第六章 ロマニストに見えた景色

6-1 聞いてない聞いてない

 少し曇ったが雨はふらない予報を確認したオサムは、いつもおどりにサーフィンの練習にやってきた。『エアシップ』のドアを開けて、いつもと少し違うベルの音が鳴ったと思ったとき、

「いらっしゃい、オサムお兄さん。明後日は大会だね。がんばって!」


 いつものサーフィンしやすい波のような声で、がカウンターから顔を出す。


「こんにちは、奈美ちゃん。夏休みが終わっちゃうのは惜しいけどね」


 オサムは涼し気な表情で寂しさを語る。


 大会は夏休み最後日、湘南の夏が終わる日だ。今年の夏はソーニャがやってきてから、新しいことを始めたというのもあって濃厚な時間だったとオサムは思っている。


 そう思いながらオサムは店の奥のカーテンをめくった。


「ワタシも夏がずっと続いてほしい!」


 カーテンの向こうから、違うカーテンが開く音とソーニャの声が聞こえた。どうやらオサムより先に来ていたらしく、すでにウェットスーツに着替え終わっていた。


「ソーニャちゃんも夏休み? 大学生だっけ?」

「そうだよ。だから夏休み終わったら帰るよ」


「えっ?」


 オサムは上半身裸のままカーテンを開けて出てきた。幸い下はジーンズをはいたままだが、今のオサムにはそんなことはどうでもよかった。


 奈美はうっとりとしたとろけた目で、ソーニャは不思議そうな顔で見ている。


「言ってなかったっけ?」

「聞いてない聞いてない」


(っていうか俺なんでこんなにショック受けてるんだ?)


 思いながらオサムは首をふる。


「大会がちょうど三十一日だから、大会終わったら帰るよー」

「えっ、マジで?!」


 大会が三十一日なのはさっき話していた。が、焦ったオサムは目を見開いてもう一度確認。


「マジマジ」


 寝耳に水を受けた表情のオサムに対し、ソーニャはさっきまでと変わらず幼くみえる笑みのまま、

「さ、今日も行くよー。日本の海で波乗りできるのはあとちょっとー!」


 ソーニャはお店の外へ飛び出していくが、オサムは呆然としたままだった。


(これはひと波くるかな)


 奈美はそんなふたりを見てそう思った。



「はわぁ!?」


 サーフィンを始めた頃うまくいかなかったテイクオフに、オサムは久しぶりに失敗した。


 波に合わせて泳ぎ始め、スピードを合わせたっところでボードに立つ。そこでバランスを崩して波に飲まれた。


「なんで失敗した……?」


 テイクオフの動作は家で毎日のように練習し、体に染み込ませた動作だ。昨日もちゃんと何セットか行っている。それを思い返したオサムは海水で自分の顔を洗った。


「オサムー、どうしたの?」


 ソーニャの目からしても珍しいミスだったと思ったようで、不安そうな表情でわざわざこちらに寄って聞いてくる。


「分かんない。……もう一回やってみる」


 そうしてもう一度動作を頭で復習、反芻しながら波を待つ。


 波が来て、スピードを合わせて泳ぐ。波にボードが乗ったところで、ボードに足を乗せて、前を向く。


(おかしい。いつも見ている風景と違う)


 いつもなら海と湘南の町並みがいつもとは違って見えたのに、オサムの目に写ったのは見慣れた町並みだ。


 そこに気を取られていたところでボードに乗るタイミングを失った。ボードに座っているだけの、まるでなにかの証拠を作るためだけに海に入る陸サーファーの姿で波に押されていた。


 気を取り直そうとボードから降りて、海に潜り顔を洗う。

 もう一度動作を見直しながら、挑戦する。

 いつも見えていたものが急に見えなくなった。


 魔法をマジックアイテムかなにかで封印され、使えていた攻撃魔法も、防御魔法も、飛行魔法も使えなくなって、戦闘では杖を振り回すしかできなくなった魔法使いの気分だ。


 喪失感のような気持ちが波のようにオサムを襲う。

 再度オサムはバランスを崩し海に落ちた。


「オサム、なんか今日浮かばない?」


 ボードと一緒に海に浮かぶオサムを、心配そうにソーニャが顔を覗かせる。


「浮かんでるじゃん」

「ううん、顔が浮かんでない」


 ソーニャは浮かない顔をしていると言いたいのだろう。


(そっか、そんなに元気ない表情してるのか……)


 言われてようやくオサムは自分の表情の変化に気がつく。

 サーフィンを初めて数週間、もう飽きてしまったのか?


 だがそれだけでスランプになるとは考え難い。ちゃんと日課のトレーニングも行っているし、体がなまるというのも違う。


「うん。今日のオサム『見えてない』って気がする」


 確かにいつもサーフィンをしているときのワクワク感、楽しみな気持ち、異世界に居るような感覚がない。ソーニャの言葉を借りるなら『見えない』わけだ。


 さっき思った魔法が使えなくなった魔女という比喩が、比喩にならなくなってしまった。


「それかもしれない」


 オサムは曇り空をぼーっと見つめていた。

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