第3章:恐怖の日々
鬼の恐怖
「先輩、やっぱり、迷惑でしたか?」
しばらく高台から街を見下ろすことで時間を潰し、家路についた一ノ瀬アザトと竜神ツバキの間を流れる空気は、しかし澱みのように重く沈んでいた。
「迷惑?」
「その……キス、を、お願いしちゃったこと」
「そんなことはない」
いささか照れの色を含んだツバキの問いを即答で斬り捨てつつ、しかしアザトの顔はあくまで最悪の気分を主張するかのように暗い。
「じゃあ、どうしてそんなに暗い顔を?」
「君は、君のままだよな?」
その質問は、アザト以外の誰にとってもそもそも意味を持たない質問だった。
書き換えられる前の世界を知らない、アザト以外の者にとっては、今ここに在る世界こそが最初からそこに在った当たり前の、今まで通りの世界なのだから。
書き換えられたことにすら気付いていないのだ。彼女は。
「何言ってるんですか? 変な先輩ですね」
「ああ、そうだな。そう、だよな……」
すでに改変されたこの世界では、アザトの方が異常な存在なのだ。改変前の世界の在り方を知る、アザトこそが。
……アザトくん、難しく考えないで。アザトくんは自分の都合のいいように世界を書き換えたりしてない。望んだのも、やったのも、お姉ちゃんなんだから。
(姉さんに罪を押し付けて罪悪感から逃げられるような小器用な性格なら、3年前からそうしているさ。……俺には、無理だ)
たった一人の少女を諦めきれなかった。そのせいで、理解してしまった。
今の自分が、その意志さえあるのならば世界全てを自分の都合のいいように書き換えることさえ可能な、とんでもない存在になってしまっていることを。
その恐怖にアザトが震えている間に、アザトがその一室を賃借しているアパートの前まで二人は辿り着いていた。そして、一階部分に住む大家、竜神夫妻が人待ち顔でその前に立っていた。誰を待っているのかなど、言うまでもない。
「よう、今日は少し遅い帰りだな。どこかで乳繰り合ってきたのか?」
アザトとツバキを認めた夫妻の片方、夫の竜神ナガレがそんな軽口をたたく。
「お、お父さん!」
その軽口に対し、娘の反応は何とも初々しい物であった。
「お? なんだ? 顔真っ赤にして。まさか図星か?」
「はい」
そして、何故かアザトがいらんことを即答した。
「てめえうちの娘に手ェ出しやがったな!」
「はい」
掴みかかってくるナガレの剣幕を柳に風と、鉄面皮のアザトはまたも即答。
「なんで先輩も正直に答えちゃうんですかぁ!」
当然、ツバキはその愚考を咎めるが時すでに遅し。
「いい度胸だ表出ろコラァ!」
ナガレは、その怒りに完璧なまでに火をつけていた。
「ここは既に往来です Are You all right?」
「寒いダジャレ言ってんじゃねえ! ユカリ! 上着持っててくれ!」
アザトの渾身の諧謔を意にも介さず、上着を脱ぎ捨てて妻に投げつけるように渡すナガレは、その拳をしかと握っていた。
(サポートはなしだ。少し健康的に男同士の喧嘩を楽しみたい)
……男の子って、馬鹿だよね。ま、そんなところも大好きだよ。
あくまで生身の人間同士として、殴り合う。相手に力を示すための戦いではない。口ではなく、拳で語り合う必要があるときもある。だから。
「竜神さん、鞄を頼む」
踏み込んでくるナガレを迎え撃つため、アザトはツバキに鞄を預けた。
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