6-5 そういうわけだ、また頼むよ

 ソーニャが帰国してから数日後。


 仕事中の静佳の元にオサムからメールが届いた。プライベートのアドレスではなく、仕事用のアドレスにだ。


 仕事の話し合いに使う丁寧な文面には、もう一度小説を書きたい、企画書を送付するので見てもらいたいと、テキストデータが添付されていた。


 内容に目を通してから、すぐにオサム――桑田ジョニーへ電話をかけた。


 そのときの静佳は、宝くじで三億円を当てたように隠しきれない笑顔で表情筋が動いていた。


「桑田ジョニー先生。お久しぶり」


 だが電話が通じると、そのテンションを隠すように冷静な声で話し出す。


「先日も会いましたけどね」


 電話に出たオサムは、姉としてではなく編集部の担当者として静佳に話しかける。


「先生としてお話するのは久しぶり」


 語尾にハートマークがつきそうな声になった静佳は、なんとかしてテンションが声に出ないように繕う。


「まあ、そうですね」

「それで、貰ったメールだけど……」

「どうです?

 いま旬のアイディアだと思うんですが」


「いいんじゃないか。

 世界観とキャラを煮詰めておいて。来週それで打ち合わせしよう」

「分かりました」


「それにしても、オサムくんがまた小説を書くとはね。

 やっぱりサーフィンの影響?」

「ええ、あのとき見えた世界を表現するにはこれしかないって思って。

 前にサーフィンで異世界転生するラノベがあったらしいですけど、今は連載してないですし。

 なら自分が始めてもいいんじゃないかなって思ったんです」


 静佳が『オサム』と呼んだので、声のテンションは繕ったままに口調を変える。


「なるほどね。私も嬉しいよ。桑田ジョニー先生の――オサムくんの小説がまた読めることと、一緒に仕事できることが」


「そう言ってもらえるのは素直に嬉しいです」

「ソーニャのおかげだな」

「はい」


 ソーニャが帰ってしまって落ち込むかと思ったが、オサムはそんなことはなかった。むしろ前より活動的になっているようにも見えた。それだけソーニャが与えた影響は大きいのだろう。


 オサムとソーニャを会わせた理由。オサムの生活に刺激を加えるため、そしてもう一度一緒に仕事をするためだった。


 ソーニャが日本に来たいという話を聞いてから、オサムと交流をさせ、優里亜の嫉妬心を煽ったりして、彼の周辺に変化をつけた。

 サーフィンを始めたのは計算外で、小説を書く時間が減ってしまうのかと思ったが別にそんなことはなかったようだ。


 そう考えながら震える手でスケジュール帳を確認した静佳は、

「じゃあ、来週の午後にそっちに行くからよろしくね」

「来るんですか? 俺――じゃなくて、僕が編集部に行きますよ」


 話の内容が戻ったので言葉遣いを改めるオサムは、急に戻ったので若干ボロが出てしまう。静佳はそれを特に気にすることもなく、

「いいよ。そっちに行く必要もあるから。

 学校にサーフィンに小説に、また忙しくなるよ」

「はい、よろしくお願いします」


 電話を切った後、静佳は周りの目も気にせず大きなガッツポーズを決めた。


「っと、こんなことをしてる場合じゃないな。あちらにも連絡をしておかなければ」



 オサムは大学の帰りに藤沢のアニメショップにやってきた。


「桑田ジョニー先生、こんにちはっす」


 入口近くの新刊コーナーにいた理衣は、今日も元気な挨拶でオサムを迎える。


「理衣さんその名前で呼ばないでくださいって」

「恥ずかしがらなくてもいいのに」

「いえ作家活動再開したので、バレるとちょっと」

「マジっすか!?」


 理衣は店内のBGMとして流れている今期放送のアニメのOPに負けないほどの大きな声を出した。オサムは声のボリュームを下げるように人差し指を立てる。


「だからバレると困るので……」

「それは失敬したっす」


 理衣はイタズラ少女のようにげんこつで自分の頭を叩く。


「して、今日のご用件はなんっすか?」

「最近の流行をチェックしてなかったので新刊チェックとか、あと面白そうなのがあれば数冊買おうかなと」

「なるほどっす。最近はラノベやウェブ小説でも日常系の波が来てるっすよ」


 理衣は自分の陳列したコーナーを自慢げに見せる。

 その中にオサムは思わぬ本があり、それを手に取った。


「これって」

「そうなんっすよ。異世界サーフィン小説、作者さんが活動再開したんっすよ」

「これは負けられないな」

「あーしはもちろん、先生を推すっすよ。本になったら特設コーナー作って大々的に宣伝するっすよ!」

「あはは、そのときはよろしく」


 オサムは苦笑いをしながら、再度陳列された本の海に目を向ける。




 オサムは、先程の異世界サーフィン小説を含めた数冊の小説と漫画をレジに運ぶ。

「領収書もらえます?」

「はい! これも久々っすね」


 理衣は嬉しそうにレジの領収書ボタンを押して、店のハンコを用意する。


「もらわないと優里亜がうるさいので」

「マネージャーみたいっすね」


 理衣は笑いながら領収書にハンコを押して、

「あーしもオサムくんのマネージャーになりたいっす」

 と小さくつぶやいた。


 オサムにも話した通り理衣はこの仕事が好きだ。それでも他の客や同僚以上に、オサムのことが気になっていて仕方がない。そんなオサムの近くで小説が生まれる瞬間や、オサムがサーフィンで透き通る青い異世界のような空間を見ているのを横から見ていたい。


 小さな声とは言え、思わず出てしまった言葉は店内の騒がしいBGMでは完全にかき消されることはなく、オサムの耳に微かに入る。


「えっ、今なんて?」

「なんでもないっす。但し書きは書籍代でっすか?」


 理衣はいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、オサムに聞いた。



 日曜日はサーフィンをする曜日に決めていたオサムは、今日もエアシップへと足を運んだ。


「あ、オサムお兄さんいらっしゃい!」


 シーズンオフになっても奈美の元気な声は変わらず、元気な声の波をオサムの耳に届けてくれた。


「こんにちは奈美ちゃん。休みの日なのに店番ご苦労様」


 オサムもそれを聞いて気持ち良い挨拶を返す。


「苦労なんてしてないよ~。お店にいるのって楽しいもん」


 そう言って奈美はカウンターから顔を出して、肌の色が白くなりつつあるオサムの顔を眺めていた。


「奈美ちゃんに渡したい物があるんだけど」

「なになに? オサムお兄さんからプレゼントなんて~」

「はいこれ」


 オサムは少し重みのある紙袋を奈美に渡す。それを受け取り中身を確認する。そこには弱々しい印象を受ける少年が大きな剣を持ち、強い相手に立ち向かうようなポーズをしている表紙の本が入っていた。


「本? もしかしてオサムお兄さんの書いた小説?」

「うん、渡してなかったのを思い出して」


(正確には優里亜に言われて持ってきたんだけどな)


 笑顔の裏でオサムは、優里亜の騒がしい顔を思い出して苦笑する。


「ありがとー」


 対して奈美は素直な笑顔でオサムに礼を言った。


「小説で思い出した!

 オサムお兄さん、優里亜ちゃんから聞いたよ。

 作家活動再開したんだって?」

「うん」

「そうなんだ~。

 優里亜ちゃんは嬉しがってたけど、奈美はちょっとさびしいかな」


 本を片手に奈美はシーズンオフの海辺のような寂しい笑顔をしながら言う。


「どうして?」

「サーフィンする時間減っちゃうんでしょ?

 大学だってあるし」

「そんなことないよ。サーフィンしないと体鈍っちゃうし、続けないと行けない理由がちゃんとあるから」


「ソーニャちゃんとの約束?」

「うん。あとサーフィンでまだ見れてない景色がたくさんあるし。それに」

「それに?」

「奈美ちゃんと一緒にサーフィンをまだしてないからね」


 秋になっても奈美は温水プールの水泳教室に通い、泳ぎの練習を続けている。

 さらに家ではサーフボードを置いて、オサムの練習法に習ったサーフィンの練習をしている。


 そんな泳ぎの先生であり、あこがれの筋肉を持つオサムに期待されるようなことを言われてしまえば、奈美もあまり寂しい表情はしていられない。


「うん! 夏が終わってもサーフィンのシーズンは終わらないもんね」

 奈美は最高のサーフィンができそうな波のように笑った。



 静佳がまた家に来るということで、オサムは部屋の片付けをしていた。


「いつも片付けておけばこんなことにはならないでしょう?」


 最近サーフィンの頻度が減っていたオサムの様子を見に来た優里亜も、片付けを手伝っている。ごちゃごちゃに置かれた漫画や小説をシリーズごとにまとめながら文句を言う。


「小説のネタ出ししてるときはこうなるんだよ」


 オサムは出しっぱなしになっていた領収書や、ショップの袋、空のペットボトルをまとめている。


「漫画家のネームやネタ出しって結構喫茶店でやってるって聞くけど」

「ひとそれぞれだろう? 俺は資料に囲まれてたほうが進むの」

「資料って言ったって、実際にやったり見たりしてるんだから、そういうの頭のなかに入ってるんじゃないの?」


 今オサムが書いている小説はサーフィンを題材にした現代ファンタジーだ。


 サーフィンをして感じたこと、見えた光景、非日常的な感覚を表現したいと思って、始めた一作。


 オサムはソーニャが帰国した後すぐにそれを決意し、ネタ出しに取り掛かった。学校の合間にパソコンに向かい、ネタに詰まったらサーフィンをして、またパソコンに向かうを繰り返していた。


 そんなことをしている間に家のチャイムが鳴った。


「ほら来ちゃったじゃない」


 優里亜の文句を背中で受け流し、玄関にやってくる。


 だが予想外。そこにはつい先週まで仲良くしていた少女が居た。


 歳は同い年、金髪に透き通る海のような碧色の目、背はオサムと同じくらい。涼し気な白いワイシャツに、フリルの付いたミニスカート。そして彼女が抱えるように持っているのは、オサムの身長より長いサーフボード。オサムの部屋にも同じ物があるのでよく分かる。


「オサム! 約束通り日本に戻ってきたよ!」


 以上の情報をまとめる前に女の子に抱きつかれる。柔らかくひんやりとした腕が首に回され、さらに低反発枕よりも良い素材でできてるであろうソーニャの胸が押し付けられる。


「そっ、ソーニャ!? なんで!?」

「わたしねロシアでオサムたちの通ってる大学への編入手続きしてきたよ!

 これでサーフィンし放題だ!」


 また日本に戻ってくると聞いていたがここまで早いとは思ってなかった。早くて数カ月後、多分数年後と思っていたのに、今生の別れみたいに思っていた気持ちをどうしようか。それと今抱きつかれてるソーニャの柔肌に脳内処理は追いつかないでいる。


「そそそそそそ、ソーニャ!?」


 サーフィンをする雪女でも見たような、信じられないと言った表情で優里亜が部屋から顔を出す。


「ユリアー! 一緒にサーフィンがんばろうね」

「だっ、誰が一緒にサーフィンするもんですか!」


 優里亜の作ったような台詞に『ああこれは忙しくなりそうだ』とオサムはそう思って笑った。


「なっ、なに笑ってるのよ!?」

「そういうわけだ、また頼むよ」


 玄関からひょっこりと顔を出したスーツスタイルの静佳。これは面白くなってきた、これから楽しみだという表情だった。


「なにが『そういうわけ』なんですかぁー!」

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ロマニストがサーフィンをして見た景色 雨竜三斗 @ryu3to

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