第15話 第二章 2-3

シンルの気持ちも知らずにザーレは陽気に言った。


「じゃあ、こうしようぜ。俺の持ち物を何でも一つお前にやろう」


「何でも一つ……お財布?」


「おい……可愛い顔して抜け目ねえな、それ以外で頼むよ。な、どうだ。俺は物を盗るどころか損してるだろ。ほら、選べ」


ザーレはわざわざ、ばっと身体を大の字に開いた。その瞬間、身につけた装身具がぶつかって身体中からチャラチャラと音がなる。


「どう言う理屈?」


おかしな男だった。シンルが何度も断ったのに、頑として譲らない。

早くルツを探しに行きたかったシンルは、最後には仕方なくザーレが右手にはめていた指輪を選んだ。数ある中で一番装飾が少ないすっきりとした作りに思えたから。だから一番安いかなと。

やはり、いざ選べと言われると気を使う。


「はいよ」


渡された指輪は軽かった。よく見ると細かい彫刻が施されている。渦を巻き美しく曲線を描く草と花の模様だ。自分が布地に好んで描く図柄にとてもよく似ていた。


「お目が高いよ。古代ケイナの代物さ」


指輪をはめるのは初めてで少し緊張しながら試してみたが、シンルには大きすぎた。親指ならば何とかならないかと試したが、やはり駄目だ。


「やっぱりいらない。どうせ灰色の俺じゃ着けられないし、指輪が可哀想だし」


「それはオレが困る。受け取ってもらわねえと取引にならねえだろうが」


「もうっ!しつこいな。わかった、信じるよ。だから、はい!」


「何よ?」


「返すってば!さっきからそう言ってるじゃないか」


しかし、それでもザーレは受け取らない。


「持ってろってー。この指輪はお前に選ばれる運命だったんだから。いつか絶対、役に立つ」


急にまた胡散うさん臭いことを言い始めたザーレをシンルは怪訝な顔で見つめた。


「何それ?」


「お前がこれを選んだのも運命。どの指にもしっくり来ないのも運命だ」


「しっくり来ないのに運命なの?」


「おうよ。運命、これ即ち偶然。しかし、偶然を見くびるなかれ。偶然を運命に変えて行くのは人の役目だ。良くいるんだよなぁ、勘違いして『運命の相手とはいつ会えますか?』って聞いてくる乙女が」


そう聞いてくる乙女の真似をしながらザーレは言った。


「それの何処が駄目なの?占いで女の子が聞く定番はそれだと思うけど」


「そんなもんいねぇ!出会えもしてない男が運命な訳あるかっ!出会えた偶然に感謝して知り合いの良いとこ見直せ」


「はあ?」


占い師の言葉とは到底思えなかった。そんなことを言ったら大概のことは占う意味を無くすような…。けれど、彼の言い分には確かに一理あるような…。いや、でも…。

考え出すとよく分からない。多分、疲れていたのだと思う。


「ぶっ…ふっふ」


何だか気が緩んだ。楽しそうにシンルを見つめていたザーレが言う。


「お前、笑い方変だなー」


「……余計なお世話だよ」


調子の良いザーレに、シンルはいつの間にか毒気を抜かれてしまった。もうこの際だ。腹をくくって、有り難く助けを受けよう。今のところザーレは友好的なのだから。


二人で砂をかけて火を消した後、月明かりを頼りに乗ってきた馬を探した。けれど、これだけ時間が経っているともう見つからなかった。

シンルは脇に手を入れて支えて貰い、近くの村を目指し歩き始めた。


「ザーレ。さっきは失礼なこと言ってごめん。手当てしてくれてありがとう。俺はシンルって言うんだ」


「おう。シンルよろしく」


「占い師って言ってたけど何を占うの?」


占いと言っても種類は様々だ。シンルはザーレのことを知ろうとした。素性を探ろうと言う目的よりもむしろ、単純な興味から。


「色々だな。星に、手相、ほくろ。それから」


「ほくろ?身体にある黒い点々の、あのほくろ?」


「おうよ。ほくろは自分の身体って言う宇宙に浮かぶ星だ。これが中々に奥が深くてな、人相占いの一種で、その位置から人柄や運を占うんだ」


ふと、ある景色がシンルの頭をよぎった。ルツの誕生日に、二人で見上げた細い月と、側にあった星。ついこの間なのに、あの日から随分と遠くへ来てしまった気がする。占うのは人では無いけれど、聞いても良いだろうか。


「ねぇ、口の左下にほくろがあったらどうなのか教えて」


「左下のどの辺り?」


「顎のあたりかな、多分」


「あんまり良い相じゃねえな。『不運』、『親しい人間との別離』、そんなとこかな」


「……聞かなきゃ良かった。綺麗な思い出が台無し」


「誰かとはぐれたのか?おチビさんが一人なんて」


シンルは姉が何者かに連れ去られたことをザーレに話した。


「心当たりはねえのか?最近怪しい奴がうろついてたとか」


「全く」


「そうか。そりゃ厄介だな。何処を探しゃあ良いのか……」


長く旅を続けていると、「人を探しているんだが」と声をかけられることも多いらしい。ザーレは何かを思い出したのか、疲れた顔をして言った。


「この国はまだいいよ。イ・ラプセルなんて酷いもんだったぜ。もともと国民の気性が激しいとこに、黒死病と先の戦争で王の治世もぼろぼろだ。そこら中で若い娘がいなくなってたよ。行く先々で両親に泣き着かれた。気の毒な話だぜ」


それを聞き、しゅんとしてしまったシンルを見てザーレは慌てた。

足を止めシンルの顔を高い位置から覗き込みながら慰めてきた。


「悪い。無神経だった。シンルの姉さんはきっと見つかる。元気出せよ」


「うん。ありが…」

シンルがおかしなところで言葉を切ったのでザーレは不思議そうに眉を上げた。


「ねえ、ザーレ。あのあかり何かな?」


この先の坂を少し下った闇の中で、松明や油燈らんぷと思われる沢山の灯が移動して一箇所に集まろうとしている。暗くて人の姿までは見えないが、火の大きさを見ると村はすぐそこだろう。


「何かあったのかな。様子が変だ」


振り向き目を細めて村を眺めていたザーレも頷く。


「かもな。急ごう」


事件か事故かと出来る限り急いで辿り着いた二人だったが、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。夜も更けているにも関わらず、子供から老人まで、全村民が集まったかのような大人数で騒いでいるのだ。

それは想像していた様な不吉なものではなく、祭りの様な賑わいだった。

事態が飲み込めず唖然としていると、すぐに人の輪の外側に居た老人が酒臭い息を吐きながら話しかけてきた。


「おう、旅の者かね?」


「あ、はい。そんな感じです。これって?」


「聞いて驚くなよ。おーい、坊。旅の者にも見せてやれ!」


何を?と顔を見合わせた二人の前に、人混みの中から少年が飛び出して来た。その手の中にはシンルがよく知るある物が握られていた。


「どうだ!『レブロの紫』だぞ」


それはルツにあげた襟巻きだった。固まるシンルの横でザーレは驚きを口にしていた。


「ふぁっ?嘘だろ!昔、王都で見たのと少し違うけど……でもこりゃ……本物だ!どこで手に入れたんだ、おチビさん」


「あっちのね、ロブサールへ抜ける道の途中に落ちてたんだよ」


ロブサールはこの村の先にある港町だ。リゴから馬で十四日かかり、リゴと比べて遥かに大きい。シンルはぞっとした。ルツがそんな所へ連れていかれたのだとしたら探す範囲は国外にまで広がってしまう。今、ポヴェリアに帰るべきではない。向かうべきはロブサールだ。


「おじいさん、今日、俺たちの他に誰か村に来た?」


「さあねえ。馬車は何台か通ったがいつも通りさね。通っただけで、誰も降りとらんで」


「これ、居なくなった俺の姉さんのものなんだ!」


それを聞いた老人は急に胡乱うろんな目でシンルを眺めた。視線が上下に走りシンルを観察する。


「返せと言っても渡さんぞ。第一、お前さんの姉さんのだって言う証拠が何処に…いや待て。布の端に刺繍があったな」


「『ずっと一緒にいよう』でしょ!布はあげる。代わりに馬を貸して。ロブサールへの道ってどっち?」


「参ったな、本当だったのかい」

刺繍はそんな言葉じゃなかったと、しらを切ることも出来たはずだ。けれど、老人から事情を聞いた村の人々は親切にもシンルの望む通りにしてくれたのだった。


馬小屋のおかみさんが言った。

「本当に二頭だけで良いのかい?」

シンルはこれに酷く驚くと同時に、内心、怖いと思いながら頷いた。


「でも、あんたレブロの紫なんて一体どこで」


「姉が外国に縁のある者なんです。ほら、あっちは色階が無いから」


嘘では無い。けれど、誤魔化そうとして言った。自分の染めた布切れ一枚に、平気で馬二頭差し出すなんて。一頭の鞍の両脇にはロブサールまでの二人分の食料と水を汲む小樽が積んである。もちろんこれも善意だ。それにあの、人々の熱狂。ひどく奇妙に思った。早く村を離れたい。染めたのが自分だとわかったら、帰してもらえなくなるかもしれない。親切に見えた村人が手のひらを返してシンルを閉じ込める。そんな恐怖が胸の底に湧いた。

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