第38話 第五章 2-2

大味な攻撃では、普通、脇がガラ空きになる。けれど、どう言うわけか隙をつけない。

煙の様にゆらゆらと所在無く、実体が掴めない。

加えて何よりもザーレをぞっとさせたのは相手の瞳だ。対峙するザーレも、その短剣ですら、何一つ目で追わない。


「この、化け物!」


それ以外に説明できない。

暑く重く感じられてきた毛皮を、隙を見てザーレは脱ぎ捨てた。


「……化け物か」


化け物と言われた男は小さく繰り返す。けれど、何を思ってそうしたのかは分からない。

そこにあるのはただ、殺意だった。


「シンル逃げろ!」


このままでは駄目だ。確実に二人とも命を落とす。

久々に身体が震えた。

滝のように流れる汗が身体を冷やすからではなく、ザーレを揺さぶるのは恐怖心だった。


「逃げろっ、シンル!」


もう目の前で弟を亡くすのは御免だった。それなのに視界の左端に収めたシンルは一歩も動こうとしない。


「この、バカ野郎!」


ザーレの注意がシンルに逸れたその一瞬を、男は逃さなかった。

勢い良く一歩を踏み出す、と同時に空中で身体をひねる。

捻った身体を戻す勢いそのままに、ザーレの首に剣が触れようとした。そのとき……


――シンルが飛び出した


背中でザーレを突き飛ばす。後方に倒れていくザーレの目の前でシンルの側頭に剣が触れた。


(嘘だ!やめてくれ!)


小さな身体が勢いのまま、飛ばされる。


「シンル!」


ザーレの五感はシンルで支配されていた。咄嗟に走り寄ろうとした。けれど、叶わない。首の後ろに何かが当たって急激に意識が薄れた。視界がぼやける。膝が折れる。顎から派手に倒れ込んだが、痛みは遠くにあった。

シンルに向かって踏み出す黒い足が目の前に降りた。


「や…めろ」


手を伸ばしても届かない。

男がシンルに近づいて行った。遠くで男に抱き起こされたシンルから、血は出ていない。しのぎで打たれたのだろうか。


ぐったりと意識の無いシンルの上体を胸に抱いて、男はシンルの下敷きになった花々に触れていた。


青く茂る花が青年の手の中で黒い灰になり、さらさらと指の間を溢れて行く。


あいつ…確かめてやがる。ザーレは気が付いた。

草はシンルに触れられても枯れなかった。


男はその事実を確かめていた。


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