潮騒と姉 1(愛理姉)

 家から遠く離れた街を走るバスに乗っていた。隣にはよそ行きの格好に身を包んだ愛理姉が座っていて、はしゃぎ過ぎたのか背もたれに身体を預けたままひと時の休息を送っている。無防備な寝顔に触りたくなる気持ちを抑え、俺はゆっくりとスマホを取り出すとあまり音が出ないようにして一枚写真を撮った。

 目を閉じながらにへへ、と口を半開きにして笑う寝顔はつい人差し指で頬を突いてしまいたくなる。バスの振動で愛理姉の身体がこちらへ傾き、肩に重みが乗った。


(やっぱりかわいいよなぁ……)


 撮った写真を理子姉に送り、勝手に肩を借りてうたた寝している恋人を覗き込む。夏に相応しい青色のミニワンピース、日差しを受けて光る白のブリムハット、半袖から伸びる透き通るような腕。そして忘れられないのは腰が締まっていることで強調されているたわわに実った姉さんの胸……バスや電車に乗る前、大きなキャリーバッグを転がしている姉さんがかわいくて何度抱きしめるのを我慢したことか。

 程なくして理子姉からは「おつかれだねー」と気の抜けた返事が届く。うん。


 バスが森の中に入ると日差しが入らなくなって辺りが薄暗くなった。だがそれもしばらくすると明るく開け、お目当ての光景がぱーっと飛び込んでくる。車内が明るくなったこともあって愛理姉は目を覚まし、窓の外を見てわっと声を上げた。


「将君、外、綺麗だよ!」

「お……!」


 手前に砂浜の白い粒、奥には太平洋の青を塗りつぶした贅沢な光景。その中に白い岩が目立つ小島が立ち並び、この場所を景勝地としてより一層魅力的にしていた。天気にも恵まれたおかげで予想以上の満足度が得られて俺も姉さんもつい微笑む。

 太陽にも負けないくらい輝く笑顔の愛理姉。遠かったけど、来てよかったなぁ……




 時は遡って一週間前。その日、俺は台所で愛理姉が昼御飯の片づけをするのを手伝っていた。その時に何となく流していた昼のラジオがこんなことを言ったのである。


『いやー、間もなく各地で海開きですが、皆さん海に行く予定はありますか? 貰ったお便りでも"来週海に行くんです"といった内容が多くて夏を感じますねぇ』

「海かぁ……しばらく行ってないなぁ。水着も着てないし」


 濡れたグラスを手分けして拭いていると愛理姉がそんなことを呟いた。言われてみれば前に海へ行ったのは随分と前のように思えるし、なんなら姉さんたちが水着を着るような機会も最近はほとんどなかった。

 ちょっとだけ寂しそうな声色だったから、後先考えずにこう答えてしまった。


「海、行こっか」

「えっ?」


 特にプランがあったわけではなく本当に口が勝手に喋ったようなものだったのだが、その時の愛理姉がぱっと明るい顔になったのがあまりに印象的だった。輝きを取り戻した瞳にじっと見られ、何の気なしに口にした言葉が腹の中で確かなものになる。

 だが、突然の提案と言えば突然だ。


「私はその日は空けられないわ。ごめんなさい」

「んー、その日大事な収録あって外せないんだよね……」

「たまには二人で行ったら?」


 百合姉、理子姉は都合が悪くなってお休み。美香姉は気を利かせてくれたのだろう。結果的に愛理姉と二人で海デートすることになったのだった。




 そんなことを思い出しているうちにバスは到着し、とりあえずは目当てのホテルにチェックインして荷物を置く。大きなベッド一つだけのダブルルームで一息ついた俺たちはとりあえずベッドで横になって天井を見た。でもすぐに二人ともお互いの方に視線を向ける。目が合ってしまった。


「ほんとうに来ちゃったね」

「うん」

「二泊三日あるから、最近遊べなかった分一緒にいようね?」


 何の気なしに愛理姉がこちらへ手をかざしてくる。とりあえずこっちも手を出して姉さんの手と合わせ、指を絡めるようにして恋人繋ぎにする。ただそれだけしかしていないのに心地よいドキドキ感が胸の内を温かく満たしてくれた。

 愛理姉はほんのり頬を染めながらもこっちの方をずっと見ている。同じベッドという距離感のせいか、それとも興奮を抑えきれない愛理姉の姿がかわいいのか……ともあれ、こっちも顔がじんわりと熱くなっていくのが分かって恥ずかしくなる。


「愛理姉」

「ん? なに?」

「せっかく遠くまで来たんだし、目一杯いちゃいちゃしない?」

「おおーっ」


 俺からの提案を聞いた愛理姉は甘い息を吐くとちょっとだけ視線をそらし、そのまま悪い笑みを浮かべる。まるで、これから一緒に悪いことをする子供のように……


「うん。姉弟でラブラブ海デート……しちゃお」

「……ん」

「どうしたの?」

「自分で言ってて……恥ずかしくないの……?」


 高まっていく甘々な空気に耐えられずに一回だけ噴き出しかけてしまった。愛理姉の顔がそれはそれは真っ赤に染まり、こちらへ転がってくると後ろからぽかぽか肩の辺りを叩いてくる。あっ、コリがほぐれて気持ちいい……


「ばかーっ! せっかく今いい感じの雰囲気だったのに!」

「だ、だって、お互いあんまりそういうこと言わない性格だし」

「おねーちゃんはラブラブしたいの! 私だって恥ずかしかったんだからー!」


 頬を膨らませた姉さんに怒られる夏の午前中。なんと、この天国のような日々は始まったばかりなのである。こんなにかわいいお姉ちゃんと海辺で甘々ラブラブ生活を送れるだなんて俺はなんて幸せ者なのだろうか……!


「愛理姉、早速砂浜に行こっか」

「うん……! 良い感じに場所空いてるかな?」

「空いてなかったら浮き輪で海に出よっか」

「はーい」

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