鬼の暴言
仮眠、という程度の睡眠をとったアザトが次に体を起こした時、彼はベッドの横の椅子に誰かが座っているのを目に留めた。
「あ、先輩、起きたんですね」
それが竜神ツバキであることを理解するのに、さしたる時間は必要なかった。彼女が自分を先輩と呼ぶ理由も、推測がつく。だが。
「先輩はよせ。俺は、そんな高尚な人間じゃない」
先輩というからには、後輩の手本たるべし。ならば、アザトは先輩などという敬称で呼ばれるべき人間ではない。断じて。
「でも、私が中学3年生で、先輩が高校1年生でしょ?」
「確かにそう名乗りあったが」
「だから、先輩でまけておいてください♪」
しかし、現代において先輩とはそこまで高等である必要はない。目の前の少女が先輩という言葉をその程度に軽く考えていることは自明である。だから。
「考え直しては、くれないのだな」
アザトは、諦めたようにため息をついた。自分にとっての先輩という呼称、敬称の重みをぐちぐちと訴えることの不毛さは、理解しているつもりだった。
「だって、先輩は尊敬できる人ですからちゃんと敬意を払わないと」
だが、ツバキのその微笑みだけは受け入れられなかった。
「俺は、そんな善人じゃない」
断じて、アザトは尊敬されるような人間ではない。それだけは、確かなことなのだ。誰が何と言おうと。
「だってあの時、私は周りの人を助けようなんて考えることすらできなかったんですよ? ただ怯えて、すくんで、へたり込んで……。先輩は同じところにいて、私を助けてくれたじゃないですか」
だから尊敬するという、ただそれだけの理由でアザトを尊敬するというツバキの澄んだ瞳は、アザトに止めようのない嘔吐感をこみ上げさせた。
(何故、俺が敬意などを向けられなければならない)
……アザトくん……。
守護霊の声も、今は遠い。何もかもを、吐き出してしまいたい。この腹の奥底にたまった罪科全てを彼女にぶつければ、幾分かこの吐き気はましなものになるだろう。
そう思ったときには、アザトの肺腑は絶叫のための息を吸い込んでいた。
「俺は……俺は人殺しだ! そんなものを尊敬してどうする! たかがお前ひとりを救助した程度でその罪が消えるものか! 俺が殺した人は帰ってこない! 何をしたところで帰ってこないんだ! あの人はもう泣くことも笑うこともできない! 何も、何もだ! もう一度言う! 俺は、人殺しなんだ!」
ツバキがショックを受けたような表情を見せたのは、怒鳴られたことに対してか、それとも怒声の内容に対してか。それを判別するには、アザトはツバキという少女を知らな過ぎた。
そして、その表情を見てから、アザトは自分のしでかしたことに気付くのだった。
「あ、す、済まない……」
条件反射的な謝罪。それは、もはや何の意味もなかった。アザトの罪悪感を減ずる自己欺瞞、自己満足としての意味さえ。
「俺は、最愛の姉を殺した外道だ。尊敬など向けないでくれ。頼む」
アザトは、居心地の悪さから逃げるように病室を後にした。
退院の手続きは、アザトが思っていたより簡単だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます