第6話 第一章 1-5





***




シンル達が船着場に着くと、ダグマルが既に待っていた。


三人の故郷である島からエール大陸の港町、リゴへ来るのは比較的容易だ。一度沖まで出てしまえば、後はほとんど潮の流れに乗るだけで良い。

けれど、帰りは問題だった。潮の流れに逆らうのだ。


今度こそ、ダグマルとディータは二人がかりでかいを漕ぎ、シンルは一切の手出しを禁じられた。

山場を越え一息ついたところでモーリーの長話の話題になる。ディータはお茶の席には頑として加わらなかった癖に、その内容は気になるらしかった。


「相変わらず気に入られてるな」


「まあ、染物師としてはそう言う道もあるんだろうが…シンルは薬草にも詳しいし、村に残って欲しい。もう八年前のようなことはごめんだ」


ダグマルの言葉に、シンルは布切れが巻かれた右手を見下ろした。

手当をしてくれたときのディータとモーリーの顔が頭をよぎる。自然に笑みが溢れたが、それと同時に石をぶつけてきた子供達の言葉も蘇り、頬はぴくりと固まった。


―「黒死島こくしとうから人が来たぜ」


八年前、突如としてポヴェリア島を襲った黒死病。正体不明の伝染病はノーグだけでなく大陸諸国で猛威を振るったと聞く。けれど、その様な遠い場所の話は田舎の人間には関係ない。

この辺りで一番被害が大きかったのはポヴェリアだったと言う事実が、大陸の人々にあの島を「黒死島」と呼ばせた。


そして、流行り病に混乱する島に、ある日流れ着いた子供が、シンルだ。

これは後になって聞いた話だが、海岸でシンルを見つけた姉のルツは思ったという。何て運の悪い子なんだと。島ではなく、対岸へと流れ着いたら良かったのにと。

第一に、打ち上げられた場所がおかしかった。潮の流れに従えば、エール大陸へ向かうはずだ。もし、今ここで助けても黒死病で死なせてしまうのではないか。このまま衰弱して死ぬのと、病で命を落とすのと、どちらが苦しいだろう。放っておけばきっと……。

一瞬だが、そんなことを考えるほど、身も心も限界だったと言う。


けれどルツはすぐに考え直した。


大陸の人間は伝染病の拡大を恐れ、島への援助を断った。この時期にひょっとすると島から流れ着いたかもしれない子供を保護などするだろうか。この子はたどり着くべくして自分のもとにたどり着いたのだ、と。


そうしてルツに助けられ、意識を取り戻したシンルが見たものは凄惨せいさんな光景だった。かけがえの無い人々との出会いの記憶は決して美しいものでは無いけれど、とても大切で、思い出すとシンルは複雑な気持ちになる。


「あのときはルツと二人で必死に薬草を探したよ」


思いつく端から試し、幾通りもの方法で薬にして病人に服用させた。

効果が出ず何人もの仲間を見送って、泣いて、泣いて、ようやく効果のある草を見つけたのだ。


島が落ち着いた後、一応港町の領主に「黒死病の特効薬が見つかった」と村長から連絡を入れたそうだが、その後、音沙汰無い。随分な数の島民が命を落としたし、この手の話は当時あちこちで上がったと言うから、信じてもらえなかったのだろう。


けれど、シンルとポヴェリアの島民は信じていた。あの恐怖の日々から八年。島にはシンルがいつかに備えてつくった、あの草の畑がある。


「あの草はシンルにしか扱えない。人が手を触れると枯れ始めるんだから」


「植物の癖に女好きだしな。お前じゃない他の野郎が触ったら、あっと言う間に枯れやがる。どこかに目があるんだ多分」


八年経っても「あの草」呼ばわりで名前が無いのは、その奇妙さ故だ。名前をつけると愛着が湧き、繋がりができてしまう。昔からポヴェリア島の住民はあの草を知りながら敢えて名付けてこなかった。触らぬ神に祟りなしだ。


「シンルはあの草と一緒だな」


ダグマルが言った。


「え?俺、そんな女好きじゃないよ」


「茶化すなよ。そっちじゃない。謎だらけだってことだ。……一体どこから来た」


それは当時の島民達がどれだけ考えても答えを出せなかったことだ。シンルは容姿だけなら、ノーグ人と言って違和感はない。白に近い灰色の髪や白い肌、琥珀色の瞳は、ポヴェリア島周辺では珍しいが、北方には多い。けれど、聞いたこともない言葉を話したため外国人なのだろうと思うと、周辺のどの国の言葉でもない。近くで外国船が難破したという話は聞かないし、そもそも、船を難破させるような嵐など起きていない。

結局八年間、謎は謎のままなのだった。


「さあ。自分でもわからないから」


少し困りながらシンルが答えたとき、ディータが珍しくシンルの肩を持ってくれた。


あにい、何度も同じことを聞くな。シンルが答えられないのなんて知ってるだろ?」


「いや。……もしそこで誰か待ってたらと思ってな」


険しくなってゆくディータの顔を見ても、ダグマルは先を続けた。


「俺ならシンルが居なくなったまま帰って来なかったら心配になる」


「だったら変なこと聞くなよ!ずっとここに居る。それでいいだろ!」


「ちょっと、ディータどうしたの?」


ダグマルに食ってかかるなんて珍しい。それに、ダグマルもダグマルだ。シンルはついさっきモーリーからもらった干しイチジクを、黙り込んでしまった二人の口に押し込んだ。


「二人とも大丈夫だって。もしもの話をしても仕方ないよ。俺の居場所はポヴェリアだけだ。あの島で生きて、あの島で死にたい」


それ以外の道はあり得なかった。気まずいのは嫌いだ。甘いものでも食べて、暗い気持ちなんてどこかへ飛ばしてしまえ。


暫くしてイチジクを飲み込んだダグマルが言った。


「…俺もだよ」


気づくと三人の故郷はもう目の前に迫っていた。大好きなポヴェリア。もし何か思い出したら、帰りたい場所は変わってしまうのだろうか。

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