商人の姉 1(百合姉)

 オンラインゲームというものにはプレイヤー間の物品のやり取りができるシステムがあり、まるで現実の通信販売のように個人個人でやり取りすることでお買い物ができるという。そこでは前のイベントの限定アイテムや敵の激レアドロップが高い価格で流通していてプレイヤーの中にはそこで一儲け企む者もいるのだが……


「百合姉、何やってるの?」

「変なメッセージ来たから捌いてるのよ……ごめんなさいね」


 姉さんたちとゲームをする時に何をやっているかは誰としているかで変わるのだが、百合姉とやっている時は基本的に農場で野菜を育てたり動物を育てていたりすることが多い。とは言っても百合姉の職業は「農民」などといったものではない。むしろ、逆に農民を駆り立てる側の「行商人」であった。

 今日も今日とて百合姉はフィールドのあちこちで野菜と肉を回収してはそれをスキルで料理に変えて売りさばいている。もともと喫茶店を経営していることもあってかそういった物と金のやり取りは得意らしい。馬に乗りながら地図を広げる百合姉の後ろで俺は一息ついていた。


「こっちが提示した値段の半額以下で買えないかって来るのよ」

「そりゃ無茶苦茶だ……」

「直接会えば今度はお茶に誘ってくるし、本当に困っちゃうわね……」

「俺が返事しておく?」

「そうね、本当に困った時はお願いするわ」


 ウィッシュリストにメモ帳といった、普段プレイする上ではあまり使わない機能を百合姉はガンガン使い倒して持ち金を増やしていく。俺はそのお手伝いとして、野菜の収穫だったり料理の手伝いだったりのお使いを頼まれるわけで。


「とりあえずメール確認はこれくらいにして……さあ、素材集めに行くわよ」

「ああ、分かった」

「付き合わせて悪いわね。いつも同じことやってるから退屈でしょ」

「そんなことないよ」


 そんなことない。そう、これはお世辞ではなく本心からの言葉である。


 VR世界の百合姉は素早さ重視の装備だから全体的に服が薄くて、上に羽織っている外套も薄地だから身体のラインがそれはもう分かりやすくて……おっといけない、これ以上変な事を考えていると百合姉に察知されてしまう。


「後でじっくり見せてあげるわよ」

「うん……ん?」

「それじゃ、さっさと済ませちゃおうかしら」


 馬を走らせてフィールドに点在する農村地帯を駆け抜けていく。その中で百合姉が土地の所有権を持っているエリアに辿り着き、そこで黄金色に実っている小麦を二人で収穫し始める。ステータス的には百合姉も戦えるキャラクターなんだろうけど、たまにはこういうのも悪くない。

 何も戦う事だけがゲームではないのだ。こうやって平和な世界で暮らしているのも一興である。


「ところで、この後時間はあるかしら?」

「ん、いや、特にないけど」

「それならちょっと付き合って欲しいことがあるのよ」


 目の前に迫っていた百合姉が両肩に手を置くようにして距離を詰めてくる。

 現実世界でもそうなっているから、百合姉の匂いがすぐそばまで迫って来てて……


「どうしたの?」

「あ、いや、なんでも」

「ふふ、別にいいのよ。長い間一緒にいるんだし、隠そうとしても無駄……」


 百合姉がわざとらしくフーっと鼻先に吐息をかけてくる。自分を保たないと、という気持ちが薬を撒かれたように枯れて行き、姉さんの肩の上にぽくりと首を載せる。すっかりひ弱になってしまった、自分ながら情けないことだ。


「あら、倒れるふりして私のことを抱きたかったの?」

「ち、ちがっ」

「駄目よ。そんなことしたら貴方、また牢屋に入れられちゃうじゃない」

「そんなぁ……」


 せめてでも、と百合姉の胸の感触を感じながら名残惜しく離れる。

 あまりにがっかりした顔をしていたのだろう、百合姉は呆れたように苦笑した。


「あのね、流石にちょっと色ボケし過ぎよ」

「うん、自分でも分かってるつもりなんだ……」

「将のことは大好きだし沢山甘やかしたいとは思ってるけど、ちゃんと一人で最低限は出来るようにならないとダメじゃない」

「返す言葉がございません……」

「でも、そうね」


 少し考えた後、百合姉は悪戯するような顔になって――


「まだしばらくは、それでもいいんじゃない?」

「え……?」

「タイミングが合えばちゃんと甘やかしてあげるわよ。たっぷりとね……」


 頬に優しい口付けをしてから、また作業に戻っていった。今すぐにでも百合姉に甘えたい気持ちをなんとか押さえつけながら俺も作物収穫の為に麦畑の中に身を潜らせる。


 ちょっとだけお金の話をすると、家の収入の大半は歌手である理子姉の稼ぎから成っている。残りは百合姉が経営する喫茶店の給料で割合としては理子姉の方が圧倒的なんだけどそれでも百合姉は妹に甘えることなくしっかり働いている。ちゃんと喫茶店も黒字になっていて、雇っている希さんも沢山給料をあげているらしい。

 つまり、ちゃんと定休日以外は働いているのである。その空き時間で俺とか姉さんたちと何かやっていたりゲームしたりしているのだ。


「百合姉、ゲームでもこんな仕事みたいなことしてて大丈夫なの?」

「仕事だと思ったことはないわね。目標の為の努力かしら」

「目標? そのために行商人やってるんだ」

「お金があればどんな人でも言うこと聞かせられるじゃない」

「え」


 夕方、百合姉の喫茶店。他のお客さんが帰った後、店じまいの時間まで俺は客席で百合姉の話を聞いていた。


「決定権のある立場になるのは楽しい事よ。好きな人を狙って雇えるし……」

「それってもしかして、希さんのこと?」

「ふぇ、何か呼びましたか?」


 バックヤードの方から希さんが出てきたからなんでもないアピールをすると、彼女は頭に?を浮かべながら戻っていった。百合姉はそんな彼女の背中を見ながら穏やかに微笑む。


「私は将のことが大好きだけど、それに負けないくらいにあの子のことも好き。千秋とは白金組の頃から付き合いがあるけど、彼女とは何もなかったから。だからしっかり経営してつなぎとめてるのよ」

「へえ……」

「ゲームも同じ。ああいうオンラインゲームは一緒にやる人が大事だと思ってるから、自分で友達を選べるようにお金を稼ぐのよ。特にあのゲームだと戦力以上に経済力が大事になるみたいね」

「そこまで考えたこと無かったな……」


 なんとなくこれまでの自分を省みてみるも、ゲームをする時に特に何か大きな目標は無かったような気がする。強いて言うなら姉さんたちと一緒にゲームしたかったから一緒にやっている、というだけで……


「将来のこと、少しは考えてみるといいわよ。プレッシャーを掛けたいわけじゃないけど、あなたの人生を豊かにするために、何か目標を作るといいかもしれないわ」

「目標、か」

「最初は小さくてもいいの。小さい目標を三つクリアするだけでも成長は見られるわよ」

「勉強になります」


 流石は百合姉、と言わんばかりの言葉の連続にただただ恐縮するしかない。かつて白金組という生死の境に近い場所で生きていたためだろうか、姉さんの目には俺とは違ったものが見えているのかもしれない。自分のことも、将来のことも、世界のことだって……そう考えながら百合姉のことを見ていると、なんだか彼女が全く別世界の人間に見えてきてしまった。それと同時に、そんな人の傘の下で生きていられることにちょっとだけ安心してしまう。

 目標を決める……俺は、どうしたらいいんだろう?


「ん……」

「あまり考え込まなくていいじゃない。時間ならいくらでもあるんだから」

「そうかな」

「人はいつだってスタートできるの。何度でもね」


 窓から差し込む西日が百合姉の顔を横から照らす、妙に現実離れした風景に見惚れていた。このまま眠ったら別世界に生まれ変われるのではないか、そう思えるくらいに幻想的な喫茶店で俺は自分自身を見つめることになるのだった。

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