イベント会場の警備なども承っております。

 同日、同時刻。

 吹雪が向かう先の近く、即ち都内の、とある建物。ここは十鬼懸組の所有する施設だ。端的に言えば非合法のカジノ。賭けるものは様々で、金から土地、株券、果ては内臓、人権まで。持つもの全てが資金であり、全てが取引可能なものとして扱われる。


 この日は、十鬼懸組のパーティ会場として使用されていた。客人を招いての催しであるため、賭け事もどちらかと言えば接待としての側面が強かった。普段の「商売」とは違い、賭けるものは金銭のみ。それもごく少量だ。彼等から見れば、だが。


 そんな中、人だかりができている箇所がある。ポーカーのゲーム台だ。

 ディーラーは女だった。長い黒髪、白いカッターシャツに黒の燕尾ベスト、黒のタイトスカート。タイは付けておらず、その代わりにはだけた首元から見えるのは幅広のチョーカー。首から鎖骨の辺りまで覆ってしまうような黒のベルベット生地に、大きいブルーサファイアが飾られている。

 すぐ傍らには、一人の男が控えていた。女と同じような白シャツと黒い燕尾ベスト、黒のスラックス。オールバックに整えた髪、柔らかく微笑んでいるが、どこか酷薄にも見える。


 女の、トップコートだけ塗った爪。すらりと伸びる指がカードを切る。周囲の客は、その仕草を息を呑んで見つめた。それほどまでに、洗練されていた。


「よく、連れてくることができたな?」


 客の中のひとりが、隣の男に囁く。


「そりゃあ、努力したからな」

「金を用意することに、か?」

「それ以外に何がある」

「はは、それはそうだな」


 この壮年の男二人は、十鬼懸組の幹部である。

 十鬼懸組はその名が示す通り十人の幹部によって構成される。そのうちの二人が彼等だ。幹部は本名ではなく、歴史上の人物の名で呼ばれるのが通例であった。


「秀吉が呼びたがっていたんだがな、断られたらしい。彼女の熱烈なファンなんだがな、あいつは」

「だからこそ断られたんじゃないのか? ああ、だからここに来ないのか。お前に嫉妬してるんだろうよ」

「いや、まさか」

「秀吉と信玄はとびっきりの馬鹿だからな、仕方あるまい」

「言いすぎだ、義経」

「すまんすまん、家康は優しいな」


 話をしながらも、二人の視線は女の指に釘付けになっていた。


 この女ディーラーは、その名を『ゴースト』という。勿論偽名だ、本名ではなかろう。この界隈では有名人で、どこのカジノオーナーも彼女を呼びたがる。理由は彼女の技術だ。オーナーが望めばいくらでも金を吸い取り、または還元する。そして何も指示がない時は、ひたすら「魅力的な駆け引きを繰り広げる」のだ。相手が誰であろうとどんなレベルだろうと、いつまでも丁々発止の駆け引きを続けられる。周囲の見学客の心理すら巻き込んで、まるでドラマのように。


 また、彼女の謎に包まれた素性も集客要素として働いていた。この女は一言も喋らない。いや、喋ることができないのだ。かつて手玉に取った客が逆上し、彼女の喉を割いたからだという。その際の醜い傷跡を隠すためのチョーカーだ。影のように付き添う傍らの男『バレット』が彼女のアシスタントとして代わりに話し、全ての交渉事を行い、また同時に監視している。


 嘘とも真とも言われる彼女の過去のためなのか、拘束できる時間はいつも曖昧である。早々に切り上げてしまう時もあれば一晩明かす時もあり、意のままに操ることはできない。体調の問題、とバレットという男は嘯く。

 彼が指示する時間を守らずに拘束しようとした者は、今まで少なからず存在した。だが、そのことごとくが失敗している。これまた理由は謎だ。不幸な偶然が重なったり、もしくはズバリ、死んでしまったり。そもそも彼女の時間を確保すること自体が困難である。

 噂が噂を呼び、この「謎の女ディーラー」は人気を博している。彼女を呼ぶこと自体が一つのステータスになり得ると言い換えても良い。



 そして、特筆すべきことがもう一つ。彼女の卓に座っている相手、客もまた御大層なネームバリューの持ち主であった。

 長い髪を一つに束ね、仕立ての良いスーツに身を包む長身の男。サングラスに阻まれて、彼の視線は分からない。


「……あれが、例の?」

「ああ」


 幹部の二人が客の背中を眺めて、更に声をひそめる。


「接触はしたか?」

「いや、まだだ。義経だって知っているだろう? あの『安藤』だぞ、機嫌を損ねでもしたらどうなるか……いくら代理人だとしても、な」

「『安藤』の代理人だからこそ、か」


 資産家『安藤』の名を知らない者はいない。薄暗い界隈なら尚更だ。無尽蔵とも思われるような資金源を持ち、代表の安藤葉月が気に入った相手ならば湯水のように資金の提供を受けることができる、という噂。

 実際はどのようになっているのか分からない。だが、『安藤』の後ろ盾を得ることができたなら潤沢な資金を約束されるのは間違いない。そして、『安藤』が見捨てたのなら未来はない、ということも。

 『安藤』に認められる事自体が一つの指標。この場に『安藤』の代理人を招聘できたことが、第一関門を突破したという証。


 この代理人、名前すら分からない。ただ、きちんと『安藤』へ打心をし、それに応じて来た人間だということは確かだ。

 機嫌を損ねる事だけはしてはならない。慎重に、事を運ばなければならない。そのためにわざわざ金をかき集めて『ゴースト』を呼んだのだ。この機会を最大限に生かさねば……


「すみません、お話が」


 そんな時に限って茶々が入る。部下の一人が息せき切って駆け寄ってきたのだ。


「どうした」

「例の襲撃犯が出ました」


 義経も家康も、眉根を寄せて部下を見た。その威圧感に気圧されながらも、部下は報告を続ける。


「ついさっき、報告があったんです。報告っつうより、救援要請なんですけど……」

「どこに出たんだ」

「『龍の巣』です」

「よし、送り込めるだけ送り込め。叩き潰すんだ」

「分かりました」


 部下が再び駆けて会場を出てゆく。このまま任せておけば良いだろう。

 さて、と卓へと意識を戻せば、まさに状況が動き始めるところであった。『安藤』の代理人がコールを宣言しようとしたところへ、『バレット』が静止を掛けてきたのだ。


「大変申し訳ありません、ここまでとさせて頂きます」


 抑揚のない声でバレットが告げる。こんなところで、と思わず義経が口を開こうとしたが、家康に止められる。「状況を悪化させるだけだ」と小声で叱責され、舌打ちが漏れる。

 だが、代理人は特に機嫌を損ねた様子もなかった。


「分かった。楽しい時間をありがとう」

「恐れ入ります。またの機会がございましたら、是非この『ゴースト』をご指名下さい」

「そうさせてもらうよ」


 ゴーストとバレットは恭しく頭を下げた。バレットがゴーストの手を、まるでやんごと無き身分のエスコートでもするかのように取り、ゴーストはそれを当たり前のように享受する。そしてそのまま、ゆっくりとゴーストは歩いて去ってゆく。傲慢な女王のようにも、儚く弱い姫のようにも見える足取りで。


 血相を変えて代理人へ駆け寄る幹部二人。それに気付き、代理人も席を立つ。


「大変申し訳無い、こんなことになってしまい……」

「いえ、楽しませてもらいましたよ。このような催しがあるのなら、また呼んでいただきたい」


 また、という言葉。サングラス越しの表情は笑顔。二人は胸を撫で下ろした。成功だ、苦労した甲斐があった。


「さて、私もここでお暇します。代表に報告をしなければならないので……」


 笑顔は意味深だ。一体どのように報告されるのか。いや、しかし、今のこの感触ならば大丈夫だろう。代理人から握手を求められ、二人は両手で握り返した。

 彼の背中が会場から完全に見えなくなるまで見送って、ようやっと幹部二人の背中から緊張がなくなる。「ああ」などと溜息まで出る始末だ。


「これは、上手く行ったんじゃないか?」

「そうだな、金を注ぎ込んで良かった……」

「こういうのをやらせたら家康は上手いなぁ」

「義経に褒められるとはな、明日は槍でも降るか?」


 二人の頭からはすっかり襲撃者のことなど忘れ去られていた。どうせ今回で蹴りがつくだろう、と安堵していたからというのもある。安堵した上で呷る酒はとびきり美味かった。

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