鬼の帰宅

「では、帰ります」


 生徒会副会長(たった今任命)、一ノ瀬アザトは、不意に席を立った。


「え、お姉さん言ったわよね? 歓迎会するって」


 アザトの担任教師、水神ミユキは引き留めようと試みる。が。


「自分に向く不信感を含んだ視線に気付かずにいられれば、お受けしたでしょうが」


 アザトから悲しげな微笑みとともに投げかけられた言葉に、何も返せなかった。


「ダンナ……だから信頼を得るためにも親睦をだな」


 食い下がったのは生徒会庶務、時雨坂シュウ。しかし。


「信頼とは働きによって得るもの。口上と娯楽で得られるものではありません」


 親睦など無意味。そうアザトは斬り捨てる。もとより、アザトという人間自体が既にしてあらゆる信頼を失墜せしめる過ちを犯した罪人であるが故に。


「つまり一ノ瀬君はこう言いたいのね。薄っぺらい信頼ならいらないって」


 たった今自分を副会長に任命したばかりの生徒会長、高槻ナギサの察しの良さに感謝しつつ、アザトは小さく低頭した。


「ご賢察、感服いたしました。高槻先輩」


 アザトはそう言いつつ全員の横を抜け、特務室を後にした。


「あ、あの……」


 生徒会会計、神宮寺サクラの呼びかけに、振り向く素振りすら見せることなく。


「……嫌な奴」


 生徒会書記、姫川アリサはそんなアザトの態度に苛立ちを募らせるのだった。


 アザトが立ち去った特異事例対策特務室に、しばしの静寂が訪れる。


「不器用な子ね。可愛いわ」


 それを破ったのは、そんなミユキの呟きだった。


「そうですね。誤解されやすいタイプに見えます」


 ナギサも、ミユキに同調する。


「そこがダンナのいいとこなのさ」


 そしてシュウも、親友を誇る表情でニヤリと笑った。


 比較的好意的な3人が談笑する中、対照的に未だ疑念を隠そうとしないもう2人は、静かにドアを見つめていた。


「……彼の言う通り、これからの働きを見せてもらうわ」


「あの人……怖い、です……」


 アザトと、これからアザトが仲間と呼び戦友と呼び背中を預けて戦う者たちのファーストコンタクトは、斯くして成功とも失敗ともいえぬ終わりを迎えた。



 疲労感に苛まれたアザトが現在の、借り物の自宅、コーポ竜神にたどりついたのは、日が大きく傾き、夕餉の香りが茜色の空で入り混じる時間帯であった。


 アザトはふと、ねぐらにしているアパートのすぐ前に立つ誰かの姿を目に留めた。


「お帰りなさい、先輩」


 そこにいたのは大家の娘、何故かアザトを先輩と呼ぶクラスメイトの竜神ツバキ。


「ああ、ただいま……何か、俺に用か?」


 人待ち顔でアパートの前に立ち、アザトに声をかけてきたことからそう訊ねたアザトは、しかし何もツバキが答えないことからいささか自意識過剰だったかと失笑しつつそのまま歩を進めた。


「あの、よかったら、一緒に晩御飯、食べませんか?」


 横を抜けようとするアザトの袖をつかみ、ツバキはアザトに訴えた。


「どこかに食べに行くのか?」


「いえ、その、私の家で」


 その誘いに、アザトは掴まれていない右手で後頭部を掻きつつ難色を示した。


「ご両親が納得しないだろう」


「両親なら、歓迎するって言ってくれましたよ」


 ツバキの真っ直ぐな瞳は、嘘をついている人間の目ではない。


「ぐう……」


「ぐうの音は出るんですね」


 押しに負けそうなアザトであったが、断る理由なら、というか引け目に感じる理由ならまだあった。最大のものが。


「俺が殺人者であることは……」


 過去に犯した最大の罪。許されざる禁忌。たとえ法で定められた処遇を為し終えたとしても、アザト自身がアザト自身を許せない、認められない理由。


「入居の時から先輩のご両親に伺ってたみたいですよ」


「……」


「あ、ぐうの音も出なくなった」


 その通りである。まさか大罪人と知って部屋を貸してくれていたなどとは、想像だにしていなかった。それほど大きい器の持ち主に、どう応えればいいのだろう。


 厚意に甘えてしまう無礼と厚意を無に帰す無礼、器が大きいと知れている相手程、無に帰す無礼の方を重く感じる。アザトの感性で判断するならば、ここはいったん厚意に甘え、その恩を必ずや返すが上策。


(何故、こんなことになってしまったのだろうな……)


 ……私に聞かないでよぅ……。


「……お言葉に甘えよう」


「はい♪」


 ツバキは満面の笑みで苦渋の決断を下したアザトの手を取ると、自宅へ向かってアザトを引っ張るように歩きだした。

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