スランプな姉 2

 普段よく使っている駅にやってきた。特に何かしようとかは考えていなかったが、街灯の辺りに貼ってあったポスターに「特設展示 トリックアート展」という文字が見える。駅近くの美術館でやっているとのことで、アイデアに飢えていた理子姉はこれに早速食いついた。

 実はあまり美術館には行ったことがない。最初に一般展示の絵や彫刻をぐるりと見ていくが、その一つ一つが自分とは別の世界から来たような感覚をくれる。


「なんかよくわからないけど、凄いってのが伝わってくる……」


 あいにく、俺も姉さんも芸術に関してはあまりよく分からない。ただ二人で素人ながらにも受けた感覚を共有したり、実際に触れるものがあれば触ってみてお互いに驚いたりして新しい体験をしていく。

 そしてそこに書かれているアーティストの生涯。姉さんはそれを見ながら何か考えているようだった。多分、聞いても俺にはよくわからないことなのだろう。


「よし、じゃ、次はトリックアート展だね」

「特設展示はあっちか」

「んふふー、ちょっと期待してるんだ」


 カラフルなモニュメントがいくつか置いてある廊下を通り、お目当てのトリックアート展を行っている大部屋に入る。するといきなり目の前に巨大な恐竜が飛び出してくるのを見てびっくりしてしまった。

 よく見ればその恐竜は動かなく、こちらに飛び出してもいない。


「わ、これよくできてるね」

「ぱっと見襲われるかと思った……」


 飛び出してくる恐竜の絵で洗礼を受けた俺たちは隣の部屋に入る。そこは様々な絵が展示してあるスペースで、額の中にはそれぞれ不思議な模様の絵が入っていた。


「なんかこの絵ぐるぐるしてる……」

「うん、あんまり長く見てると気分悪くなるかも」

「絵は動いてないのにね、変なのー」


 無限階段のだまし絵、見る方向によって柄が変わる絵、線が曲がったり短くなったりして見える絵……そんな面白い絵画を取りそろえた部屋を一通り見終えた俺たちは次の部屋へと向かった。

 今度はトリックアートの規模が大きくなり、絵画から飛び出したそれは壁・床を使った大規模なものになる。遠くから見れば立体的に浮いて見えるだけでなく、そこに立つことでアートの中に溶け込めてしまうようなものだった。


「写真とか撮ってみたら楽しいんじゃないか?」

「いいね! 将君、カメラお願いできる?」

「分かった、任せて」


 幸いにも今この辺りにいるお客さんの数は少ない。

 その間に撮ってしまおう、ということで理子姉はアートの方に駆けていく。


 姉さんが目を付けたのは「巨人が皿の上にあるご飯を食べようとしている」アート。このお皿の上が床になっているので人が乗ることができ、今まさに食べられようとしている、という臨場感溢れる写真を撮って遊ぶようだ。

 そのお皿の上でちょこんと座り、こっちへ片手を伸ばして助けを求めるような悲しい表情になる理子姉。それを言われた通りに写真に収める。うん、たまに女優業もやってるだけあって本当にそれっぽくて、かわいそうな気持ちがいっぱいになる。


「撮れた?」

「うん、じゃ、次――」

「あ、もう一枚撮りたい感じのがあるんだけど……」


 理子姉はそう言うと俺にもう少し近寄ってくるように手招きし、今度は床でころんと寝そべると仰向けになって照れ顔で微笑んだ。そして、口元に人差し指をやると妙に色っぽい口調で……


「将君、お姉ちゃんのこと、食べていいよ……?」

「わっ」


 とりあえず写真を撮った後、慌てて周りを確認した俺は理子姉にそれをやめるように何とかお願いする。あまりに俺が必死だったのか理子姉はおかしそうにクスクス笑うと起き上がって頭を撫でてくれた。

 その後、姉さんの背中を軽く手でほろいながらあれこれ質問責めされる。


「今のどうだった……?」

「ちょっとドキッとしたけど、ここ、一応公共の場だから……」

「ふふん、貴重な写真が取れてよかったねー♪」

「それは……うん」


 撮った写真を家族のSNSに上げた(というか理子姉が上げるように言ってきた)ので間違って削除してしまうようなことはないだろう。二人で見返してみるが、あの咄嗟の動きにしてはなかなか魅力的に撮れたような気がする。

 正直なところ、あんな姿勢であんな表情をされた中、姉さんがうっとりした様子で誘惑してくるのはあまりに跳ねのけがたい。多分、次があったらヤバいぞ……


「じゃ、そろそろ次いこっか。まだ展示物はいくらかあるみたいだし」

「そうするか。あ、でも次はそういう写真撮る前に一言言ってね」

「え、将君、もしかしてお姉ちゃんの写真もっと欲しくなっちゃった?」

「違うって、心の準備の話だよ……!」


 嬉しそうになった理子姉は歩きながらぎゅっと抱き着いてくる。

 不意打ちにも近い暴挙を喰らった俺は頭で何も考えられなくなってしまった……




 美術館から出てきた俺たちは駅前に出ていた屋台でクレープを買い、近くのベンチに座って休憩をしていた。昼前だということもあってそこそこ人の数は多い。


「やー、トリックアート展楽しかったねー!」

「あれから結構写真撮ったなぁ……」

「えへへ、いっぱい撮られちゃったねぇ」


 姉さんの姿を収めた写真をスライドさせながら館内でのことを振り返る。皿の上で誘惑してくる理子姉、海賊に捕まっている理子姉、鳥籠に囚われている理子姉……どれも手を出す一歩手前でぐっと堪えた写真だった。姉さんの表情が良くできてるものだから余計に感情移入してしまったのだろう。

 家に帰ったらちゃんと整理するか、と思いながらクレープをむしゃむしゃ食べていると、ふと理子姉から熱い視線を感じた。


「姉さん?」

「将君……それはダメだよ……」


 理子姉の目が小動物をかわいがる時のように優しいものになっていて、身体も心なしかこっちに乗り出しているような気がする。ちょうどこんな感じの声色の時、理子姉はまさに「限界化」しようとしている寸前で……


「え、理子姉、どうしたの……!」


 そう言われた時、ふと頬にクリームらしきものが付いていることが分かった。すぐさま何が起きるかを察した俺は無意識的に手で拭こうとしたが、それは姉さんの手によって防がれてしまう。周りに人がちらほらといる中、理子姉は潤んだ目でこちらを見てきて……


「そんな分かりやすく誘われたら、お姉ちゃん、我慢できない……!」

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