第4章:救済の日々

人の情

 時雨坂シュウは、戸惑っていた。

 かつて一人の女の愛を奪い合った男の、変容に。


「どうしたの? シュウ」


 シュウの困惑を、傍にいた姫川アリサは見逃さない。


「アリサちゃんに、ダンナと俺様の昔の話ってしてたっけ?」


 アリサに問われては話さないわけにはいかない。だが、少しばかり長い話になる。

 だから、シュウは、アリサがどこまで知っているのかを訊ねた。


「知らないわ。あなたのことで知らないことがあるのは癪だけど、あなたが話さないことを無理に聞き出すつもりもなかったから」


 淡々と返ってくるのは、しかしシュウに並々ならぬ執着を持つと遠回しに告げる言葉。アリサの、精一杯の心情の吐露。


「そっか、ごめんな。今更になっちゃうけど、聞いてくれるかい?」


「ええ」


 問いかけに、即座の首肯を返すアリサを見て、シュウは実感する。

 あの事件を自分が乗り越えられたのは、やはりこの、不愛想な少女のおかげだ。


「俺様、幼馴染の許嫁がいてさ、一ノ瀬ルイっていうんだけど」


 不器用ながらに好意を自分にぶつけてくれる少女に、過去の女の話などしなければならないことを、シュウは心底悔しく思った。


「……そう」


 やはりというべきか、アリサは些か不愉快そうに相槌を打っている。


「まあ、苗字でわかるかもしれないけど、ダンナの姉貴なんだよな。で、ダンナに寝取られた。傍から見てりゃ二人が姉弟だって以前に相思相愛なのはバレバレだったし、誰も何も言わなかった。俺様も含めて、な」


「そう」


 が、その不機嫌な顔はすぐに元に戻る。それが、恋にすらならなかった、過去の話に過ぎないことを知って。


「で、まあ、いろいろあって、ダンナはその許嫁の自殺に力を貸したっていうか、殺しちまったんだ。で、あんなふうに根暗になった」


 ここまでが、過去にシュウとアザトの間にあったこと。


「そう。それで、何に戸惑っていたのかしら」


 ここからが、今のシュウがアザトに対して感じていること。


「ああ。ダンナはさ、そのことから逃げなかったんだ。悪く言えばいつまでも引きずってた。向き合うことが義務だと言わんばかりに、さ」


 シュウが、他のあらゆる関係者が、取らなかった道。時折面会に行っていた両親からの又聞きに過ぎないが、その痛ましい覚悟はシュウも知っている。

 そして数年ぶりの再開で、慣れない呼び方をされたときに確信した。逃げないことを、アザトは自分に課していた。

 そのはず、だったのに。


「なるほど。私達から逃げたのが、意外だったのね」


「うん。……やっぱり逃げたように見えた?」


 シュウの違和感を的確に斟酌するアリサに、しかしシュウが返すのは、アザトの動作が逃避であったという印象の確認。


「ええ」


「いい変化なら、いいんだ。だけど」


 即座に返ってきた首肯に、シュウは歯切れの悪い答えを返す。


「気になるのね」


 その曖昧な態度を、しかしアリサは許さない。


「ああ。気のせいならいいんだけど」


 再度の逃避、いや、この場合は足踏みとでもいう方が正しいか。


「私はあなたの直感に従うわ。気になるなら、一緒に調べてあげる」


 その背中を、アリサは優しく、容赦なく、押した。


「……すまねえ。俺様、やっぱかっこ悪いな」


 相談しながら、情けなく逡巡していた自分を顧みて、シュウは嘆息する。


「あなたは、私がいないとダメね」


 自分の判断に自信がない程度のことで動けなくなるシュウには、アザトのように信じた道を突き進む生き方はできない。それと同じように。


「……全くだぜ」


 アザトにはきっと、シュウのように、誰かに支えられながら、支えてくれる人がいる幸せを噛み締め、一歩ずつ一緒に歩いていく生き方は、できないのだ。


「一緒に来て、くれるかい?」


 ならば、己はその道を逝こう。最高の少女とともに。


「ええ」


 無二の友と異なる道を、その、最高の友のために。

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