか、珍しく前髪が降りている。
「いいなー、保ぅ、それあったかそう」
逃げ惑う『龍の巣』のメンバーを追い回して喉笛を切り裂いた鉄男が、心底羨ましそうな声を出した。
「あったかいよー」
「なんでどてらなんですか……」
「吹雪きゅんの視線もツッコミもつめたーい。コートが咄嗟に見当たらなくてさ、そういう時ない? 多分どっか適当に置いちゃったんだと思うんだけど……探すのめんどくさいから、部屋で着てるやつ羽織ってきた」
「それ貸して」
「やだ。鉄男絶対これ破く」
「ヤブカナイヨォ」
「やっぱり車の中に置いてくれば良かったなぁ……」
みかんの食べ過ぎですっかり黄色くなった指が、半纏の下から銃を取り出し無慈悲に撃つ。どんな格好をしていたってやることは同じだし、仕事は仕事だ。
そんな黄色くなった指に気付き、吹雪は言葉を失った。英治だってそうだ、明らかにプライベートの格好。業務時間外であるのに、駆け付けたのか。自分の油断が招いた結果だと言うのに。
それに、鉄男は何て言ってた? 他の箇所に襲撃を仕掛ける予定だった、と言ってなかったか? あんな変装までして潜入したのだろうに、それを、中断した?
顔色が青くなる。かなりの大事になってしまっている。いや、この助けがなかったら自分は一体どうなっていたことか。犯されるくらいならまだマシだろう。十中八九、その後は殺されて終わりだ。
どれだけの規模になってしまっているのか。こんなに次々と社員達が現れるとは。
更に、だ。追加で誰かがやってきた。フロア入り口から堂々と、それこそ客のように入ってきた男がいる。
「……吹雪さん……! いるのでしょう? 顔を見せなさい!」
流しっぱなしのドンシャリマシマシな重低音サウンドを切り裂いて聞こえる、怒号。かっちりと制服を着こなし、長い髪もそれはもうきっちりとまとめて整えている。その格好だけで分かる、準備万端だったということが。
社員の何人かが「げ」と呟いた。中には「出た! 小姑!」とまで口走った者もいる。
「誰ですか、今『小姑』と言ったのは!」
「聞こえてんのかよ!」
虚を突いて襲い掛かってきた敵を振り向きざまにブン殴り、飛んできた虫を追い払った程度のテンションで向き直ると、やはり視線は吹雪を探すのだ。
「全く、吹雪さんは本当に反省しているのですか? 同じことを繰り返すなと言ったでしょう!」
「こええー、禅めっちゃこええ」
「聞こえてますよ!」
「ヒイッ」
禅に思い切り睨まれて、睨まれていない社員でさえ身をすくめた。
これだけガミガミと叱っているが、内心で吹雪の暴走を予想していたのだろう。身なりがきちんとしているだけでなく、いつもの保ばりに重装備。それなのに先程の敵を殴ったのは、やはり八つ当たりなのだろうか。だが禅はいつも怒っているので、これが八つ当たりなのか通常運転なのかいまいち分からない。
「あとですね、どうして皆さんは裏口に回らないのですか! ガラガラでしたよ! 何人かさっさと裏口から逃げ出してましたよ!」
「ごめん〜」
「ゴムェン兄ちゃん」
「誰が兄ちゃんですか! 兄になった覚えはありません!」
映画の主人公ばりに撃ちまくりながら、しかし鉄面皮は変わらないまま。
「で、その裏口はどうしたのさ」
「僕が対処しました。車で既に逃げ出した分は、みどりさんが千鶴さんと菊之丞さんを自家用車に乗せて追っています」
「え、みどりさんの自家用車? マジで? 俺そっち行く」
「鉄男さんは何を仰っているのですか? 寝ているのですか? 寝言ですか? まだ眠っているというのなら起こして差し上げましょうか?」
「だってーみどりさんのマイカーだろーエボテンだろー乗りたいー」
「とうの昔に出ていますから、乗るのは無理ですよ。鉄男さんが最初から裏口に回っていれば良かったんです」
「だってさ、貴士のオッサンが正面から行けって」
「俺のせいかよ!」
「実際そうだろ?」
「あと俺はオッサンじゃねえ!」
「うるせえ、オッサンじゃオッサン! 特に今日はオッサンっぽい見た目じゃねぇか」
「渋いって言えや! お前の目玉はビー玉か?」
いつも通りに鉄男と貴士が言い合いを始め、それでもやはり敵は倒し、なんとなく「いつも」の流れになりつつあったが、吹雪はやはり冷や汗をかいたままだった。
みどりまで出てきていた。この場所からは見えないが、誰かが狙撃を行っているということは二郎と、そして伯も来ている。社長以外は全員来ている。
禅が怒り狂っているのも当然だ。最初から分かってはいたのだ。これが失敗したらとんでもないことになる、そんな事くらい分かってた。でも、成功させなければならなかった。結果はどうだ? 失敗して捕まった挙句、こんな事態になっている。
もう取り返しなんてつかない。もう遅い。どうしようもない。命が助かったのはいいことだ、しかしこの落とし前はどうする? どうすればいい?
「手が止まっていますよ吹雪さん!」
禅の鋭い声に、ビクリと体を縮める。
「動く! キリキリ働く! 返事は?」
「は、はい!」
吹雪がもっとも恐れていた話題には触れなかったことに、心の底から安堵している己に気付く。それが余計に彼の恐れを浮き彫りにする。
仕事に専念する、なんてことはできなかった。それができれば、どんなにか楽だったことだろう。
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