6-3 波が近づいてくる

 大会当日。天気は快晴。テレビのニュースでは『今年一番の暑さ』とか『八月最後にして最高気温』なんて煽られるほどの暑さだった。


「おはよー、理衣さん」

「ズドラーストヴィチェ、なーみん」


 応援場所の場所取りをしていた理衣のもとに、奈美がやってくる。


 いつもの地味めな格好だが今日の理衣は麦わら帽子をかぶっていて、少し女の子らしいと奈美は思った。


 奈美も今日はキャップを用意してきている。ホットパンツに、褐色のウエストが敢えて露出する様なショート丈のTシャツで、隣の理衣と比べて俗にいう『ギャル』のような印象が浮き出る。


 鎌倉高校前駅から少し東側の砂浜が今回の大会の会場になっている。本部用のテントが立ち並び、たくさんのサーファーがすでに集まっていた。


「今の何語です?」

「ロシア語っすよ。英語にするとハローにあたるっす」


 挨拶も変だなぁと奈美は思いながら、ビニールシートに腰掛ける。


「絶好のサーフィン日和と言いたいですが、見る側はちょっと暑すぎるかも」

「晴天なれども波高しってやつっすかね」

「今度はなんです?」

「昔軍人さんが決戦の前に言った言葉っすよ」


 また変なこと言い出したと奈美は顔をしかめる。普段どういうライフスタイルを送っていたら、そういう言葉がでてくるのだろうか。奈美は不思議でしょうがない。


「でもそのときのようにはうまくいかないかもしれないっすね」

「オサムお兄さん、元気ないんもんね……」


 理衣も奈美も揃って顔に影を落とした。


「私は大丈夫だと思ってる」

「静佳お姉さん?」「静佳姉様」


 遅れてやってきた静佳は凛とし、固く強い口調で言った。ジュースの入ったクーラボックスを下ろし、戦国武将のように堂々とした動きでふたりの隣に座る。


「オサムくんは随筆に詰まったときでも、自力でどうにかしてきた。いつも力押しだったけど、そうやってスランプや逆境を乗り越えてきたからな」


 まっすぐと海を見て語る静佳の声には強い信頼を感じる。それは奈美にも理衣にも伝わるほどのオーラを持っていた。


「そうっすね。オサムくんなら大丈夫っすね」


 静佳の言葉を聞いて、自分のあこがれのひとを信じようと理衣はこころを固くする。オサムはちゃんとやり遂げるひとだって、よく知っている。


「そうですね。奈美の目は確かだもん。

 オサムお兄さんはいいサーフィンをしてくれる」


「そいえばサーフィンの大会ってどういうルールで行うんっすか?

 よーいどんでできないから、速さで競うってことはなさそうっすけど」


 本当は調べてこようかと思っていた理衣だが、暑さ対策と装備品の準備に気を取られてしまい、観戦前の予習を忘れていた。来るときにスマホで調べてみたが、専門用語があって分からなかった理衣は、いつものひょうひょうとした口調で奈美に聞く。


「水泳や陸上よりもフィギュアスケートとかのほうがルールは近いかも。

 一度に二、三人のサーファーが波に乗って、五人の審査員で点数をつけるの。

 それで、一番高い人がトーナメントの上に行くっていうのが公式ルールかな」


 奈美がざっくりと説明する。

 自身は大会には出たことがないか、父はサーフィン協会にも入っており、公式大会にも毎年出場している。奈美はそれを見てきている。


「ということは難易度の高いサーフィンをすれば点数が上がるということか」

「静佳お姉さんの言うとおりです。テクニック以外にも難しい波に乗れるか。あと減点もあります」

「減点って、失敗したりとかっすか?」


「それよりも危ないサーフィンをすることのほうが、減点対象ですね。サーフィンはひとが乗ろうとしてる波に乗っちゃいけないって、万国共通のルールがあります。そういう危険なプレイをすると得点半減っていう厳しいバツがあります」


「ほへー、リア充がやってるスポーツだから、修羅の国みたいなことになってると思ったっすけど、結構紳士的なんっすね」

「理衣さんはサーフィンをなんだと思ってるんですか?」


 自分の好きなスポーツを変な目で見ているんじゃないかと思った奈美は、ジト目で理衣を見つめる。


「リア充のスポーツなんで、オサムくんが始める前は怖い印象もあったっすよ」


「理衣のようなヤツは、一生見ないで過ごす可能性もあったスポーツだからな」


 話せば話すほど、理衣という人物が分からなくなる奈美だった。



 しっかり波にのることができれば点数をもらえるから、難しい技やキツそうな波に挑戦しなくていい。オサムは優里亜からはそうアドバイスを貰った。


 上手に乗るとかそんなのは考えなくてもいい。オサムの練習してきた成果を見せてほしい。あとは楽しむ、それ以上のことは考えない。ソーニャからはそうアドバイスを貰った。


 だがオサムはあまりうまく行く気がしていない。


 他の参加者の様子を見て、どういう雰囲気なのかを熱心に見ていた。

 張り切って大きな波に乗ろうとしてボードから落ちてしまった男性。調子に乗って、応援席に手を降ったら減点されてしまった女性。小学生くらいなのに、自分より上手に乗れてる女の子。緊張しつつも、ちゃんと乗れていたひとたち。

 そんな人達を見て、自分もちゃんと乗れるのかどうか不安にもなってくる。


 その不安感は小説の大賞も似たようなものだと感じてきた。ライバルと呼べる相手がいるが、どのような作品を作っているのか分からない。


 かといってライバルが見えるスポーツの経験はというと、それもまったくない。

 テレビで中継されていたスポーツとかは見たことがあるが、その雰囲気の中に入ると、思った以上に緊張することをオサムは実感する。


 周りは知らないひとばかり。

 自分よりも緊張していそうなひと、どこから湧いてくるのか分からない自信の表情の持ち主。この人達がどのくらい乗れるのか分からない。


 あれこれ考えていても結論はできることを確実にするしかない。

 そうしてオサムの出番がきた。



「おっ、オサムくんの番だぞ」

「すっごい緊張してるっすよ。あんな表情初めて見るっす」


 不安な声ではなく、初めての発見に興奮する理衣の声に奈美も静佳も顔をしかめるが、開始のアナウンスで状況がすぐに意識の行き先を変える。


 オサムたち三人のサーファーが海に出て、パフォーマンスを始める。


 あまり大きな波でもないように三人は思ったのだが、オサムのテイクオフはかっこつかない不安定なものに見えた。


「ああ、オサムくん今危なかったように見えたっす。オサムくん乗るところまではいいのに、どうしちゃったんすか」


 最初はカメラを構えていた理衣だが、そのうちあーだーこーだと言うようになった。難しい顔でオサムのサーフィンを見ていた静佳は、

「理衣うっさい! ゲームの実況プレイじゃないぞ」

「静佳さんそれもなんか違うような」


 こんなときなのにこのふたり仲良いなと思った奈美は、硬い表情を少し緩ませた。



 テイクオフまではできるのに、いつもみたいに乗れない。


 オサムはソーニャがロシアに帰ることを知ってから、ずっとこの調子で悩んでいた。昨日も日が沈むギリギリまで調整したのに、結局なにも変わってない。

 今落ちそうになった。これは減点かなと冷めた気持ちで思う。


(俺はどうしてサーフィンしてるんだ?)


 次の波を待ちながらそんなことを考えていると、遠くから波の音が聞こえた。今まで遠くに感じていたその音で、

(人間って本当に波に乗れるんだなぁ)

 とソーニャのサーフィンを初めて見たときの感想を思い出す。


 彼女の容姿や動きはまるで水を操る魔法か、空を飛ぶ魔法のようなものにも見えた。

 実際は物理法則に則っているのにあまりに現実離れした動き。この世界にある国の住人なのに異世界で出会った女の子のようなソーニャの容姿。ソーニャのサーフィンを見ていたら、いつの間にかライトノベルやアニメに出てくる異世界に迷い込んだんじゃないかと思ったくらいの感動だった。


 そんな感動と興味を持ったオサムもサーフィンを始めることにした。ちゃんと練習をして、ソーニャに教えてもらって、少しだが今はその魔法に近づいた。


 そのときに見えた景色は本当に異世界だった。

 じゃあどうして今はその景色が見えなくなったのか?


 大会の前にソーニャはオサムにこんな質問をした。


「オサム、サーフィンの魅力を説明できる? 前にワタシがサーフィンの面白さを伝えたみたいに」


 ソーニャだったらこの質問に『ハラショーなスポーツ』と答えるのだろう。

 日本語では『素晴らしい競技』という言葉になる。


 だが元小説家――ロシア語では『ロマニスト』のオサムには『素晴らしい』なんてまどろっこしい言葉ではだめだった。この景色や魔法のようなもので動く感覚の素晴らしさを伝えるのに、日本語だけじゃ足りない。世界中の言語を集めても該当の言葉がでてこないかもしれない。


 分かることは、サーフィンをすればするほどその景色をもっと見たくなるという気持ち。熟練度が上がるほど、この魔法をもっと使いこなしたいと思うようになるという想い。


 ソーニャは確かにロシアに帰ってしまう。でもそれでこの景色が見えなくなるわけじゃない。波はいつだってやってくるし、サーフィンで行ける異世界は案外と近いものだ。


 波が近づいてくる。


 この音は異世界へ飛び立てるチャンスを知らせる音だ。


 新しい魔法の詠唱はいらない。ピンチのときに目覚める新しいスキルもいらない。親から受け継いだ必殺技もいらない。


 手順は今まで練習してきたとおり。


 テイクオフ。


 異世界への扉が見えた気がした。

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