鬼と晩酌
「どうぞ」
「おっとっと」
居間に通され、竜神母娘が夕食を準備する間、一ノ瀬アザトは竜神ナガレに酒を注いでいた。自らの宣言通り、酌を務めているのだ。
「ああ、なんだ。まずは、その、ありがとうな。二度も娘の命を救ってくれて」
「それは結果に過ぎません。偶然です」
「……悪いが、」
酒を飲み干し、盃を突き出しておかわりを要求しながらナガレは吐き捨てた。
「結果からしかこっちは判断できねえんでな。世の中そんなもんだ」
「ぐうの音も出ません」
酒を注ぐアザトは、静かに低頭した。
「だから、感謝されといてくれ。お前さんは確かに善行を積んだのさ」
「しかし、それで悪行が帳消しになるわけもなし」
「そいつは贅沢ってやつだな」
アザトの贅沢な呟きを斬り捨て、しかしふと思いついたかのようにナガレは虚空を見上げた。
「なあ、悪趣味なことを聞くようだが、自分のやっちまったこと、どう思ってるんだ? その、ご両親から少し話は聞いたんだが、なんだ。大切な息子さんを預かってる以上、知る義務がある気がしてな。ああ、答えたくないなら、答えなくていい」
呟くように漏らしたナガレは、取り繕うように酒を口に含んだ。
当然、アザトはこれを断ることも可能だ。だが、彼とアザトの関係は大家と借家人。法律上では物件の賃貸契約に過ぎないが、アザトの場合は厚意で住まわせてもらっている側面が強い。恩人のたっての願いとあれば、聞かぬわけにはいくまい。
「後悔はしています」
空になった盃に酒を注ぎながら、ぽつりとアザトは漏らした。一言発してみれば、まるで堰を切ったかのように言葉は口から出でた。
「しかし、反省の二文字が当てはまるかどうか。むしろ、自分自身という極悪人を憎み軽蔑する感情を、強く持ちます。……勝手な話です。俺の手で大切な娘を、友人を、婚約者を奪われた方々の嘆きに耳を傾けるべき俺が、そして殺された本人の怨嗟の声を聞き届けなければならない俺が、それらを差し置いて、姉を奪われた弟として俺を憎む。その勝手に吐き気さえ覚えます。本来なら、この身は全て償いのために尽きるものだというのに」
アザトは血が滴るほど拳を握り、己への怨嗟を吐き散らす。悪に報いがあるのなら、なぜ自分は断罪されずにおめおめと生を貪っているのか。
「そう、か……決して悪いことじゃないが、そこまで、愚直なまでに真剣に罪と向き合うってのも、本当に善行なのか疑問に思うぜ」
そのアザトの怨嗟を知ってか知らずか、ナガレはさらに酒を呷った。
「そうでしょうか」
「ああ。もっと、お前さんは自分勝手になるべきだ。おっさんの勝手な考えだが、お前さんのことを大切に思っている奴だって、いるんだからよ。それを蔑ろにしちゃあいけないぜ?」
アザトを大切に思う人。両親、友、全て、姉とも深いつながりを持つ人たちである。だから。
「その方々は全て、俺を憎む資格を持つと認識していますが」
アザトはその全ての人に対して償わなければならない。
「最近お前さんに惚れた女の子がいたとしても、か?」
確かに、そのような人がいるのなら償うのではなく、向き合わなければならない。だが、アザトにはそのような資格はなかった。最愛の姉さえ殺した、外道には。
「……俺に、そのような資格は」
「資格がないなら!」
ちゃぶ台に拳を叩きつけるようにして盃を突き出し、ナガレはアザトを遮った。
「……資格を得ようと努力することだ」
「肝に銘じます」
酒を注ぎ、アザトはまたも低頭する。相手が恩人である以上に、その言葉を正論だと認めたから。自分に向く感情が悪感情だろうと好感情だろうと、それを選別できるほど、アザトは上等な人間ではない。ならばアザトは好感情にも悪感情にも、向き合う義務がある。その資格は、何としても手に入れなければならない。
「まあ、あまり無理するなってことだ。張り詰めすぎた弦は切れるだけだからな。それじゃ償いもままならないだろ?」
自分自身への復讐心を忘れ、正しき償いを探す。ナガレの助言はその意味において全て的を得たものだと、アザトは反省させられるのであった。
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