油断した姉友 1(なぎささん)

 図書館にはあまり行かないが、何かのついでに寄ることはたまにある。そう、例えば近くの広場でイベントをやっていた時。夏の日差しから逃れるため、騒がしい世間から逃れるためにうってつけのこの場所は今時期とても重宝する場所だった。

 館内の規約に従って飲料系はフタが閉められるものに限定されるが、あってないようなもの。テーブルの端の方で座って喉を潤し、歩き回っていた足腰を休めるためにしばし机に突っ伏した。近くで他の人がノートPCのキーボードをたたいていたり、カリカリとシャーペンを走らせる音が木板を伝わって響いてくる。


(外に出るのは気分転換になるけど、暑いなぁ……)


 夏の日差しは色々なものを奪っていく。集中力とか、理性とか、精神的なものを。だから最初は見間違いだと思ったのだろう、ふと顔を上げた瞬間に見たことのあるサイドテールが遠くで揺れる。

 目を擦り、細くして焦点を合わせながらその髪型の人を見た。

 やや青みがかった髪をサイドテールにしているその人は、理子姉のマネージャーを務めている知り合いのなぎささん。今日はオフなのかスウェットとジーンズと言う非常に緩い格好で図書館に来ていた。


(小説でも読んでるのかな、まぁ、なぎささんもオフの日はあるからな)


 なにやら恋愛小説を読んでいるようだった。前に彼女の家で見たことがある。

 図書館の中でもあるし、あまり大声で話すと周りの人たちの迷惑にもなるだろう。なぎささんには声をかけないようにしようとしたが、その瞬間彼女が何かに気付いたようにこっちの方を見る。

 何故気づかれたのかは分からないが、なぎささんが俺のことを見つけてしまった。


(あ)


 程なくして、彼女はそそくさと恥ずかしそうに他の机に行って見えなくなってしまった。その後にスマートフォンに通知が入り、彼女からの「なんでいるんですか」という理不尽極まりないメッセージを受け取る。うぅん理不尽。


『外のイベント気分転換できてました 休憩してたんです』

『服装については何も言わないでください』

『わかってます』

『将さんに会うんだったらもう少しマシな装いで来てたのに』


 その後に「なんで先に言ってくれなかったんですか」という追撃。ぷんすかとしている顔文字までついてきた。なんか知らないけどこっちが悪いものにされている。


『もしかしなくとも不機嫌ですよね?』

『当たり前じゃないですか!せっかく図書館で小説読んでたのに』

『あの恋愛小説ですね』

『なーーーーーーーー!!!!!!!』


 やべっ、触れちゃいけないところに触れちまった。

 そう思っているといつの間にかなぎささんに背後を取られていて、肩を叩かれた俺は彼女と一緒に図書館の外に連行されることになる。うう、涼しかったのに……


「本っ当にデリカシーないですね将さんは」

「すいません……まさか地雷だとは……」

「いいですよ別に。ただ――」


 うなだれている俺の肩をぽんぽんと叩いて顔を上げさせる。

 じっとこちらを見つめながら、彼女は意を決したような顔でこう言った。


「今日一日、私とデートしてくれれば帳消しにします」

(選択肢ない奴だこれ)

「するんですか?」

「します」

「物分かりのいい子は嫌いじゃないです。じゃあ……」


 そこまで言った時、外のイベント会場からなんかいい感じの焼けた肉の香りが漂ってきた。匂いの発生元ジャンボ焼き鳥は俺となぎささんに何とも言えない空気感を勝手にもたらしていく。


「……なぎささん、お昼食べました?」

「まだ、です。読んだ後に食べようかと」

「どこかで食べません? とは言ってもここは混んでますし……」


 二人で少し考えた後、同じ結論に達した。


「近くに牛丼屋さんがありましたっけ」

「ではお昼はそこで食べましょう。せっかくなので将さんの分は私が出します」

「それでいいなら、お願いします……」

「……なんか違いますね。もっとこう、奢ってください、ってないんですか?」


 どうも俺の言動がどこか気に食わなかったのか、なぎささんは面倒くさそうに重箱の隅をつついてくる。やっぱり図書館の中でのことが相当イライラさせてたんだ……


「それってもしかして、弱弱しく、子犬のように、みたいな……?」

「分かってるじゃないですか、そうですよそう」

「……こほん」


 一呼吸置く。そして、首を垂れた俺はなぎささんの服の裾をそっと掴んだ。


「あの……お昼ご飯、奢ってくれませんか? お金が無くて、なぎささんしか頼れる人がいないんです……」

「仕方ないですね、今日は私が出してあげます。今日だけですからね?」

(なんか今日のなぎささん面倒くさい……)

「貴方が可哀そうだから仕方なく奢るんです。勘違いしないでくださいっ」


 そう言ってなぎささんは俺の手を引っ張りながら近くの牛丼屋さんへ向かい始める。どうやら今日の彼女は頭の中が少女漫画になっているようだ。行き先は牛丼屋だけど。




 中に入り、券売機でいつも頼んでいるチーズ牛丼を注文。程なくしてやってきたそれを空腹に任せて掻き込む。なぎささんも隣でまぐろユッケ丼を無言で食べていた。


 ――とてもではないが、デートの雰囲気ではない。


(なんか腑に落ちないところはあるけど、昼ご飯奢ってもらえたからまあいっか)

(なぎささん、何考えてるんだろうなぁ)

(話しかける雰囲気でもないからなぁ)


 もぐもぐ、もぐもぐ。もぐもぐ、もぐもぐ……

 そうして美味しい牛丼を完食し、なぎささんと二人で店を出る。


「すいません、お昼をご馳走になって」

「いいんですよ……ん?」


 なぎささんが何かに気が付いたようにして店の前で足を止める。

 そして俺の方を見て、やってしまった、と顔を両手で覆った。


「デートで牛丼屋って……絶対に違う……」

「なぎささん、えっと、落ち着いて」

「今日は完全にオフモードだったんです! ちゃんとした日のデートだったら牛丼屋とかじゃなくてイタリアンとかおしゃれな店に行きますから!」

「わーっ! 店の前でそんなこと言わないでください!」


 普段、理子姉と仕事をしている時はあんなにキリっとしてて真面目でかっこいいなぎささんが今日と言う今日はこんな感じになっている。彼女の「オフの日」に不用意に関わってしまったが最後、俺は諦めてなぎささんとの「デート」を成立させようと頑張ることになるのだった。

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