人の行きつく先
「ダンナいる?」
時雨坂シュウが一ノ瀬アザトの教室を訪れたのは、放課後すぐのことであった。
「はい」
「ツバキちゃん、ちょっとダンナ借りるぜ。……ダンナ、来てくれ」
有無を言わさずアザトを教室から連れ出したシュウは、そのまま屋上へと駆け上がった。人一人引きずって屋上へ上がる程度、強化人間である時雨坂シュウには造作もないことだ。
「随分強引ですね。ようやく俺を殴る気にでもなってくれましたか?」
あくまで丁寧に、しかし、ほんの数日前までの不器用な誠意が感じられない、小ばかにしたようなことを言うアザトを見て、シュウは己のすべきことを悟った。
「そうだな。だが、それはルイちゃんのことじゃねえ!」
拳を、振り抜く。強化された肉体の性能を存分に発揮し、対戦車砲をも凌駕する速度で撃ち出した拳はアザトの頬を真っ直ぐに捉え……しかし、アザトは微動だにしなかった。巨岩を殴ったような手ごたえが、ただシュウの痛覚を苛むばかり。
「それで殴っているつもりですか」
失望と軽蔑を含んだアザトの言葉は、シュウの心には響かない。
遠すぎる。
それだけが、空虚に実感された。
「ダンナ、そうやって嫌われようと努力してりゃ一人になれるとでも思ってんのか。強すぎる力に、誰も巻き込まずに済むなんて思ってんのか」
その遠さをアザトが望む理由を、シュウは一つしか想像できなかった。致命的に不器用ではあるが誠実なこの男が外見上不誠実な行動をとるのなら、その根幹にある思想は、どこまでも誠実なのだ。
「見損なうんじゃねえよ! 俺はダンナが何者になろうが、それこそ人間やめようが神になろうが悪魔になろうが、ダンナの親友を自称し続けるからな!」
だから、一人くらい、その誠実さゆえの悲しい決断を踏みにじる、馬鹿がいてもいいと思う。
「シュウ義兄さん、あんたは馬鹿だ。ツバキと同じ種類の馬鹿だ。だが、悪くない」
少しばかりすっきりした顔で苦笑するアザトを見て、その馬鹿の役割はもう一途な女の子に奪われてしまっていたことを実感する。だが。
「ようやく戻ったな、呼び方。やっぱそっちのほうがしっくりくるぜ」
『義弟』を連れ戻す役割は、果たせたらしい。
と、シュウが気を抜いていると、アザトの顔が見る見るうちに引き攣り出した。
「どうした、ダンナ」
「……羅刹女が来ました」
問いに対して、ある一点を見すえながら理解できない答えを返され、振り返ったシュウは己の迂闊さを呪った。
「先輩をいじめちゃダメです!」
涙目で、必死ににらみつけてくるのは竜神ツバキ。おそらくアザトを殴ったことについて怒っているのだろう。だが、控えめに言ってかわいい。小動物のようなかわいらしさがある。シュウは、しばしの間その愛らしさに骨抜きにされた。
そして。
「ふんっ!」
思い切り、もう一人の少女に横から足を踏みぬかれた。
「痛ってええええええええええ! アリサちゃん! 俺様被虐趣味はないんだぜ!」
「……私以外に鼻の下を伸ばした罰よ」
必死の抗議に帰ってきたのはにべもない、しかし誤解のしようのない、嫉妬。
「そんなこと言ってると、俺様本気にしちゃうぜ」
茶化してしまいたくて、シュウはにっと笑った。
「そうすると、どうなるの?」
反問に含まれる、かすかな期待の色。それが何を意味するのかを深く考えないまま、シュウはあくまで、冗談として応える。
「嫌よ嫌よも好きのうちとか都合よく解釈してアリサちゃんに付きまとう」
「嫌よ嫌よ」
らしくもない口調、脈絡のない返答。しかし、その意味は伝わった。
「誘い受けなところも素敵だぜ、アリサちゃん」
こちらも、普段の軽い調子ではない、らしくもない本気の声で、歯の浮いたセリフを吐き出しながら、おそらくは彼女の望むとおりに抱きよせる。
そのまま、顔を近づけ……ようとしたところで。
「先輩! 私たちも負けずにハグです! キスです!」
「帰ってからにしろ」
などという、テンションに落差のありすぎる二人の騒ぎ声が聞こえてきた。
「してくれるんですか……帰ってから……」
自分から熱烈にアタックしておいて乗って来られたら急に恥じらう乙女もいいな、とか思っていたら、またアリサに足を踏まれた。
少しだけ関係の変わった、しかし居心地が悪いわけではない、こんな日常が続けばいい。強化人間とか、現実改変とか、重苦しいものを背負っていることを忘れて。
シュウは、その幸せがアザトのもとに訪れるよう、いるのかどうかも分からない神に祈るのだった。
「どうしたの?」
問いかけるアリサの顔を見返し、再認識する。もう、自分は十分すぎる者を得た。
だから。
「俺の分はいらねえから、あいつにだけは、くれてやってくれよ……」
頼むぜ、神様よぉ。
空を見上げたシュウは、何故か、『任せてよ!』と朗らかに微笑む元婚約者の顔が見えた気がした。
東京ブーステッド-AIN SOPH AUR- 七篠透 @7shino10ru
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