メカニックの姉友 3(終)
日々の仕事で溜まりに溜まっていた物が解放されてしまったのか、なぎささんが元に戻るまでには随分と時間を要してしまった。流石の理子姉も状況を理解したらしく、我が儘をぶつけるよりも先に何か考え事をするように天井を見ていた。事務所の私室のソファに座っていた俺は、肩にもたれかかりながら幸せ心地になっているなぎささんの様子を見守っている。
「……ねえねえ、仕事終わった後、二人でどこか行って来たら?」
「いいのか? でも事務所の仕事があるんじゃ」
「あー、それね、私の方から説得しておくよ。なぎさちゃんは真面目だから仕事がない時も自分から働いちゃうことがあるんだよね。それに今日やらなきゃいけないことは終わってるし」
仕方なさそうに理子姉は溜め息をつくとスマホでどこかに電話をする。そうして、なぎささんが早帰りする旨を伝えると通話を切った後になぎささんの前へしゃがみ込んだ。
「なぎさちゃん、今日だけだぞ。おうちに帰ったら私がいっぱい甘やかすから、それまで足りなかった分しっかり将君成分を補給してきなさい」
「はーい……」
「んじゃ、これで決まりだね。ほら、なぎさちゃん立って。事務所出るまでは我慢しなきゃ、また変な噂立っちゃうよ」
なぎささんをもう一度真人間に戻し、三人で事務所を出る。受付の人も事情を聞いている為か快く見送ってくれた。そうして地下駐車場に出た俺たちはそれぞれの車に分かれる。行きは理子姉の車に乗っていたが、今回俺はなぎささんの車に乗ることになった。
「それじゃ、よろしくね。なぎさちゃん」
「すいません、失礼します」
「固くならないのーっ、どうせすぐエロエロになっちゃう癖に」
「う……理子さん……」
「そうそう、将君、これ持って行ってね」
苦い表情をしたなぎささん。その目の前で理子姉は俺に布バッグを手渡すと、先に車に乗って駐車場を出て行った。程なくして俺たちも車に乗って狭い車内で二人きりになる。
「なぎささん……家、行っていいですか?」
「ああ、すいません。家は今ちょっと散らかってて。代わりにホテルとか」
「ホテル?」
「ホテル……はい。そこでなら、大丈夫です……」
どこか遠い所を見ているような目でなぎささんはぼんやりとしたことを喋った。
理子姉から貰った物は例のVRゴーグルだった。一旦なぎささんの家で彼女の分のゴーグルを回収した後、二人でちょっと遠くの安いホテルに部屋を取る。なぎささんの要望でダブルルームを取り、緊張した面持ちで部屋に入った。
部屋の中に大きなベッドが1つだけ。つまりまあ、そういうことで。
「えっと、将さん、これは、ゲームする為ですからね」
「そりゃ、まあ、勿論ですよ」
「やっぱり広くなくちゃ、ですから」
楽な格好になった俺たちはベッドに腰掛けてからゴーグルを装着する。そうしてスイッチを入れた瞬間、目の前が剣と魔法と科学の世界に切り替わった。
なぎささんのキャラクターと場所を同期させたためか、普段行き来している拠点とはまた全然違った場所に飛ばされる。そこは、魔法とはややかけ離れた、蒸気機関が発達しているエリアだった。あの時に見た蒸気飛行機らしきものもゆっくりと空を飛んで貨物を運んでいる。
「将さん、私が見えますか?」
「えっと……はい、見えました。大丈夫です」
なぎささんのいる方をを見ているとリアルタイム同期が終わったらしく、彼女のキャラクターがそこにすっと浮かび上がった。上下共に青い作業着のような物を着ていたが、それがなんだか真面目な性格である彼女にぴったりと合っていた。
どうやらここはなぎささんの私有地らしい。大きなガレージのような場所にいた俺たちは、そこに止まっている一機の飛行機を二人で見上げた。
「せっかくですから乗りませんか? あれから結構改良したんです」
「あ、じゃあお願いします」
「将さんは後ろに乗って下さい」
言われるがままになぎささんの後ろの席に乗るとしばらくして両横から蒸気プロペラの音がパリパリ鳴り始めた。ガレージの戸が開き、光の中へ二人で進んでいく。
「もしかしたら酔うかもしれません。辛かったら言ってください」
「分かりました」
直線状の道で加速した飛行機は頭を持ち上げて空へと舞い上がった。周りの景色も一気に小さくなり、これまで自分が歩き回っていた世界が本当にちっぽけに見えてくる。3D酔いの心配も特になかったようで、なぎささんとの飛行機デートは楽しめそうだ。
「もう少し上げます」
すいー、と雲の間を抜けて限界高度付近まで上昇する。
同じ高さにいるのは俺となぎささんの2人だけ……かと思いきや、雲海から巨大な白鯨が飛び上がった。ゆっくりとアーチを描くように空を舞うそれは俺たちの上を超えていって雲の中へ戻る。
「珍しいですね、いつもはいないんですが……」
「なぎささん、あれって」
「この辺にいるレアモンスターですね。温厚な性格なので自分から襲っては来ません」
蒸気飛行機に興味を示しているのか、鯨は俺たちのちょうど真横を並走するようにして雲の中を泳ぎ始めた。それを引っ張っていくようになぎささんは自由自在に風を切る。機体の後ろに座っていた俺からなぎささんの顔は見えなかったけど今を楽しんでいる様子が伝わってきた。
「別荘に行きませんか?」
「別荘?」
「この辺に作ってるんです。普段は人を誘わないんですが」
「なぎささんが良ければ、行きたいです」
青空の中を航行した後、なぎささんの運転する飛行機は雲より高い断崖にある一軒家の近くに止まった。そこが彼女のもう一つのセーフハウスらしい。拠点の中に入り、白い雲が窓の外を流れていくのをゆっくり眺めていると、なぎささんはベッドに座って隣へ来るようにぽんぽんと寝台を叩く。
「こっちの方がよく見えますよ」
言われるがままになぎささんの隣に座って窓の外を見ると遥か遠くで一匹の竜が舞っている。なるほどよく見える、と思っていたらなぎささんが腕にぴたりとすり寄ってきた。そういうことだったのか。
「……なんだか、眠くなってきました」
「おつかれさまです、なぎささん」
「あの」
なぎささんは目を合わせると頭に付けているゴーグルをコンコンと叩いて音を出した。一緒に現実世界に戻った俺たちはゴーグルを机の上に置くとベッドで横になって並ぶ。そのまま寝入ってしまいそうな様子を見るに、シャワーを浴びるのすら躊躇われるくらい疲れているようだ。
こちらの手を取り、そっと胸元へ寄せて大切そうに目を閉じる。吐息が微かに伝わってきた。
「早起き、しちゃったら……ご褒美くれますか?」
きゅ、っと優しく手を握られる。それに応えるように空いた方の手で彼女を柔く抱き締めた。なぎささんは安心したような声をあげると落ちるように寝入り、部屋の中が静かになった。少ししてからなぎささんのスマートフォンがピロピロ鳴る。理子姉からの連絡だったけれどそれに彼女が反応することはない。
代わりにこちらから「今ぐっすり寝てる」とだけ姉さんに連絡した。勿論、なぎささんに光が当たらないように。
《部屋に入ったはいいんだけど、すぐに寝ちゃった》
《ほんと?結構疲れてたんだね》
《何か用事あった?》
《や、特に深い理由はないんだけどね》
すうすうと眠っているなぎささんの顔を覗き込む。リラックスできているのか力の抜けた可愛い表情になっており、それが珍しいものだからこっそり写真を撮ろうとしてみる。カシャリ、と音がした時に彼女はふにゃふにゃした声でなにかをしゃべる。
「とらにゃいで……」
なぎささんを優しく抱きしめ、彼女を追いかけるように眠りについた。
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