鬼と夕食
「男の議論は終わりました? ナガレさん」
竜神ツバキの母親がお盆を持って居間に入りながら、同じくツバキの父親、竜神ナガレに問いかけたのは、ちょうど二人が沈黙に沈んだときだった。
「ああ。今終わったところだ。済まねえな。ユカリ」
ユカリというらしい妻にはにかんで見せつつ、ナガレは最後の酒を呷った。
「じゃ、晩御飯にしましょうね」
ユカリがそう言いつつ、ちゃぶ台に4人分の料理を並べていく。
空の徳利を横にどけながら、一ノ瀬アザトはその姿をぼんやりと眺めていた。
それが、一ノ瀬家では失われて久しい光景であったから。
他ならぬアザトが破壊した、当たり前の、しかし二度と手に入らない、幸せの光景。それを、アザトはもう一度目にしていた。
(未練がましい……)
……アザトくん……。
壊しておきながら懐かしむ。その身勝手に、またアザトは吐き気を催した。罪を背負う者でありながら、しかし未成熟な15歳の少年でもある。その、『少年』の部分の身勝手を許せるほど、アザトの『罪を背負う者』としての意味は軽くない。
「いただきます」
大家である竜神一家が箸を取ったことを確認し、一拍遅れてアザトも箸を取る。
「……く」
ふっくらとした米の炊き加減が、焼き魚の塩加減が、味噌汁の出汁加減が、美味をもたらすそれらの調和が、今のアザトには辛かった。アザトが殺した人は、もう、この美味を味わうことができないのだから。
「どうしたの? 口に合わなかった?」
心配げに尋ねるユカリの声も、どこか遠い。
「いえ、御母堂、そうではありません……」
目を閉じ、静かに涙を流しながら、アザトは否定した。この上なく口に合ったからこそ、美味であったればこそ、アザトは泣いているのだ。
「でも、なんだか辛そうよ?」
あくまで心配してくれるユカリに対して、口を開いたのは夫のナガレ。
「まあ、男にはいろいろあるってこった」
自分が壊してしまったものの重み。それを突き付けられ、アザトは涙を堪え切れなかった。嗚咽を漏らさずにいられただけでも、アザトはよくやったといえるだろう。
あるはずだった幸せを、自分が壊した。父母から奪った。あるいは、友からさえ。
「御尊父、お心遣い、痛み入ります……」
箸を置き、目頭を押さえながら、しかしアザトは感謝を口にする。それが義務だと思うゆえに。
「いいってことよ。子供なんだからちゃんと泣けよ。でないと人格歪むぞ」
既にして、当然の権利より義務にしか目がいかない程度には性格が歪んでいる少年の背中を、ナガレは軽く宥めるように平手で叩いた。
「肝に……銘じます……」
「泣く資格もないとか思ってるんなら、資格を得ようと努力するこった。繰り返しになっちまったがな」
自嘲気味に笑いつつ、アザトのいささか長い髪に手を突っ込んでガシガシと掻き回すナガレ。それは、父親か年の離れた兄が、小さい息子か弟を励ます仕草に似て。
「はい……」
その、大人の優しさこそが、今のアザトには最も辛かった。
何条を以て、これに報いればよいというのだろうか。他人でありながら斯くも親身にアザトを慮ってくれるこの一家に対して。だが、為さねば、ならぬ。
涙を堪え、アザトは方法などまるで分らない報恩を誓うのであった。
そんなアザトの姿を見て、アザト以上に辛そうな顔をしている一人の少女の姿に気付くことなく。
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