第2章:闘いの日々

鬼の朝

「おはようございます、先輩」


「……おはよう」


 翌朝、目が覚めた一ノ瀬アザトが最初に見たのは、上から自分を覗き込んでくる竜神ツバキの顔だった。


「何故ここに?」


 開口一番、目を逸らしつつアザトが尋ねたのは、来訪の理由。昨晩のこともあり、ツバキの顔を直視するには、アザトの冷静さはいささか不足している。


「先輩と一緒に学校に行きたいからです」


 何の衒いもないツバキの言葉に、アザトは嫌な予感がした。


「……毎朝、こうするつもりか?」


 そのような恋人もどきの行動を繰り返されてはたまらない。


「はい♪」


 予感的中。最高の笑顔で肯定するツバキに、アザトは肩を落とした。


「放っておいてくれればいいものを……」


 起き上がり、鞄を拾い上げながら呟くアザトの前に立ち、ツバキはその曇りのない瞳でアザトを見上げた。


「先輩は、先輩が償いたいから償うために生きるんですよね?」


 肯定を返すほかない。アザト自身を除いて、アザトに償いを求めている者は存在しない。誰一人として。


「ああ。俺の償いは、俺が望み、俺に課している」


 父も、母も、殺された姉本人でさえも、アザトを憎んではくれなかったのだから。


「私は先輩と一緒にいたいからそうしてるだけです。重さの違いはありますけど、やってることは一緒ですよ?」


 ……アザトくんの負けだね。


(そうだな)


 守護霊、姉の言うとおりだった。アザトが自分の意思で、自分という極悪人に償わせることをやめないように、彼女も自分の思うとおりに生きているだけなのだ。


 そもそも、アザトは人の生き方に偉そうな口を利ける人間であったかどうか。


「分かった。もとより、自分に向けられる感情に注文を付けられるほど上等な人間でもない。好きにしてくれ」


 好感情のみを受け入れ悪感情を厭うことは許されない。どのような感情であろうと受け入れなければならない。ならば。


 逆も然りなのだ。


 アザトからしてみれば、姉を殺した憎い男が人の好意を受けてのうのうと生きる地獄絵図だとしても、いや、だからこそ。その苦しみを薪にして、誓いの炎を燃やし続けなければならない。贖罪の誓いを。



 二人、並んで歩きながらツバキの母、ユカリが用意してくれたという握り飯を齧る。アザトをもう少し早く起こして一緒に朝食を取るということも考えたそうだが、それは思い留まってくれたようで、アザトとしては何よりである。


「む、赤信号か」


「この時間なら、少しくらい止まっても遅刻はしませんよ」


 当たり前のことを確認する作業、その無意味な会話が楽しくてしょうがないといった顔でツバキが微笑む。それが、失った笑顔にどこか重なって見えて。


「そうだな……」


 アザトはツバキから目を逸らし、信号をじっと見つめた。少し遠いが、既に学校は見えている。この交差点を渡れば5分と経たずに校門をくぐることができるだろう。


 それから、ツバキが次の一言を発する前に信号が変わり、景色が、変わった。


(またか! 立て続けに3回だぞ!)


 ……うん。これは、偶然じゃないね。


 異形へと変じていく周囲の人々。その異様な光景を見て信号を無視して逃げようとし始めた車両が交差点の真ん中で事故を起こし、炎上する。


 それは、入学前にアザトが見た地獄の再来であった。違うのは、アザトがその地獄を二度も経験して神経が麻痺していること、そして。


(姉さん、対応出来るか?)


 ……君が望むなら、なんだって。


 アザトが、この地獄に対応できる姉の力を借りていること。


「竜神さん、失礼」


「え? あっ!」


 言うなりアザトはツバキに足払いをかけ、崩れ落ちる彼女の体を横抱きに、一気呵成に校門を目指して走り出した。


 周囲全ての方向から襲い来る異形に対応するには、アザトにその手の経験が足りない。ならば、一度ツバキを安全な場所に退避させる必要がある。


 そのような場所を、今のアザトは一つしか知らない。


 鉄窓学園、生徒会。

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