鬼と人間
「ただいま」
竜神ツバキが自宅の玄関に入り、中へ呼びかける。その所作はあくまで年相応の少女のもので、明るさや元気に満ち溢れている。
「お邪魔致します」
続く一ノ瀬アザトはまるでその反対で、夕闇がそのまま真っ暗になったと錯覚させる程度には暗く陰鬱な声で挨拶を中へ飛ばした。
「あらあらあらお帰りなさい」
奥から出てきたのは、ツバキの母親と思しきエプロン姿の女性。
「御母堂、お世話になります」
アザトは、それをツバキの母親と認めるなり深々と低頭した。今尽くせる礼はただ一つ、この頭を下げる程度のこと。ならばそれを惜しんではならない。礼を尽くしたいと、アザトが思う限り。
「はい。お世話しちゃいます。ナガレさーん! ツバキが帰ってきましたよー!」
ツバキの母親が奥へ声をかけると、奥から浴衣に身を包んだ、どこか厳つく、しかし自宅でリラックスしているのか、どこか気の抜けた男性が姿を現した。
「ああ、お帰り。それと一ノ瀬君も、ゆっくりしていくといい」
「御尊父、直接お会いするのは2度目ですね。入居以来、ご無沙汰しており申し訳ございません」
大家への挨拶として、これでよいのだろうかなどと悩みつつも、アザトは思いつくだけの礼を尽くす。今アザトがここで暮らしていられるのは、他ならぬ彼のおかげなのだから。
「ん、なんだか老けた言葉遣いだな。まあいいか。ところで、酒はイケる口か? 晩飯前に一献、どうだ?」
少々不自然さはあったようだが、さほど気にもせずツバキの父、ナガレはそう言ってアザトを誘った。が。
「未成年の飲酒は法律で禁止されております」
アザトはまだ15歳であり、飲酒が許される年齢ではなかった。その誘いを受けるには、あと5年ほど待ってもらわねばならない。
「殺人だって法律で……」
「お父さん!」
言いかける父を、ツバキが諫める。
「あ、済まない。今のは失言だった」
自分の失態に気付き、ナガレはアザトに向かって頭を下げた。
「お気になさらず。法の裁きを受けた今も、俺という被害者遺族が俺という加害者をまるで許せずにいますので」
アザトはそれを特に不快に思った様子もなく、淡々と告げた。
「そうか、うん、気にしてないなら、是非忘れて欲しい。言えた義理じゃないが」
いっそ怒りを堪えている素振りすら見せないアザトにかえって気圧され、ナガレは忘れてくれと頼んだ。そして、アザトにそれを拒む理由はない。
「諒解致しました。然り乍ら、悪行を為した者は以後法律を守らなくてもよいなどという悪法は耳にしたことがございません。酌でしたらお勤め致しますが、俺自身が飲む、という意味においてはご勘弁いただければと」
拒む理由があるのは、飲酒の誘いのみ。
「なんか、ごめんな? 酒なんか勧めちまって」
15の若造にぐうの音も出ない正論を叩きつけられ、ナガレは無性に謝りたくなった。酒を勧めるという些事がまるで大悪事のようにさえ思えてくる。
「む、申し訳ありません。俺の罪を知りながら快く部屋をお貸しいただいた大恩も忘れ、自儘に暴言を吐いたる無礼、平にご容赦を」
それを察したアザトは、土間に額を擦り付けた。安い土下座である。だがアザトは、土下座程度ならばいくらでも安売りする人間だった。
「……うん、どの辺が暴言だったのか、おっさん分からない」
ナガレは、目の前の少年の行動を理解することができずにいた。
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