鬼の宣戦

 翌朝、前日のように竜神ツバキとともに鉄窓学園へ向かっていた一ノ瀬アザトは、一人のフードをかぶった人影を前方に認めた。


「竜神さん、少しここで待っていてくれ」


 姉による現実改変で既に竜神ツバキは異形とは関係のない存在になっているはずだ。ならば、あのフードの男はアザトを狙う異形か、さもなくば普通の不審者。


「はい……」


 遅れて前方の不審者に気付いてか、ツバキはおとなしくアザトの指示に従って、いや、その先を行き、近くの電柱の陰に隠れた。


 それを確認し、アザトは注意深くその人影に近づき、数歩で足を止めた。


「動くな、一ノ瀬アザト」


 足元に向かって、銃弾が放たれたからだ。


「異形……やはりこれまで俺たちを襲っていたのは下位個体か」


「そうだ。そして、我々の滅亡は昨日の夕方、確定した。あらゆる可能性、在り得る、在り得ないにかかわらずありとあらゆる平行世界の未来から、我々の存在が消し去られたのだ。一ノ瀬アザト、お前が、お前がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 放たれた銃弾。それを、アザトは避けなかった。


 それは一ノ瀬アザトの罪であるから。一人の少女と引き換えに、一つの種族を滅ぼした悪行は、一ノ瀬アザトが望み、掴んだ勝利であるから。その味を、酷く苦い勝利の余韻を、かみしめる義務があるから。


 ……もう! 何やってるの!


(防ぐな姉さん)


 だから、その銃弾を、今や蠅が止まる速度に見えるその銃弾をしっかりと見据え、アザトはしかし直立不動のまま銃弾に射抜かれた。


「ぐぁっ……っく」


 撃ち抜かれる衝撃。焼けた鋼が肉を抉る激痛。それを噛み潰すほどに食い締める。数回その衝撃を受けると、銃撃はやんだ。単に、弾が切れただけなのだが。

 

「どうした。それで終わりか……っぐ」


 痛みに耐えながら、しかしアザトは挑発する。既に種族の未来を奪われた者に中途半端な情けをかけるほど、アザトは偽善的ではない。むしろ、彼の性質を正しく言い表す表現があるとすれば偽悪。己の行為の孕む悪を一つ一つほじくり返し、それらすべてへの断罪を求める咎人。だから。


「種族の未来を奪われる悔しさ、怒り、無念、我がことに置き換えて考えることはできる。貴方には復讐の権利がある」


 一ノ瀬アザトは、いや、その守護霊を自称する一ノ瀬ルイは、一つの種族の存在を、あらゆる可能性から完全に否定しつくすほどの力を手にしていた。


 それが意味するところはただ一つ。


 アザトの自制心に、文字通りすべての命運が委ねられているということ。


「俺を今すぐ殺す方法がないならば、今は退いてあなたの同胞にお伝えください。一ノ瀬アザトは、あなた方の復讐をすべて承ると」


 ならばよし。一ノ瀬アザトの得意技は自身の悪を見つめ自制することである。それしかできることがないからうじうじと悩む情けない少年ではあるが、今だけは、アザトは自分のその面倒くさい性格に感謝できる気がした。


「おのれ……!」


 挑戦的ですらない誠意に満ちたアザトの言い様にかえって怒りを覚えた風の異形は、しかしアザトの言う通り殺害の方法が手元にないのか、踵を返して走り出した。


(姉さん、悪いが傷を頼む)


 ……どうして防ぐななんて言ったの。


(彼等の痛みは、俺が受け入れるべきだと思ったから)


 守護霊、いや、一ノ瀬ルイは不服げに、しかしアザトの傷口から銃弾を時計の逆回しのように摘出し、傷口ももとからなかったかのように修復して見せた。


 アザトが銃撃を受けた証拠が残るとすれば、今アザトの足元に残る銃弾と、穴の空いた制服くらいだろう。


「さあ、行こうか。竜神さん」


 ツバキの隠れた電柱に向かってアザトは呼びかけるが、それに返答はなかった。

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