逆らえない姉友 3

 幼稚園児の口調で喋れ、と希さんに命令したら、彼女の口調だけではなく心までも子供になってしまったようだった。適度に楽しんだら解放することにし、とりあえずしばらくはこの状況で彼女と会話してみることにする。なんか幼児退行した希さんを見ていると妙に心の中がざわつくし。


「希さん、じゃあ、さっきまで何をしていたか教えてくれますか?」

「えっとね……」


 口元に人差し指をあてて上を向く、そんな分かりやすい姿がしっかり可愛いからついつい見てしまう。


「ようちえんで、おもらし、しようとした!」

「どうしてそうしようと思ったかな?」

「ひとの、たくさんいるところで、おしっこするの、きもちいいもん……」

「あぁぁ……」


 精神こそ対抗しているが性癖は筋金入りのままだった。

 一体どうしたらよいのか。こんなこと話す子供など見たことも聞いたこともないぞ。


「だからね、のぞみ、おむつ履いたの」

「……今日、何枚目のおむつ?」

「にまいめ、です。ちゃんと自分で履き替えたよ……」

「わー、えらいねぇ」


 ちょっと嬉しそうに自分ができたことを伝えてくる希さん。や、既に一回やっちまった後だったのか。結構朝早く着たつもりだったけど早朝からこんな感じ……?

 困惑。とりあえず希さんの頭を撫でてどうするか悩んでいると俺のスマートフォンに百合姉から連絡が入ってきた。どうやら希さんが店に来ていないらしい。ってもしかして、希さん今日シフト入ってたのにそんなことしようとしてたの!?


「希さん、お店」

「ふぇ?」

「あーもう、百合姉に事情を伝えるしか、ああ、怒られるかな……」


 急ぎで通話をかけてどうやって謝るか必死に考える。

 頭が真っ白のうちに姉さんに通話が繋がり、何とか言葉を選びつつ話した。


「ごめん百合姉、後でなんでも手伝うから。今何が起きてるかって言うと……」


『……んー、大体わかったわ。大丈夫よ、将を責めはしないわ』

「本当にごめん、今日シフト入ってたんだ」

『そこまで忙しくないからシフトは大丈夫よ。それと、希に代わってくれる?』

「え、希さんに?」


 何とかお咎めなしになったが、その後に百合姉から要求されたのは希さんとの電話だった。口の中に指を入れて遊んでいる彼女を見た俺はこの状況で代わっていいのかと不安になるが、百合姉がそう言うならやるしかない。


「わかった、でも、そういう事情だからね。じゃ、代わる……」

「せんせえ?」

「希さんにお電話だよ。ちゃんとお話できるかな?」

「うんっ、やってみる……!」


 もしかしたら百合姉相手ならば普通の口調に戻るか。

 そう思って聞いていると――


「もしもし? ゆりせんせえ、あのね……」

『……?』

「いまね、せんせえとおもらしの話をしてた!」

『そう……どう? 楽しい?』

「うんっ、恥ずかしい所、見られるのたのしい……」


 希さんの顔が徐々に赤くなっているのがこちらから見ただけで分かる。幼児退行している希さんと、ちゃんとまともに生活している時の希さんがぶつかっているのだろう。精神関係のことはなんにも分からないけれどそうとしか説明がつかない。


『でもね、希。あなたにはお仕事があったこと、覚えてる?』

「おしごと……? あっ、わすれてた、ごめんなさい……」

『ごめんなさい、じゃ済まないのだけど。まあいいわ。そこの"先生"に任せるから』

「はーい……」


 向こうから代われと言われたのだろう、少しして希さんはこちらへスマートフォンを返してくる。こちらが代わると百合姉が長い溜息をつき、少し諦めたような声で話しかけてくる。


『まあ、こうなった以上は仕方ないわ。希のことよろしくね』

「店のことは大丈夫?」

『今日のお客さんの入り方だと心配はいらないわね。詳しいことは後々連絡するからそれまで希を預かっておいてくれる?』

「わかった」

『お願いするわね、"センセイ"?』


 最後に百合姉からそう言われてドキドキしてしまい、そのまま百合姉との通話が終わる。希さんは徐々に現実に意識が戻って来たのか顔が引きつってきており、口の端から涎をダラダラ垂らしながら泣きそうな顔で俺のことを見ている。

 中途半端に現実を見ているのはかわいそうだから、そろそろこの辺にするか……


「希さん、いつもの口調に戻ってください」

「はい……ぐすっ」

「ほら、泣かないで。休んじゃったことは残念だけど」

「あ、あとで、店長に、お仕置きされますっ……」


 どうやら本当に現実を理解してしまったようだ。だが社会人としてやらかしてしまった罪悪感以上に心の底で悦んでいるのが分かってしまう。分かりたくないけど……


「あ」

「希さん?」

「あっ、まって、あ、ああっ、あああ……」


 立ち上がろうとした希さんが何かに気付いてテーブルに手を突き、そのまま膝をがくがくと震えさせて熱い息を吐き始める。中腰のまま身をよじらせるようにした彼女は俺の方を振り向き、幸せの絶頂とも呼べる顔でこう呟いたのだった。


「ごめんなさいっ、も、漏らしちゃいましたっ、はあっ……♡」

「え……まさか」

「ひゃいっ♡ その、まさかですっ♡ ん……」


 ふらふらと足元のおぼつかない希さんはこちらへ歩いて来ようとするが力が入らないせいでバランスを崩してしまい、俺の身体に掴まってようやく安定した。

 頬と頬がくっつくとびっくりするくらいに熱い。まるで病人かと勘違いする位には具合悪そうだが、これが彼女の没入しやすい性格によるものだと考えると納得はできてしまった。


「少し休みましょう、ほら、着替えて」

「はーい……♡」


 このままではどうにもならないためとりあえず希さんの肩を持って一緒に脱衣所へ向かう。その間も、彼女はどこか壊れた様子でにへへと笑い続けていたのだった……

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