5-7 面白そうだったから
「すごーい!
砂浜じゃなくて岩浜だー!
これが名前?
全然読めない」
三人がお茶をした店から階段を降りて行くと、江ノ島の北東側に出る。
「『ちごがふち』って読むのよ」
「へー、なんかかっこいい」
外国人からすればそう感じるのか、それともソーニャだからそう感じるのか。今日一日ソーニャと話してきて、これは後者だろうと優里亜は思った。
「探検しようよ!」
「俺はいいや、なんか疲れたからここで休んでるよ」
「えー」
反射的に文句を言ったソーニャだけど少し考えて、
「じゃあ、ユリアはワタシと行こっ!」
「えっ、ちょ……」
優里亜の手を取り、ソーニャは階段を降りていく。
ソーニャは自分と同じくらいの頻度でサーフィンをしているのに、よく疲れないなと関心しながらその背中を見送る。
ふたりが見えなくなったところで座れそうな岩を見つけ、そこへ腰掛ける。
疲れたけど、今日はソーニャの意外な一面が見られてよかったと、喫茶店での出来事を思い出す。
理衣ほどではないにしても、ソーニャもひとつのことにはまっすぐと集中して、周りに目もくれずに進む。行動力もあるので、実行していると周りから変な目で見られることもあるかもしれない。
ソーニャを、異世界からやってきた女の子のように感じていたオサムだった。
だけどそんなフィクションのような存在ではない。笑ったり怒ったり悩んだりするひとりの女の子なんだと思うと、親近感が沸いてくる。
視界を遮り、波の音を聞いていると、気持よくサーフィンができそうな波が押し寄せて――。
#
「ユリア、こっちこっち」
ソーニャが岩陰で手招きしてくる。まるで一緒にかくれんぼをしているような感覚になるけど、この歳でかくれんぼはロシアでもしないだろうと思う。
「どうしたのよ?」
「ここで隠れてよう」
「なんで?」
本当にかくれんぼなのかと思ったが、
「ワタシたち、ビッコーされてた」
「はぁ? びっ……尾行? 誰によ?」
「多分静佳と理衣だと思うけど、他にも誰かついてきてる」
優里亜はストーカーとかそういう危ない尾行だと思っていたが、愉快な人の名前が出てきて安心した。優里亜にとってはめんどくさい相手ではあるが。
「なんで気がついたの?」
「えっと、江ノ島キャンドル登った後、なんだか後ろから誰かついてくる気がしたの。前にも似たようなことあったからもしかしてって思ったら、やっぱり理衣っぽい眼鏡の人みえたから。あとふたりは眼鏡の女の人と、小さい子」
「それってもしかして」
「来たよ」
優里亜がその人物に見当がついたところで、予想通りの二人がやってくる。
#
「対象を見失うとは探偵業も廃業っすかね」
一本道だったが、岩場に着くとソーニャたちを見失った理衣と奈美。ソーニャの金髪は目立つのですぐに見つかると思っていたが、岩屋で遊んでいる人たちの中には金髪の女性は居ない。
「いつから理衣さんは探偵になったんですか?」
「藤沢のアニメショップの探偵とはあーしのことっすよ」
「鎌倉の古書店の探偵じゃないですね……」
「やっぱりリーとナミだ!」
岩の陰から探していた人物が出てくる。
「あーあ、ばれちゃった」
奈美はやれやれと、手を挙げる。理衣はいたずら失敗という表情。
そんな奈美と理衣を優里亜はジト目で睨んで、
「なにしてるのふたりとも」
「いやぁ、たまたま江ノ島に来たらオサムくんがソーニャちゃんと優里亜ちゃんを見かけたんっすよ。これは両手に花状態だなぁって眺めてたら――」
「ずっとつけてたんですか、趣味の悪い」
「人間観察は悪い趣味じゃないっすよ」
この人ならやりかねないし、おそらくそれ以上のこともやっているかもしれない。優里亜は理衣の持っている情報の多さは、多分こういうことをしてるからだと思っている。
「奈美は違うよ!
最初は静佳お姉さんがオサムくんをつけてたから声をかけて、そしたら理衣さんも見つかって――」
「そう! だから静佳姉様がそもそもの発端っす」
やっぱり静佳も付いていたのか……。ソーニャはニコニコしながら、優里亜の尋問を眺めているので、優里亜は続けて、
「たまたまついてきた割には、結構重装備ですね」
理衣の装備が気になっていた。カメラマンが遠くのものを撮影するのに使っている、大きなレンズがついたカメラ。ショルダーバッグもやけに大きく、もしかしたら変えのレンズなどが入っているのかもしれない。
「乙女のたしなみっす」
「日本のオトメは、好きなことに一直線なんだね!」
「理衣さんの場合、進行方向間違ってるけどね……」
優里亜のコメントに奈美も頷く。ソーニャの言葉を聞いた理衣は、汗を拭くしぐさをしながら、
「照れるっす。あーしに日本のオトメ代表には荷が重いっす」
「それどころか風上にも置けません」
「奈美もそう思う」
理衣が日本のオトメ代表に見えるなら、他の国からはどういう風に日本が見えているのか。優里亜も奈美も不安で仕方がない。
「そいえば、静佳は?」
「静佳姉様なら、オサムくんのところに行ったよ」
「なんですって!」
大声をあげる優里亜。オサムが女の子とふたりっきりになるのを阻止するために、今日がんばったのに、別勢力にオサムを奪われるのは嫌だった。
「戻るわよ!」
「シズカと一緒なら危なくないと思うけど」
#
(やべ、寝ちゃってたか)
意識が戻った瞬間そう思ったオサムだが、頭に岩ではない物があるのを感じる。
ゆっくりと目を開けると、暮れていく空の下でオサムを見下ろす優しい目をした女性の顔があった。髪はポニーテールに結った茶髪、アンダーリムのメガネをかけている。そこだけ見ると知らない女性だが、それ以外の特徴は知っている人と似ている。
「えっと、静佳ねぇだよね?」
「あら、やっぱりバレちゃった。オサムにばれるようじゃ、本当に髪型と眼鏡変えただけじゃダメみたいね」
オサムが聞きたいのは何故そんな格好をしているのかではなく、
「何してるの?」
「膝枕」
「見れば分かるよ。どうしてここにいるのかってこと」
「後をつけてたからな」
「どこから?」
「江ノ島駅から」
「マジで!?」
まったく気が付かなかったことにオサムは驚く。ソーニャと優里亜の相手で精一杯だったからだろうか。
「あと奈美ちゃんと理衣も江ノ島の中で合流したぞ。今はみんなで遊んでる」
三人も自分たちの後をつけていたのに気が付かなかったことに、オサムは再度驚く。ソーニャなら気がついていただろうか。
「なんでつけてたの?」
「面白そうだったから」
「そんな理由で……いや、静佳ねえはいつもそれが判断基準だったな」
この人は常に面白いことを求めている。編集の仕事についたのも『面白いこと』を作るためだった。さらにオサムに声をかけたことも面白そうだったからという理由だったのを、オサムは思い出す。
「私はつまらない人間だからね。常に楽しそうなことを見つけて眺めるのが精一杯。だからオサムが小説書いたりサーフィンしたりしてるのを羨ましいと思う」
「似たようなこと理衣さんが言ってた」
理衣は自分の人生がつまらないから、他人の人生を見て楽しんでいると言っている。静佳と理衣が何故か仲良いのは、そういう考えたが一緒だからなのかもしれないとオサムは思った。
「あいつあれだけオタ充ライフしてて、何が不満なんだ。いつも生きるのが楽しそうな顔でしてるし」
だが、静佳からすればそんな理衣も『面白い人』に分類されるんだろう。
「そう思うなら静佳ねえもやればいいじゃん。まだまだ若いだろう」
「都合のいい時だけ若者扱いしない。これでも十以上離れてるんだから」
(だから悩んでる。編集部のお姉さん以外の目で、私を見てくれないからね)
静佳としてはそれが少しつまらないと思っている。
オサムがもっと違う目で自分を見てくれたら、もっと違う接し方をしてくれたら、もっと面白くなるかもしれない。
「オサムくんの思ってる以上にこの年齢は難しいの。これ以上年をとったらもっと難しくなる。覚えておいてね」
「はいはい」
(もっと『面白い人間』なら彼を振り向かせることができたかもしれないな……)
オサムがそういう目で自分を見てくれないのは、自分が『面白い存在』になれないからなのだと静佳は思っている。
「どうしたの?」
「いや、久しぶりにふたりっきりだなって思って」
顔に出てしまったのだろう。適当なことを言ってごまかす静佳。
「そいえばそうだ」
「それだけ」
その返事を聞くとオサムは大きくあくび。それを見て静佳は、
「ま、しばらくはこの子とその周りの面白い子たちを見て、楽しむとしましょうか」
とつぶやく。
「今なんて?」
「なんでもないわ」
#
「ソーニャはオサムのこと、どう思ってるのさ?」
歩きづらい岩場を飛ぶように進みながら、優里亜はそれとなく聞いてみる。
奈美も理衣も視線をソーニャに向けて回答を待つ。
ずっと聞きたかったことではあって、ホントはふたりだけで居るときに聞きたかったが、ソーニャはいつもオサムと一緒だ。今一緒にいる奈美は優里亜のオサムへの気持ちを知ってるし、理衣もなぜか知ってる。
「どう? ってどんなふうに?」
「えっと――」
「好きってこと」
奈美の援護が入る。ウインクが返ってきたので、優里亜もウインク。
「んー、日本人の好きってたくさんあって分からない」
「ロシア語で言うとリュブリュー」
「なるほどー」
理衣が翻訳するとソーニャも優里亜の質問を理解してくれたようだ。今日はあれこれあったけど、なんだか人に恵まれている気がした。
「さっきも聞こうと思ったんだけど、ユリアはオサムのこと好きなの?」
「はぁっ!? そそそそそそそんなわけ――」
優里亜のわかりやすいリアクションに奈美と理衣が顔を背けて笑う。
優里亜は思わぬ返しに質問を質問で返されたことに怒れなかった。そこにソーニャは続けて、
「ユリア、恋人いない。もしかしてオサムが好きだから恋人作らないんじゃないかなって」
「だっ、誰があんなやつ。あいつは幼なじみよ。
最初は冴えない男だったけど、毎日筋トレしてそこそこいい体つきになっちゃってさ。
そのうえ高校生なのに小説家になっちゃって、そのあとはサーフィンするとか言い出して、上達も無茶苦茶早いし。
それでいてあたしが厄介なのに絡まれたときは助けてくれたり、今日もぬいぐるみ買ってくれたりして」
「そっかー、やっぱり好きなんだね」
「今のをどう変換したらそうなるのよ!?」
優里亜としては文句を言っているつもりだった。それを好意に解釈されるのは、優里亜的にはおかしい。
「いいや、そんな典型的ツンデレ発言は、愛してるって叫んでるのと同じっすよ」
「ツンデレがなにか分からないけど、奈美もそう思う」
「ワタシの言うこと違ってる?」
三人に言われてしまった。優里亜は迷った顔をしてから、
「違わない……かも」
優里亜の口から出てきた本心に、奈美と理衣は口を丸くする。
「だっ、だから! あたしはあんたに負けないんだから!」
優里亜は宣戦布告のつもりでソーニャに言い放った。
ソーニャがオサムのことをどう思ってるかは分からないし、オサムもソーニャについて意識があるかどうかも分からない。
だからこそ、ここで宣言する必要があると優里亜は思ったわけだが、
「うん、大会がんばろうね?」
「そっちもそうだけどー!」
ソーニャにはやっぱり通じなかった。
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