鬼の未練

 翌朝、同じ布団で寝ているところを発見された一ノ瀬アザトと竜神ツバキは竜神ナガレに怒られた。それはもうこっぴどく怒られた。

 そういうのは大人になって籍を入れてからにしろと怒られた。

 反駁の余地など微塵もないので、二人は黙って怒られた。


「朝から大変でしたね」


 遅刻しない程度の時間に解放され、通学路を歩きながら言うツバキ。だが。


「何故、くっつく」


 アザトはそれに応えるより、締め上げるように左腕に抱きつくツバキの意図を尋ねることを優先した。愛情表現にしても、限度がある。


「逃げるって宣言されてしまったので、逃がさないように捕まえてます」


「そうか」


 この回答には、納得せざるを得ない。確かにアザトは逃げると宣言した。そして、ツバキはそれを嫌だと言った。そこに論理の飛躍はなく、理解できない部分もない。

 そして、それほど求められても応えられない、否、応えるつもりのない自身を俯瞰し、しかし自己嫌悪すら生じない。


(俺は、もう人であることはできない、な……)


 ただ、痛感する。資格がないなら資格を得ようと奮え、という言葉を納得しながら、それと逆のことを行っている己には、真なる意味でもはや人たる資格がない。


 愛を受けることにさえ耐えられず、逃げようとする己はもはや人ではない。ただ一匹の鬼。人倫に悖る、鬼だ。ならば、最早人の道など歩む必要もない。


「よぉ、お二人さん! その様子だと仲直りしたみたいだな」


 アザトが狂った笑みを浮かべたところに、後ろから朗らかな声をかけてくる者があった。言わずと知れた、時雨坂シュウ。その両側には、姫川アリサと神宮寺サクラの姿もある。


「どうせ、一ノ瀬の勘違いでしょ」


 睨むようにアザトを見据えるアリサが、身も蓋もなく事実を言い当てる。そう。ツバキはアザトを嫌ってなどいない。むしろ、盲目的にアザトを好いている。

 この会話の間も、至福と言わんばかりの表情で腕に抱きついている程度には。


「羨ましい……です」


 幸福な表情のツバキを見て、サクラはぽつりとつぶやいた。


「俺様でよければ腕くらい貸すぜ?」


「やです」


 敏感に聞きつけたシュウのからかうような言葉に、サクラは無慈悲にも即答した。


「アリサちゃーん! 振られたよー!」


 アリサは自分に飛びついて嘆くシュウの頭を黙って撫でる。シュウがどさくさ紛れに胸に顔を押し付けていることに気付いていないはずはないが、しかしアリサは特に気にした様子もなかった。要するに、2人はそういう仲なのだろう。


「……ッ」


 彼らに背を向け、アザトは早足に歩き出した。腕に抱きついているツバキがバランスを崩しかけ、半ば腕にぶら下がるようについてくることも、最早気にしない。


「あ……待って……」


 それに気づいたサクラが小走りに追ってくる。が、それも無視。それは逃げるような動作であり、事実、アザトはその場から逃げ出そうとしていた。


 己が捨て去ろうと決意したものが、人の暖かな営みが目の前にある。その温かさは、今のアザトにとってはどうしようもなく不快であったから。


「ダンナ……?」


 その、間違いない逃走の所作に、追いかけられなかったシュウは不安にも似た疑問を抱いた。アザトが逃げるということを、まるで予想していなかったから。


 一ノ瀬アザトは、これほど簡単に何かから逃げ出す男であっただろうか?


「んな筈はねえ。……ダンナ、一体何があったってんだ……?」


 呟きは、しかしアザトの耳には届かなかった。

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