5-2 俺にも教えてほしいんだけど、カットバック

 オサムはようやく奈美と静佳の戦いから開放されて、ウェットスーツに着替え海へ出る。


「ウェットスーツ前見たのと違うな」


 浜辺で準備体操をしている優里亜を見つけたオサムは、さっき思っていたことを伝える。


「そっ、そうよ。よく気がついたわね」

「そりゃ、ぜんぜん違うのになってれば気がつくだろう」


 優里亜が来ていたウェットスーツは前に見たフルボディのではなかった。ソーニャと同じ上半身だけを覆うタイプにショートパンツを合わせたタイプになっている。


 強調されるようになった日本人離れしたくびれ、ソーニャよりもスラっとした美脚など、前のウェットスーツよりも分かりやすくなったボディライン。

 男のサーファーからの視線が嫌であえてえてフルボディのウェットスーツを着ていた優里亜だが、ソーニャとは違った女としての魅力をオサムに見せつけるために、そしてライバルのソーニャに女としても対抗するために、少し恥ずかしくてもこのウェットスーツにしたのだ。


 だがオサムはウェットスーツのタイプが変わったことだけを確認すると、

(なんか言いなさいよ)

 とオサムを睨むが、その気持ちは通じない。


「前のは使えなくなったのか?」

「そういうわけじゃないけど……」

 本当にそういうわけじゃない。何故分からないのか。


「じゃあどういうわけなんだ?」

 優里亜は今度こそ言ってしまおうかと思った。オサムに見てもらいたくて変えた。ソーニャじゃなくてあたしを見てほしい。


「たっ、大会に出るからね!

 そのために新調したのよ。モチベーションもあがるし」


 思ったことが思ったように出てこない。優里亜は頭のなかで自分の頭を叩く。


「そうか、一緒にがんばろうな」

「もっ、もちろんよ!」


 欲しかった言葉とは違ったが、オサムに激励されたのが嬉しかった。威勢よく返事をするも、優里亜の表情は本人の思っている以上に緩んでいる。



 結論から言うと、優里亜の思っていた以上にオサムはサーフィンできていた。


 自分だってこのくらい乗れるのに一ヶ月かかった。いくらオサムが日常的に体を鍛えているからって早すぎる。ソーニャの教え方がいいのだろうか? それともサーフィンの才能があったのだろうか?


 このままだとあっという間に追いつかれる。

 優里亜は危機感と悔しさと、嬉しい気持ちが絡みあった複雑な感覚がした。だがその気持ちをオサムに伝えるわけにいかず、

「結構できるじゃない」

 というそっけない褒め言葉しかでてこなかった。


「だろう?」

 そんな優里亜の素直じゃない褒め言葉に、オサムは自慢気に返事をする。


「優里亜も、さっきやってたカットバック。すごかったぞ」

 車やバイクではできないような180度ターンを決めた優里亜のカットバック。蹴れないはずの波を蹴るような動きは、まるで飛行魔法、または光の壁を蹴るようにオサムの目には写った。


「そっ、そう……ありがと」


 優里亜に対して、オサムは素直に褒めてくれる。こういうところでも優里亜は悔しさを感じる。素直に相手のことを褒められるのは優秀なプレイヤーの証拠だ。


「俺にも教えてほしいんだけど、カットバック」

 そして素直に教えを請うことができることも、まだまだ成長する証だ。


「もうそんなことまで覚えるつもりなの?」

「オサムはすごいんだよ! あっという間に乗れるようになってどんどん上手くなっていくんだもん。ニッシーゲーポーだよ」

「いつの間にやってきたのよ!? あとそれを言うなら日進月歩よ」

「まるで忍術の名前だな」


 気づかぬ間に、ソーニャが隣でサーフボードを浮かせてニコニコしていた。


「っていうか、オサムはいつもどおりソーニャに練習見てもらえばいいじゃない」

(悔しいけど)

 と付け加えて優里亜は言う。


「いや、いつもソーニャに見てもらうのも悪いと思って」

「さっき見たけど、カットバックはワタシより優里亜の方が上手だよ」


「はぁ!?」


 自分よりうまいソーニャから褒められるとは思ってなかった優里亜は、思わず大きな声を出す。同時にソーニャも相手のことを素直にほめられるいい子で、いいプレイヤーだということも感じる。


「なに驚いてるんだ」

「そっ、そうね。うん」


 オサムからすれば、人それぞれ得意な技術があるのは当たり前。オサムの目からしても、優里亜のカットバックはかっこいいと思っただけのこと。


「ワタシも優里亜に教わりたいー」

「ソーニャは十分上手でしょ。悔しいけど」


 今度は小声で付け加えた。ソーニャは優里亜の目から見ても十分に上手だ。教えろと言われても本当に教えることはない。むしろ教わりたいほどだ。


 だがライバルに教えを請うのは優里亜のプライドが許せない。


「ライバルに塩を送るなんてことするわけないでしょ!」

「ライバルに塩をプレゼントするのはよくないの?」

「えっと、ライバルの手助けをするっていう、例えを使った表現のことだよ」


「なるほどー。じゃあワタシはひとりで練習してるねー。優里亜よりうまくなっちゃうんだから~」


(だからあんたのほうが上手なんだって……)


 確かに優里亜はカットバックに自信があるが、ソーニャの動きを見ているとあちらのほうがキレイに見える。自分はあんなに絵になる乗り方はできない。



 自転車で曲がるときは簡単なのに、サーフィンだと曲がるとあっという間にコケる。オサムは海に落ちて、思った以上に難しいことを実感した。


「ほーらー、そこで体曲げすぎるから落ちるの。

 いっつも力技で押そうとするんだから!」


 海から上がると優里亜の叫び声が聞こえる。いつもおせっかいなことを言うときの顔と口調なので、

「ひねらないと曲がらないだろう?」

 といつものように言い返してしまう。


「オサムの場合、体重傾けすぎてるから言ってるの!

 気持ちでいいの! 気持ち!」

「もう一回やってみる」



 オサムの練習風景を静佳とソーニャが、ビニールシートに座って眺めていた。


「へー、うまく乗れてるじゃない」


 何度も海に落ちているが、練習中の動作をする前まではちゃんとしている。前にソーニャに買った漫画の絵と同じポージングだったので、上手にサーフィンしていることは静佳にもなんとなく分かった。


「オサムはすごいよ! 勉強家で、家でも練習してるって」

「あの子そういうところがマメだから」

「マメ? オサムはお豆なの?」


 ソーニャのおかしな勘違いに静佳は大きく笑いながら、

「違う違う。マメをつかむように丁寧で細かいってこと」


 性格における『マメ』の語源は分からないが、そう言ったほうがソーニャに伝わるだろうと思って静佳は答える。普段から文章に関わっているおかげで、こんな言い回しができるようになったことが静佳は少しうれしかった。


「そっかー、オサムはキョーなんだね?」

「器用?」

「それそれ!」


 これは編集の仕事をしていなくても分かる。思いもよらない間違った日本語を使うのが、ソーニャの面白いところのひとつだと静佳は思っている。


「日本に来て、サーフィンするだけだったのに、友達できた。

 オサム、ユリア、ナミ、リー、みんな面白くていい人」

「理衣はちょっと変人すぎるけどね」


 友達だと思っているメンツの中に、理衣が混じっているところに静佳は笑った。


「みんなそう言うんだけど、なんでー?」


 日本人からすれば単なる変人の理衣も、ソーニャにとってはおもしろ人なんだろう。


「理衣は好きなことに一直線すぎるの」


 静佳が理衣と初めて出会ったのは、オサム――桑田ジョニーのサイン会を開催することになったときだ。理衣がそのときから桑田ジョニーの大ファンであり、お目にかかれると聞いて仕事であることも忘れていろいろ聞いてきた。

 そこから理衣との交流が始まったわけだが、話をする度に理衣の行動力や情熱を尊敬し、余った勢いで暴走するさまを見て呆れるのを繰り返している。


 その生き方に『面白さ』を静佳は感じていた。


「それはシズカも一緒! お仕事頑張ってる」

「仕事には熱心だけど……あんな風に情熱的ではないかな」


 その情熱を持てることに静佳は羨ましさを感じていた。少しさびしそうな表情を静佳がしているのをみたソーニャは、仕事がつまらないのかと思ったのか、

「シズカはお仕事楽しい?」


「んー、厳密にはお仕事で作ったものが好きだから、仕事自体は難しくて苦労も耐えないしそこまで楽しくないかな」


 静佳がこの仕事を選んだのは『面白いものが作れる』と思ったから。


 自分にはマンガや小説を書くセンスもなければ、歌を歌ったり芝居をしたりもしてこなかった。どれも試してみたがうまくいかず、そのくせにテストの点数だけは取れたので、いい大学に入り現在の仕事を見つけた。


「お仕事で作ったもの、小説の本?」

「そう、私は小説を書く人の手助けしかできてないけど、その結果できたもので作家さんや読者、それに出来上がった本が面白いものになるのが好きだから」


 直接文章を作ることはできなくても、そのお手伝いはできる。さまざまな作品を研究して、作家へアドバイスができる。


「お手伝いしかできないの? サーフィンで例えると、サーフィン教えたり、ボード作ったりすることしかできない? ナミみたいにやっぱりサーフィンしたくなるのと同じで、シズカも小説書いてみたいって思わない?」


「私には才能とかないから。そういうのは『面白いひと』がやるから面白くなるの。面白くない私はそのお手伝いが精一杯。私はサーフィンができないけど、ソーニャを日本に連れてくることはできる。それと一緒かな」


 出会ってきた人たちはみんな面白いひとたちだった。ひとりだけ大正時代からやってきたような格好をしてる作家、世界中を旅してきたせいで普段から日本語と英語とロシア語とフランス語とドイツ語が混じってしまう作家、ゲームが好きすぎてゲームをしながら原稿を書いてる作家、幼いころのいじめを筋トレで解決し文章にも力強さが反映されてる作家。みんな個性的で、そのひとを主人公にしたらそのまま一作品できてしまうようだと静佳はいつも思っている。


 自分に比べて、楽しそうな人生を送っているように見える。


「シズカは素敵な人だよ! 面白くない人なわけないよ!」


 自嘲気味に言っているのがソーニャにバレてしまったのか、ほっぺを膨らませてた彼女に強く言われてしまう。


「ごめんごめん」

 謝りながらソーニャの頭をなでて、

「スパシーバ、ソーニャ」


「でも分かるよ。ワタシもちょっと自分に自信持てなくなるときある」

「ソーニャ?」


 ソーニャがそうつぶやいたときの表情が静佳には見えなかった。普段言わないような言葉とニュアンスだった。聞き返すけど、振り向いたソーニャの表情はいつもどおりの笑顔。


「だから、もうちょっと乗ってくるね!」

「じゃあ私はお仕事に戻るね」


 オサムと優里亜のサーフィンを見て、自分もしたくなったのだろうなと解釈した静佳。仕事も残っているし、まだまだ頑張らねば。


「うん! がんばって」

「ソーニャもね」



「今度は重心曲がってないじゃない! どうしてそんなに両極端なの!?」


 ターンするはずが真っ直ぐにしか進んでなかったオサムに、優里亜は呆れたように叫ぶ。


「だって、気持ちだけ曲がれっていうから」


 気持ちだけというので、意識だけすれば体が勝手に曲がるだろうとオサムは思い実践。だが、自分でもおかしいと思うほどまっすぐ進んだ。


「ホントに気持ちだけ曲がったの!? 心のなかで『曲がれ』って念じて曲がるなら、世の中みんな超能力者よ! それこそあんたの書いてるラノベの主人公よ!」


 オサムでも分かるようにバカにする言葉を選ぶ。自分なりの言い回しは通じない。言語を合わせないとダメみたいと呆れながら優里亜は言う。


「もう一回! もう一回やってみる」



「あー、疲れた」


 サーフィンをしたあともあまり疲れた表情をしないオサムだが、今日ばかりは疲れた顔をして『エアシップ』のテラスの椅子に体を溶かすように座った。


「優里亜にたくさん怒られてたね」

「あたしは怒ってないわよ」

「まあ、あれくらいはいつもどおりだな」


 と涼しい顔でジュースを飲むオサム。疲れたのは優里亜の指導ではなく、新しい技術の練習。特に今回はあまりうまくいっておらず、いつもの感覚をつかめずにいた。


「もっと厳しくしてほしい? 体力付けのために江ノ島まで泳げとか」

「江ノ島!? ワタシ江ノ島に行きたい!」

「急ね」


 江ノ島というワードに引っかかったのか、思いついたように言うソーニャ。オサムも優里亜も、ソーニャのハイテンションには慣れたのか、特に驚くこともない。


「いつもサーフィンしてると見えるから気になってたの! さっき静佳が仕事に行く前に聞いたらオサムに案内してもらえって」


 急な思いつきではなく、前から考えていたことのようだ。


 静佳の名前を聞いた優里亜は目を細くして、

「またあの人は……」

(それ俺の台詞)


 オサムは言いたいことを先程から優里亜に奪われて、ため息をつくことしかできない。

 自分と優里亜は思考が一緒なのか、それとも違う理由があるのかオサムはずっと不思議でしょうがない。


「だから明日は江ノ島行こう!」

「あたしも行く!」

「なんで行くことが決定してるんだ?」


 バルコニーに行こうとした奈美だったが、ハシゴには登らず話を聞いていた。

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