鬼の夜

 竜神家で食事を済ませた一ノ瀬アザトが自宅に戻ろうとすると、一家の面々は表に出て見送ってくれた。


「ご厚意にすっかり甘えてしまいました。このお礼は、必ずや」


「ガキが背伸びすんない。もっと力ぁ抜け」


 深々と低頭するアザトの頭を軽く小突き、竜神ナガレはにやりと笑った。


「また飯食いに来い。ツバキも喜ぶし、勿論おっさんも、ユカリも歓迎するからよ」


 一瞬、ナガレはそう聞いたアザトが笑ったように錯覚した。


 実際は、そう見えるほど顔をゆがめて涙を堪えていただけだったのだが。


「お気持ちだけで……」


 泣き顔を隠すように深々と頭を下げ、アザトは3人に背を向けた。


「遠慮なんて、しなくていいのよ? 一ノ瀬君」


 ユカリの呼びかけに、アザトはどう答えるべきか暫し逡巡し、そして、振り向かないまま、呻くように答えた。


「居心地が、良すぎます」


「それって、いけないことなんですか?」


 アザトの答えに納得しなかったのは、ツバキ。この場にいる4人の中でただ一人、その意味を理解するには若すぎた少女が、アザトの手を掴んだ。


「立ち止まりたくなる。全て投げ出して、甘えてしまいたくなる。そうして生きる意味を見失ってしまったら、俺は……」


 どの面下げて生きていけばいいのか、という続きを言い切ることは、できなかった。ツバキが、前に回り込んで襟首をつかんできたから。


「生きる意味がないなら、生きてることに意味があるって思えばいいじゃないですかぁ! どうして先輩は……自分を軽く投げ出すんですか!」


 アザト以上に涙を流し、食って掛かるように訴えたツバキに、アザトは何も、何一つ言い返すことは出来なかった。



 自宅に戻ったアザトが最初にしたことは、水道の水をコップ2杯飲むことだった。


(生きる意味が見つからないなら、生きていることに意味があると思え、か)


 胸焼けを錯覚させる自己嫌悪を飲み下し、深く、深くため息をつく。


 ……さっきのこと、気にしてるの?


(あぁ。ああいう優しさに触れる度、自分のしでかしたことを思い知らされる)


 生きることそのものに意味があるのなら、その意味ごとアザトは姉の命を奪った。全て壊したのだ。『誰もが』姉とともに生きる未来を。


 守護霊を自称するくらいだから姉自身はアザトを恨んではいないのだろう。実際、アザトの妄想で片づけるには御利益がありすぎる。


 だが。アザト以外の全ての人はどうだ。大切な愛娘を、婚約者を、友を、理不尽にアザトの手で奪われた人々は。


 その嘆きにかけて、アザトはアザトを許してはならない。


 だが、それを望まない者が、アザトに親身になる。


 それを受け入れようが拒もうが、アザトは誰かに対して絶望的に不誠実な態度を取ることとなる。受け入れれば、そんなことに現を抜かす暇を惜しんで償うべき人たちへ。拒めば、こんな自分にそのような感情を向けてくれる人に。


 アザトが犯したのは、そういう罪だ。アザトは、罪から逃れることは出来ないのだ。何よりそんなこと、他ならぬアザト自身がアザトに対して許さない。


(くそ、考えが同じところをぐるぐると回る……もう寝よう)


 ……うん。そうしたほうがいいよ。おやすみ、アザトくん。


 布団を引くこともせず、アザトは4畳半の自室に横になった。


(ところで、何故竜神さんはああも俺に親身になってくれているのだろうか)


 ……それはちょっと唐変木すぎるんじゃない?


「何ッ!?」


 衝撃の事実に、アザトは寝る前に一度声さえあげて体を起こしたが。

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