『nÓg-ノーグ-』

ぽっか

第1話 -序-

その国の子供達が一番はじめに習うのは、自分の名前のつづりでも、数の数え方でも無い。


色の名前だった。


―色彩の豊かさは文化の成熟、国の豊かさの象徴である


これこそが、その国の「真理しんり」。

色の名前を覚えた子供達は、次に真理を暗唱できるようになることを求められる。

その次に、その意味を答えられるか口頭で試験が行われ、それができて初めて「ア」から始まる二十六音の手習てならいが始まる。


「僕の可愛いのアナベル=リリィ。『真理』の意味がわかるかい?」


父親の白い顔を見つめながら、小さなアナベルは胸を張って答えた。


「はい、お父さま」


随分前、自分付きの家庭教師に習った。そうでなくてもアナベルにとってこれくらいのことは容易たやすい。父の質問の答えは産まれてから五年もの時を過ごした場所の、当たり前なのだから。


「富ある者は若葉の緑を、炎の赤を、大海のあおを、太陽の黄金を、自然にあふれるあらゆる色を己の下に集めることができます。貧しくてはこうは行きません。裕福だからこそ、出来ることです」


父は満足そうに聞いていた。うん、うんと言う優しい相槌あいずちと一緒に、小さく衣擦きぬずれの音がする。その姿に促され、アナベルは自信満々に続けた。


「小麦の出来が良いから、職人は宝石の加工や、生地を染めたり衣服を仕立てたりすることに専念できます。生活が安定しているから、人々は職人が作った色とりどりの宝石を買い、美しい衣服で身を飾ることが出来ます」


そう。良い国には沢山の色がある。


「色彩の豊かさは我が国、『ノーグ』の誇りです」


言い終わると、伸びて来た細い手にそっと頭を撫でられた。


「よく出来ました。お前は兄さんより覚えが早い」


けれど、アナベルは少し物足りなく思った。結い上げた金髪の、厚みのせいだろうか。父の手の感触が遠い。


「でもね、アナベル。僕は不思議に思うんだよ」


再び話し始めた父の表情は複雑だった。悲しいのか、少し怒っているのか、それとも呆れているのかよくわからない。アナベルは父の手を取って両手で包んだ。

励ましてあげたかった。

しかし、アナベルの手では大きさが足りない。


「アナベル=リリィ。どうして神様は、『色階しきかい』なんてものをおつくりになったのだろうね」


アナベルは創世の神話を思い出した。

家庭教師曰く、神は、ノーグの民に与えたのだそうだ。

貴い色を、尊い人間から順番に。


最も高貴な色を与えられた人間は、後になるべくしてこの国の王となった。彼が授けられた色は自然には決して作り出すことが出来ない、それはそれは美しい色だったと言う。


神の愛が大きい順に美しい色が与えられ、最後に残ったのは、ありふれた砂の色と、取るに足らない人々だ。


先生は喜んで最初の王の話をしてくれたけれど、砂の色の人々がどうなったのかは教えてくれなかった。こちらはアナベルとは一生、関わりのない者達だからと。

父が言った「色階」とは、そのときに覚えた言葉だ。


―「色階」つまり、色の順位。そして、人の順位。


「僕はお前には、薄い桃色が似合うと思うよ」


アナベルは自分の服を見下ろした。金色の、実に豪奢ごうしゃなものだった。

光沢のある純白の絹に金糸で細かい刺繍ししゅうが施されている。

地が絹だと言うことは、近づいて見なければ分からない。

それほどに金の刺繍の占める部分が多いのだ。



その衣服はアナベルの小さく細い身体には重たすぎるのだが、それ以外を与えられて来なかったアナベルには気づけるはずもない。


自分の持つ色よりも階級の低い色ならば自由に扱って良いとアナベルは教わった。父の言うように、自分は桃色の服を着ることができる。できるのだが……。


「でもお父さま。赤の様なお色は、身分の低い人が着るものでしょう?」


わざわざ下位の色を身につける理由がわからない。戸惑いながら尋ねたアナベルは、そう口にした後、父の顔を見て思った。

ああ、自分は失敗したのだと。

固まるアナベルに病の床で、父はあくまでも優しく言った。


「おかしな話をしてすまない。お前には難しすぎたね」


「もう、お帰り」。それが、アナベル=リリィが聞いた父の最後の言葉だった。





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