鬼と竜神

 突如現れた、人語を解する異形に最大限の警戒をしつつツバキを背にかばったアザトは、その瞬間にはすでに臨戦態勢を整えていた。


「これまでの経験上、異形の用件には一つしか心当たりがないんだが」


 拳を握り、油断なく相手の全身に目を配りながらアザトは言った。


「そうだな。まあ似たようなものだ。……さあ、在るべき姿に戻れ、システムTT」


 余裕の態度を崩さない異形は、アザトの知らない名前でツバキを呼んだ。


 直後。


「敵対障害、一ノ瀬アザトを確認。排除します」


 後方から、そんな無機質な声がアザトの耳朶を打った。


 ……来るよ!


 姉の警告に従い右に大きく飛んで間合いを空け、異形とツバキの二人を視界内に収めたアザトは苦々しく頬を歪め、笑みにも見える鬼面の相を作った。


(おいおい、俺に惚れた女は俺に殺されるジンクスができちまうぞ)


 ……笑えない冗談だね。


(ああ。だが、俺には似合いのジンクスだ)


 姉と話しながら、即座に覚悟を決めた。アザトはこれから、自分を慕う一人の少女を殺す。それはかつての罪の再現。決して拭うことの出来ない罪科を、今一度自分の手で犯す決意を、しかしアザトは一瞬で済ませた。


 感性こそ悪行を為すことに苦しむ善人ではあるが、しかしアザトの理性は、悪行を為すことを即断する悪鬼のものであった。


 極悪人の笑顔を口元に張り付け、しかし泣きそうに歪んだ瞳でアザトは敵を見据える。殺したくなんてない。でも、殺すしかないと諦めて。


 ……私は、笑って終わらせたいな。


(その手立てがあればな)


 ……あるよ。


 姉の言葉に、アザトの歪んだ笑顔が、消えた。


(頼めた義理じゃないが、頼めるか?)


 ……もちろん!


 アザトは先ほどまでの消沈から、高揚と言ってもいいレベルで戦意を高め、油断なく二人を見据えた。


(どうすればいい?)


 ……異形のほうを先に磨り潰して、ツバキちゃんへの干渉を止めよう。そのあとツバキちゃんを元に戻すの。いや、全部書き換えたほうがいいかも。


(全部書き換える?)


 不穏な姉の言い分に、アザトは眉をひそめた。


 ……うん。ツバキちゃんは異形が送り込んだ端末みたいなの。だから、最初から端末じゃなかったことにしちゃうの。


(それで、彼女は彼女のままでいられるのか?)


 人として生まれたものを人でなくすと言わんばかりの姉の主張には、正直なところアザトには受け入れがたいものがあった。曲がりなりにも恋仲である少女の存在そのものを書き換えるなどという、暴挙には。


 ……完全にそのままじゃないけど、竜神ツバキという人格自体を書き換えるわけじゃなくて、その性質を書き換えるだけだよ。


(よく分からんが、姉さんを信じよう。書き換えるためにはどうする?)


 だがアザトは割り切った。どのみち、竜神ツバキは現時点で既にいつもの少女ではないのだ。それをもとの姿に可能な限り近づける、その努力を姉がしてくれるのならば、それを拒む理由はない。アザトには、逆立ちしても届かない領域であるだけに。


 ……触れて。それだけでいい。


(分かった。異形を殺し、彼女に触れればいいんだな)


 意を決し、アザトは光さえ置き去りに踏み込んだ。

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