新緑と瑠璃と姉 3(終)

 それからまたしばらく歩き続け、遂に山の尾根まで上って来た。今まで周囲を覆っていた木々は腰の高さほどまで低くなって青々と晴れた空が一面に広がる中、あと一息と無理ない範囲で足を進める。

 山に入ってからしばらく景観には縁が無かったが、ここまで来て遂にいい景色を拝むことが出来た。付近には色とりどりの高山植物の花が咲き乱れ、近くを連なっている山々は夏を控えた眩しい緑色に輝いている。遠くには白い綿のような雲がいくつか浮いており、地上とはまるで別世界の光景が広がっていた。


「いい感じだな……」

「頑張って登った甲斐があったねぇ」


 額に汗を浮かせながらしばらくの間、二人で絶景を堪能する。

 スポーツドリンクを飲んで立ち休憩をしていると、隣に立っていた理子姉が頭をぽんぽんと優しく撫でてくれた。思わずそのまま理子姉の方へ倒れかかろうとしてしまったが、まだ山頂についていないからと何とか自分を落ち着かせる。


「あと少しだから、もうひと頑張りだな」

「この分だと昼過ぎには頂上に着くね。ご飯もそこで食べちゃおっか」


 細い稜線に沿って歩みを進めると、この付近で一番高い場所が近くなってくる。風も強くなり、寒さを覚えながらも二人で手を取り合って進む。そうして遂に、一枚の立て札の前に辿り着く。


「頂上……長かったようで短かったな」

「ふーっ、それじゃあブルーシート引いちゃうね」


 一番高い場所、と言う事もあって景色も一番だ。ただ、少し雲が出てきたせいか遠くまで見渡すことは出来ない。それでも近くの山肌の赤茶けた様子は圧巻だし、何より周りの物が全て自分より低い場所にあると言う事が見ていて信じられなくなる。

 そんな風景だけど、一番嬉しいのは隣に理子姉がいることだった。


「よっこいしょ……あーっ、ここでも風が強いから大変だね」

「それじゃこっちに荷物置いて、ほら」

「いい感じ。将君偉いぞぉ」


 並んで腰を下ろし、頂上からの風景を自分たちの物にする。

 他に人が来る様子もなく、理子姉と二人きりだった。風除けの岩が近くにあるけれどそれでもシートの端はバタバタと忙しなく動いており、登山用の服装に身を包んでいても冷える。それ故か、自然と理子姉と距離が縮まっていく。


「お昼ご飯は……お姉ちゃん手作りのおにぎりだよ!」

「理子姉が作ったの? これ全部? 凄い……」


 姉さんがザックの中から出したのは、アルミホイルに包まれたおにぎりがぎゅうぎゅうに詰まった弁当箱。理子姉と二人で頂上にいるせいか、それらはいつも食べるようなおにぎりと比べてもきらきらと輝いていて魅力的だった。


「はい、将君の好きなツナマヨだよ」

「お、ありがとう、理子姉……!」

「他にもいっぱいあるから焦らないでね♪」


 姉さんから受け取ったおにぎりをアルミホイルの中から出す。白くつやつやとしたご飯が眩しい。そのままかぶりつくと、心地よく冷たいご飯とツナマヨのまろやかな味が口の中に広がってあまりの美味しさに目を瞑って唸ってしまう。


「んん……これ凄く美味しいよ理子姉!」

「そう? 将君が喜んでくれて良かった……お姉ちゃんも食べちゃおっ」


 理子姉が一つ一つ握ってくれた、それだけで嬉しくて仕方がない。

 そんな俺を見つめている彼女は本当に優しそうな「お姉ちゃん」の目をしていて、その前では余計な事を考えず純粋な気持ちになってしまっていた。姉さんに甘えることが心地よくて、笑ってくれたり褒めてくれたりすることが嬉しくて……


「理子姉、好き……」

「んぐっ……あはは、またふにゃふにゃになっちゃったの?」


 おにぎりを一個食べ終わり、安心しきって理子姉にもたれかかってしまう。姉さんは力が抜けた俺を優しく受け止めると、正面からぎゅっと優しく抱きしめてくれた。

 ブルーシートの上に横になり、身を寄せ合って暖め合う。風は強いけど姉弟で一緒ならちっとも寒くはない。


「大丈夫だよ、お姉ちゃんがちゃんと面倒見てあげるからね?」

「うん……好き……」

「えへへ、私も将君のことが大好きだよ……」


 蕩けた理子姉の顔が目の前にある。好きな人と二人きりで見つめ合っている幸福感が胸を満たし、頭が沸騰する。


「将君……だいすき」


 んちゅ、と音を立てて唇が触れ合った。理子姉の口の中は僅かに鮭の塩っぽい味がして、心地よい舌触りに息を吐くとそれすらも姉さんの物になってしまう。互いの背中へ回している腕も力が篭り、服が擦れあう中で相手の身体の凸凹を確かに感じながら、呼吸に熱を帯びさせる。


「んっ……将君、ちゅぅ……」


 一口吸われる度に姉さんのことが一層好きになっていく。とろとろに流れる唾液を舐め取りながら、ほんのりと甘くなっていく蜜の味に酔いしれる。頭の中がぼうっとしてきて、照り付ける日差しも受けて身体が熱くなっていく。


「世界で一番、大好きだよ……んんっ……♡」


 山登りの疲れもあってか、なんだか一眠りしたくなってくる。あれ、今は晴れてるけど、理子姉とお昼寝しちゃって大丈夫かな……?



 寒気を感じて目が覚める。身体を起こすと、既に空の端が赤く輝いていた。いつのまにかぎちぎちにしがみついている理子姉を揺さぶって寝すぎたことを知らせる。


「あんっ……さ、寒い……」

「帰るぞ理子姉、このままだと日が沈んで下りられなくなる!」


 幸せな時間から一転、人生の修羅場が訪れる。

 状況を把握した理子姉はとても悲しそうな顔をしており、慌ててブルーシートを片付けた後もその表情は張り詰めて余裕が無かった。


「ごめんね、お姉ちゃんがしっかりしないといけなかったのに……」

「理子姉だって疲れてたんだ。何も悪くないし、俺だって同罪だ。早く下りよう」

「い、急ぎ過ぎるともっと駄目……ライトあるから慎重に行こうね」


 冷えた身体を動かしながら二人で尾根を戻り、風の届かない森の中へと戻る。だがそこは光が届かないせいで薄暗く、夜が近いことは明らかであった。理子姉からライトを受け取り、二人で光を振り回しながら木の根に気を付けて下山していく。

 暗い森の中、風で木々が揺れて不安感を煽られるが、それでも理子姉と二人で進む。


「将君、怖くない?」

「理子姉と一緒なら」

「うん……私も、将君と一緒だから、怖くないよ」


 まだ少し寒い身体を震わせながら、俺が理子姉の手を引くように歩いていると、遠くから水が流れるような音が聞こえてきた。一度立ち休憩をしたあの沢だ。雰囲気は違えど、音は同じだった。


「一回休むか」

「そうした方が良いね……」


 緑からうってかわって濃青色に染まった森の中、行きに来た時と同じ岩に座る。もう一度身を寄せ合って互いを温め合い、夜の不気味さに負けないよう相手の存在を確かめた。


「なんか、ここまで暗いとお化けとか出て来そう……」

「理子姉が言うと怖くなってくるから……」

「ご、ごめんね。お姉ちゃんもちょっと不安になっちゃって」


 こちらを見た理子姉はひどく緊張した表情を浮かべていた。

 少しでも姉さんを楽にしてあげたくて、俺は彼女の頬にそっと口づけをする。


「将君……」

「大丈夫だから、理子姉」


 昼に食べる予定だった残りのおにぎりを鞄から取り出し、二人でもぐもぐと頂く。中に入っていたのは梅干しだ。酸っぱさが疲れた身体に染みるようで、あと少し頑張れそうな気がしてくる。


「ん、私のはツナマヨだ……頂上で将君が食べてたのと同じだね」

「俺のは梅干しだな。理子姉が握ってくれたおにぎり、やっぱり美味しいよ」


 二人でおにぎりを食べ終わり、理子姉がふとペットボトルのお茶で水分補給をする。姉さんがすっかり油断しきっているその瞬間、俺はそのペットボトルを横からひょいと奪い取って一口飲んでしまった。


「あっ」

「んくっ……ちょっと理子姉と間接キスしたくなって」

「んもーっ、お姉ちゃんをからかっちゃ駄目だよ……」


 行きのお返しと言わんばかりに言い訳をすると、姉さんは両手で顔を覆って照れ顔を隠す。そして俺が返したペットボトルにそっと口を付け、ぼんやりと幸せそうに目を細めた。


「なんだか酸っぱくて、ちょっと甘い……また、姉弟で間接キスしちゃったね」

「そう、だな」


 理子姉と見つめ合っているだけで心が温かくなっていく。このまま彼女と二人で遊びたい――だが、その前に帰らなければならない。


「早く戻ろっか、将君。今日は車でお泊りしようね」

「その方が良いかも」


 立ち上がり、軽く手足を解した後に下山のラストスパートに入る。とは言っても急ぐことは無い。むしろ夜の山を楽しむ位にゆっくりと、理子姉と二人で降りていく。

 沢が遠くなり、森はいよいよ鬱蒼とし始める。見たことのある景色だった。


「ありがとね、将君。山登りに付き合ってくれて」

「俺も楽しかったから大丈夫だよ」

「あはは、将君ったら、お姉ちゃんを喜ばせる名人なんだから」

「何年も一緒にいるから……それに、これは本心だし」

「むーっ、将君のお姉ちゃん殺し! お姉ちゃんを駄目にするなにか!」


 二人で下山しながら、ダムでなぎささんに言われたことを思い出していた。

 確かに俺は理子姉の前だと弟になってしまう。だったら、変に大人ぶらずにどこまでも「弟」に――姉さんが骨の髄まで溶けてしまうような、お姉ちゃんのことが大好きな弟になってしまえばいいんだ。


「理子姉の事、大好きだよ」

「えへへ、何回言われても嬉しいなぁ。私も、将君の事が大好きだからね……?」


 甘い雰囲気を漂わせながら夜の山をドキドキした心地で下りる。最初は不安だった下山も気が付けばもう終わろうとしており、理子姉と二人きりで歩くこの時間が終わってしまう事に寂しさすらも覚えていた。

 最後に姉さんと手を繋ぎ、例の「登山道」と書いてある看板の前まで戻ってくる。なんとか下山することが出来た。それで安心したせいか、どっと疲れが押し寄せて俺も理子姉もくたくたになってしまう。


「なんだか眠くなってきちゃった……車の中でおねんねしよっか」

「うん。でも、荷物一回片付けよう」


 車のトランクにザックを降ろし、履いていた登山用シューズの紐をほどいて足を解放させる。ぎちぎちに締まっていた足が靴下越しに外気に晒されると、なんだかほわほわと痺れるような幸福感でいっぱいになる。


「んんっ……♡ 脱ぐの気持ちいい……っ」


 理子姉が悩まし気な息を吐く横で、あまり変なことを意識しないようにとレインスーツの上着も脱いで楽な格好になる。半袖姿になってふと隣を見ると、なんとそこでは姉さんが上半身下着姿になってトランクの中を漁っていた。

 白地にエメラルドグリーンの花模様が入ったブラだった。鎧のようなレインスーツに覆われていた姿をずっと見ていた為だろうか、自由になった彼女の身体を見るだけで息が乱れて、何か言おうとしても言葉が出て来ない。

 姉さんの胸の形は滑らかで美しくて、大きさもある。腰はくっと締まっていて胸の大きさが一際目立ち、下着によって整備された谷間は一度見てしまったら目を離せない魔性の空間だった。


「ん……どうしたの? そんなにお姉ちゃんのおっぱいに興味ある?」

「あ、ええと、外で脱ぐのはまずいんじゃないかって、あはは」

「うーん、なんだか将君が嘘を付いているような気がするなぁ……?」


 白い無地のTシャツを被った後、理子姉はそっと俺の肩に手を一つ載せる。そうして、あの「お姉ちゃん」の目で俺の事をじっと見てくる……


「ねえ……私の身体を見て、興奮しちゃった?」


 そんな目でそんなこと言われたら、もう嘘なんてつくことは出来ない。ああっ、白状しちゃうんだ、理子姉を見て興奮したって言っちゃうんだ……






「むーっ」

「理子姉、どうしたの?」


 疲れが溜まっていたのだろう、あれから車の中で二人、朝まで爆睡という有様だった。そう言う訳で家に帰ったのはお昼時。居間で二人横になってごろごろしていると、スマートフォンに通知が入ったのを見た理子姉が何やら唸った。


「なぎさちゃんにメールでさ、アレを添付して送ったんだよね」

「アレ……?」

「それでさ、『そんな事してはいけません』って思いっきり怒られちゃったの」


 少々意地悪そうな顔の姉さんはクックックとしてやったりの顔である。後でなぎささんにエライ目に遭うな、と天井を仰いでいたら、隣に理子姉がぴったりとくっついて肩に首を乗せてきた。すん、とそこだけが重くなる。

 大切な人の体温を感じられるだけで心も温まって、幸せになれた。それがただ嬉しい。


「でも、しょうがないよね? 私、将君の事が好きでたまらなかったんだから……」

「り、理子姉……」


 姉さんの言葉一つで頭の中がぐらぐらと煮立ってしまった。

 居間の扉が開き、愛理姉が冷やし中華を運んで来ようとしているタイミングで俺は理子姉に抱きついてしまう。紺のTシャツの生地ごしに伝わる胸の柔らかさで駄目にされる……


「あ、あれ、将君……?」

「りこねえ……すき……」

「あはは、ごめんね、将君がメロメロになっちゃった」


 困惑する愛理姉の前でも俺は理子姉から離れることが出来なかった。優しくて、頼りになって、そしてちょっとえっちな姉さんは心の底から好きと言える人だ。そして――


「もう、本当にかわいいなぁ……♡」


 理子姉の前だと、どうしても、子供みたいに甘えたくなっちゃうんだ……

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