第32話 第四章 1-4


「ん? いや、そう言うわけじゃなくてさ、おじさんごめんね。俺、二人とも知らないんだ。王様と関係のある人なの?」


シンルに尋ねられた男は「嘘だろう」と言って大袈裟に驚いた。

もう一人も驚いた顔で、慌てて懐から革に挟んだ小さな紙切れを取り出す。


何だろうかと手元を覗きこめば、そこには細く儚げな少女の姿が黒炭で描かれている。


七、八歳くらいだろうか。憂い顔なのが気になった。


「……悲しそう。でも、もの凄く綺麗な子だね」


「だろう? ははっ!アナベル=リリィ殿下だよ。今ではもっとご成長されてるはずだ。『月神の再来』って言われててな。コー・シェムでは理想の乙女像と言えばこの方なんだよ。慎ましい方で滅多に姿を見せちゃあ下さらないんだがな。もう、十年前くらいになるかなぁ。お父様である王弟殿下が亡くなったときに例の知り合いがお姿を見て描いたんだ」


男はまるで自分の娘の様に、アナベル=リリィを自慢した。


「へえ。じゃあ、そのお目が不自由な殿下とアナベル殿下は王様のめい?」


「だーっ。……そんな風にお名前を略すもんじゃない。それに、王様の姪はアナベル=リリィ殿下だけだよ」


「ごめんって。そんなに呆れないでよ」


「いくら旅の人と言えど、うちの国に来たからにゃあ、も少し興味持って貰わないと。うちの国は王様の家柄が二つあるんだよ。レブロと、それからアビエルル」


「あ、レブロは知ってる。『レブロの紫』のレブロだ」


「そうそう。世の中何があるかわからないからな、疫病やら何やらで片方の血統に何かあっても、王族が滅びない様になってるんだ。だから、お二人ともお家が違う。

今の王様はアビエルル家。アナベル=リリィ殿下も。で、アートルム殿下はレブロ家。前の王様のご子息だ。

つまり、『男』。姪なわきゃ無いだろ。

因みに、おんなじ王家だが紫を着るのはレブロだけだ」


「へー」


と、言うことはこの先シンルが仕えるのはレブロ王家と言うことになる。


「で、そのレブロの……アートルム殿下がどうなさったの? 何でその人の絵が欲しいの?」


「それだよ!これがねえ、良い男なんだよ。巷じゃ、『殺人鬼』だの『氷人形』だの言われてるがね」


「合わせ技で、『氷の殺人人形』なんて言うのもある」


男たちは興奮気味に語り始めた。

シンルはと言うと、反対に引き気味である。


「呆れた。ちょっと酷くない? いくら前の王様の子供とは言え、王子様でしょ?」


「違うんだよ!そんな阿保なことを言うのは本物の戦場を知らないアビエルルのお貴族様だけだって言う話を俺たちゃしてたんだ」


何かに火がついた様に二人は話し始める。これは、良くない話題を振ってしまったと気づいたときにはもう遅い。


「いいか、坊主。本物の戦場はな、見世物とは違う。俺たちゃ八年前のイ・ラプセルとの戦いで、生きるか死ぬかの世界を生き抜いたんだ!だからわかる。いくさ場であれ程心強いお方は殿下の他には居ない。一度闘う姿を見たら男ならみんな骨抜きさ」


「王子を悪く言うようなのはもともと抜かれる骨すらない、どーでもいいふにゃふにゃ野郎だ」


「違いねえ」


「ほんとに、ちぃとでも目が見えたらアートルム殿下が王だったのになぁ…」


息つく暇ない会話を黙って聞いていたシンルだったが、これを聞き流すことは不可能だった。


「え、今なんて? 目が不自由なのにいくさなんかに行くの? 」


それとも、戦の所為で失明されたのだろうか。


「だがね坊主……」


何が「たがね」なのか、男は酔いがまわってシンルの話など聞いてはいなかった。


「おいちゃんはなぁ。あの王子、本当は見えてるんじゃないかって思うときもあるんだよ」


「……どうして?」


「まあ、理由は色々だがね、まるで背中にまで目がついてるんじゃないかってくらい…お?」


言葉を止めた男の視線を辿ると、遠くにザーレを見てちょいちょいと手招きをする、若い船員がいた。


もうすっかり顔見知りになった青年はこの船の見習いで、海の男にしては優しげな顔立ちをしている。

恐らくザーレと歳が近いのだろう。そのせいか、お互い気安く話せるようで、シンルはもう何度もザーレを含めた三人で彼と言葉を交わしている。


青年に気づいた男は、酒に酔った赤ら顔でザーレを呼んだ。


「おい、男児趣味の兄ちゃん、可愛い坊やがあっちで呼んでるぜ? 昼間から羨ましいこった」


男が言葉を終えてからわずかな沈黙が訪れた。

頭の上の高いところでカモメがのどかに鳴いている。

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