日をまたぐ仕事もあります。

 この時、事務所にいなかった連中は勿論仕事に従事していた訳である。


 かつてはきらびやかであったろう、高級ホテルの跡地。大昔に火災が起こってからずっと放置され、ブルーシートがかろうじて掛けられただけの黒く煤けた廃墟。高級車が行き交い、超高級ホテルが乱立するこの地域にあって、そこだけが時間から取り残されたように黒く、淀んでいる。今やすっかりカラスの巣になってしまい、夕暮れになると大量のカラスが空を覆う。

 人々はそれを見ないふりをしてやり過ごす。無かったものとして。ありえないものとして。


 その廃墟の一室。窓際。ただひたすらじっと、待ち続ける二人。二郎と、伯だ。

 ここに張り続けて早三日。この三日間、部屋から出ていない。まあ、部屋と言って良いものかいささか怪しい場所ではある。窓ガラスなどとうの昔に失われて久しく、内部も黒く焦げている、ただの四角い空間だ。ブルーシートと壁だけが外と中を区切る境界線。

 窓際にすっかり焦げて元の色が分からなくなったデスクが置いてあり、その上に、狙撃銃が二丁。横には伯。双眼鏡を覗き込んでいる。

 その後ろに二郎が立っており、ヘッドホンを耳に当てていた。聞いているのはとあるホテルのロビーのやり取り。


「……十二階、一二四二号室。来たぞ、ビンゴだ」


 伯が双眼鏡を慌てて置き、狙撃銃を構える。既に予測されていた部屋だ、迷いが無い。ブルーシートの隙間から見える対象の部屋には既に明かりがついており、人がいた。複数だ。

 伯は構えたまま、二郎は双眼鏡を覗いたまま、動きが止まる。二人とも一二四二号室を見つめている。


「距離、五百二十。風は北東から二メートル」


 二郎の言葉に、伯はスコープの調整ダイヤルを少し動かした。二郎も遅れて銃を手に取る。既に構えている伯の背中から覆い被さるような体勢。

 対象の写真は穴が空くほど見た。禅から渡された資料には動画も含まれており、おかげさまで対象の歩幅まで頭に叩き込んである。その見慣れた顔が部屋に現れる。待ち望んだ相手だ、恋い焦がれた憧れの人がついに姿を見せたような錯覚。


「お前のタイミングでいい。合わせる」


 ごく簡素な言葉。意識がスコープの向こう側へと集中している。そんな二郎に引きずられるように、伯も対象へと意識を割いた。


 豪奢な部屋。複数の男達。交わされているのであろう軽い挨拶。やってきた人物達の中で最も歳を経た男が笑いながら、迎え入れた方の中で最も偉そうな男の背中を軽く叩いた。ソファーへ移動する。先程の二名のみが座り、残りの男達は背後に立ったまま。ソファーへと腰掛けた老齢の男の体が、クッション性の良さで一瞬沈み込む。


 安全装置のロックは外れている。トリガーに指は掛かっている。指の腹に触れる、その硬い感触。指に力を入れる。柔らかな指を押し返すトリガーの硬さが、伯の神経をより研ぎ澄ます。


 男達は前のめりになって何かを話し合っている。ローテーブルの上に置いてある、琥珀色の液体で満たされたグラスが二つ。彼等は各々グラスを手に取り、掲げ、乾杯と口の形が動いて、琥珀の水面が揺れ、グラスの縁が接触する、刹那。


 トリガーを引いた。ほぼタイムラグ無しで二郎も同様に。乾いた喧騒とビル風の中、約五百二十メートルを切り裂いて飛翔する弾丸。窓ガラスを突き抜ける。到達する、ソファーに腰掛けていた人物の背後、向かって右側に立っていた中年男性の眉間と胸郭へ。血の花が背後に二輪咲く。ぐらり、と男の体が揺らいで、倒れた。


 部屋の中は一瞬で恐慌状態に陥る。だが、二郎と伯にとってそれは関係のない話だった。対象をきちんと始末することができた、それだけで良いのだ。対象は己の出自を徹底的に隠して今の組織へ身を置いている。故に、他の連中はどうでも良い。関係がないからだ。殺害するのは指示を受けた人物だけで良い。

 それに、部屋の連中がこちらに気付いても困る。とっととこの場から離れるのが一番の得策であり、当然のことであった。手早く機材を片付け、輸送用のケースに仕舞い込む。


「かなり上出来じゃないか。筋が良い」


 片付け作業をしながら、二郎が言う。伯は撫でられた子犬のように笑う。


「本当ですか?」

「ああ。良かったら、本格的にやってみるか? 僕が教えるよ」

「はい! よろしくお願いします!」


 にこにこと笑う伯を見ていると、どうしても昔の出来事を思い出す。同じ轍を踏むのではないか? と、かつての記憶が己に呼びかける。ちくりと胸を刺す。


「……同じことは、繰り返さないさ」


 声には出さずに呟いて、二郎は荷物を背負った。かつての感触を、思い出しながら。

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