日々谷警備保障は今日も順調です。
榊かえる
1)会社概要
今日の出勤は日勤組だけです。
日々谷警備保障の朝は遅い。すっかり日は昇って、人によっては早い昼食を取り始めていてもおかしくはない時間。日によって差異はあるが、基本的には遅い開始がこの会社の常だ。
社員達が次々にドアを開けて事務所へやってくる。眠そうな目をこする者、制服をまともに着ていない者、ポケットにネクタイを突っ込んだままの者、様々。
ホワイトボードが設置されている壁に向かって横一列に並ぶが、仕事のスタートとは思えない程にだらけきっている。
「はい、朝礼始めるよー」
スーツを着た女性が奥の部屋から出てきて号令を掛けると、だらけていた彼等の空気が一挙に引き締まった。全員の姿勢がぴしりと伸びる。
「おはようございます」
「おはようございます!」
女性一人に対し、六人分の大声。警備員の制服をまとった男性五人と、よく見れば隅にもう一人中年の女性がいて、格好から事務員だと分かる。
「さて、今日は積極的介入の仕事だから、みんな頑張って頂戴」
その言葉に、社員達の表情は多かれ少なかれ変化した。喜色を浮かべる者が数名。僅かに反応するだけの者が数名。
そんな彼等を気にも留めず、女性は書類を広げて話を進める。
「今回の積極的介入は地域安全のための制圧です。クライアントは自治体だから、派手にやっちゃっても大丈夫。通報だとかは気にしなくてもよし」
「やった」
黒髪の青年が思わず歓喜の言葉を漏らした。ほうぼうに寝癖がはねたままの髪に、制服はかろうじて上着を羽織っているだけ。スラックスを穿いてはいるがアイロンなど掛かってはいない。上着を脱いでカットソー姿になってしまえばそこら辺にいるオニイチャンになってしまうだろう。
「お前ね、声でかいよ」
「いや、お前だってやったーって言ってたろ」
「そこは聞き逃がせよなぁ」
その隣の青年と小声でつつき合う。黒沢と同い年の彼は
鉄男との肘のつつき合いは戯れているというレベルを超えて、喧嘩寸前のようにも見えた。
「ハイそこ、うるさい。静かに聞きなさい」
スーツの女性がぴしゃりと言い放つ。その言葉の前に何かが風を切る音があって、言葉と同時に何かが二人の頬を掠め、言葉の後には背後の壁に突き刺さるペーパーナイフが二本。
鉄男と貴士は慌てて直立不動の体勢に戻る。ありとあらゆる意味合いで、この女性を怒らせてはならないのだ。
「うあ、渡しちゃうんだ。そこで渡しちゃうんだ」
呻くように呟いたのは顎に無精髭を生やした男。ポケットから適当に突っ込んだネクタイが覗いているのが彼だ。そこにネクタイがあるということは即ち制服もきちんと着ていないわけで、ネクタイ以外はまあ着ているのにどうにもラフな印象が抜けない。
英治の呟きは聞こえてはいたが、日々谷は華麗に無視して話を進める。
「対象は
呼ばれた社員の男性は傍らのデスクから書類を引きずり出すと、眼鏡の位置を直しながら答えた。
「問題ありません。天誠組の幹部から末端に至るまで、本日中に全て本部に集結します。そのように整えました。その上で来ない者は、それはそれで問題ありですので、こちらで監視を行います」
全体的にラフな雰囲気の社員が多い中、彼だけがきちんと制服を崩さず着こなしている。長い髪もきっちりとまとめ、生真面目に受け答えをする姿はそれはそれで「警備会社の警備員」と言うには違和感があった。
「上出来ね。いい仕事よ、禅くん」
褒められた禅はほんの僅かではあるがはにかんだ。その瞬間、隣の中年女性がスマートフォンで写真を撮る。
「ッしゃ! 禅くんのレアショットいただきましたァ! イイヨー! いい顔してるよー!」
「ちょっと、やめて下さいよみどりさん!」
「照れるなよォヘッヘッヘッヘッヘ」
スマホを没収しようとする禅の手からひょいひょいと逃れつつ、撮った画像を社員達に送信してしまう。ふざけきったこのパートタイマーは
「みどりさん、その辺にしといてあげて。さて、今回のお仕事は全員で向かってもらうからね」
さらりと告げたこの言葉に、一人を除く全員が凍りついた。
「全員?!」
「そう、全員」
青くなった顔を見合わせる中、凍りつかなかった最後の一人だけは笑顔を浮かべていた。笑顔と言っても爽やかであるとか朗らかであるとか、そのような類のものではない。あまり良くない笑みと言おうか。歓喜に満ちているのは確かであるのだが、肉食獣のそれである。
「ち、千鶴ちゃんも?」
「そうよ。千鶴くんもよ。全員なんだから」
最後の一人、
上着を着ていないため、制服の紺色のシャツ越しに鍛え上げられた筋肉が窺い知れる。
「ここ最近は要人警護ばかりだったからな。嬉しいよ」
本人は呑気にこう言うが、残りの社員達は青い顔を見合わせて「千鶴さんも?」と小声で呟くばかり。禅だけは少し視線を逸らしながら、
「ぼ、僕は、先日の後処理をしなければならないので現場には行けません」
「テメェ、何抜け駆けしてんだ!」
「抜け駆けではありませんよ鉄男さん! そもそもですね、鉄男さんと、あと貴士さん、貴方達がもう少し配慮していればこうはならなかったんですがねぇ?」
「ぐう……!」
「そこを突かれると痛いな……」
「ですので、五人で頑張って下さい」
「ちょっと、何、五人て、なんで私までカウントしてんの? 事務員まで巻き込まないでよぉ」
「みどりさん行くなら俺いらないよな?」
「英治くん、しれっと逃げようとしてんじゃないよ! アンタ正社員でしょおおおお?」
大騒ぎを始める面々を放置して、千鶴はひとり笑顔のまま。
「俺も随分と嫌われたもんだな」
「仕方ないわよ千鶴くん。自分で分かってるでしょ?」
「ええ、まあ」
そう言いつつも、千鶴も日々谷も笑顔だ。
「に、しても社長。俺みたいな人間を飼っていると、いつまで経っても天下は取れませんよ?」
「天下なんて面倒臭いものはいらないの。現状維持さえできていれば十分よ」
彼女の視線の先にはまだ騒ぎ続けている社員達がいて、確かに社長の言う通りだなと千鶴は納得するのだった。
それに、千鶴は知っている。天下など、この人は既に一度取っているのだ。声高に言わないだけで。
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