1-3 そいえばソーニャは、ロシアから来たその足でサーフィンをしてたよな
「イドゥチ!」
ロシア風の掛け声を上げながら、ソーニャはスキーのように海の上を滑っていた。
対してオサムはというと、ソーニャの持ってきていたビニールシートの上に座り、その様子をボケーっと見つめているだけだった。
周辺はひとがおらず、ほとんど貸し切り状態だ。聞こえるのは聞き慣れた波の音と、本当に北の国からやってきたのか疑うほど熱いソーニャのロシア語の感嘆の声。
この辺に住んでいるとサーファーは珍しくない。だが、こうしてサーフィンをじっくり見る機会がなかったので、絵に描いたように波に乗る様子が不思議に見える。
ソーニャの日本人には見慣れない髪や白い肌もあり、まるで異世界にでも来たような感覚すら覚え、
(人間って本当に波に乗れるんだな)
と感想を抱く。自分が同じことはできないだろうなと同時に感じる。
「ウルァー!」
大きな波に乗り、ターンを決めるソーニャ。
「すげぇ。あんなこともできるのか……」
オサムも思わず感想を口にする動きだった。アニメに出てくるような、魔法でも使ってるような、彼女の碧色の目にはどういう光景が写っているのか想像もできない動きに見えた。
そんなソーニャの波乗りを見て、久しぶりに心が揺さぶられる『なにか』を感じ始めていた。この気分は前にも感じたことがある。感覚的には覚えている。だが、言葉として出てこない。
「ニェット!?」
そう考えている間に、ソーニャが足を滑らせて海に沈んだ。
「だ、だいじょ――」
「ぷはぁ……アハハハハ」
オサムが大丈夫かと駆け寄る前に、ソーニャは海から顔をだして大笑い。サーフボードに捕まり、青空に向かって世界にひとりしか居ないような遠慮ない大声だ。
(ベテランサーファーが波乗り失敗したくらい溺れたりしないか……)
安心したオサムは動き始めていた足を戻し、息をつく。一応ソーニャの付き添いを任されているからか、少し神経質になりすぎたかもしれないと思う。
満足したのかサーフボードを戻して、上に乗りこちらに泳いでくる。
「日本の海はどう?」
戻ってくるソーニャの体をなるべく見ないように話しかける。まっすぐ見てると、水に濡れて光を反射する真っ白な太ももが目に入ってしまい、脳内が悶々とする。
「湘南の海は温かい! ここなら永遠とできる!」
「延々とじゃないのか」
「永遠だよ! 疲れたらボードの上で寝るの! ご飯は魚を釣って食べる!」
海バンザイと言わんばかりに、大空に向かい拳を上げるソーニャの目は本気に見えた。湘南は漁業も盛んな場所なので本当にやりそうだと感じる。
「でも、今日は日本に来たばかりで疲れちゃった。続きはまた明日」
そう言ってソーニャはビニールシートの上にボードを置き、バッグからタオルを取ってみずみずしい体を拭く。
(そいえばソーニャは、ロシアから来たその足でサーフィンをしてたよな。どれだけ体力あるんだ? それともそのアクティブすぎる性格がそうさせているのか?)
オサムはそこに驚きながら、ソーニャをまじまじと見ていた。
「どうしたの?」
「あっ、いや――」
返答につまり、激しくまばたきさせながら視線を西に見える江ノ島に移した。
無意識とはいえ同い年の女の子の体を見つめていたのだ。いやらしい目で見られていたのだと思われても仕方がない。言い訳をしなければと思って慌てた唇から、
「うぇ、ウェットスーツ、思ったのと違うから……」
「ロシアでは全身を覆ったのを使ってるよ。風が冷たかったりするから、これと同じのを着ちゃうと風邪引いちゃう」
「じゃあ、それは」
「日本で波に乗るためにシチョウしたの!」
「新調? 新しく用意すること?」
「アレ? でもそれそれ。日本は温かいからこういうのでもいいと思った!」
「そういうのってどこで買うの? さっきのサーフィンショップ?」
「えっと、日本人にわかりやすく言うと『オーダーメイド』っていうのかな? ワタシ用に作ってもらうの」
「でもそれって、高くない?」
「うん、USAの会社にお願いしてるよ。その会社のひとが日本のこと好きで、日本の波に乗れるように作ってくれた」
「……ソーニャの家ってお金持ち?」
今度はオサムが黒い目を丸くして思ったことを口にする。
高そうな道具を揃えたり、海外からわざわざ取り寄せたりと、お金のかかることをしているソーニャの話を聞いて、オサムは違う世界の話を聞かされてる気がした。
「普通だよ~。それに日本に来れたのはシズカのおかげだから、お金持ち関係ない」
「静佳ねえの? 送迎以外になにかしてるの?」
「うん、日本にいる間はシズカのお家に泊めてもらうよ」
「静佳ねえの?」
ソーニャ言うことが信じられず、オサムは念押しするように同じ言葉で聞き返した。
「うん、ホームステイだから、お金とかもいらないって」
「いらないって!?」
オサムは文字通り信じられないことを聞いたように大きな声で聞き返した。ソーニャは異世界からやってきた女の子だと言ってくれたほうがまだ信じられる。
言い方は悪いが、静佳はお金にうるさい。端的に言うとケチだ。
あれこれ逸話を本人から聞いているが、とにかくお金のためにはあらゆることをする。経費で落ちるものは全て領収書をもらっていくし、売れると思った作家は経歴問わずスカウトして育てる。逆にお金にならないことはまるでやらない。
例外として『面白い』と思ったことには積極的だ。車も日本車じゃなくて外車のほうが面白いだろうと言って個人輸入までしてわざわざドイツ製のを買ったし、そもそも仕事もそうして選んだと言っていた。
「ソーニャ、なにかあったら俺に連絡していいから」
教育に無関心な父親が子供に大切なことをアドバイスするような口調で、オサムはソーニャに言い聞かせた。
ソーニャを泊めている理由がオサムには分からないし、どういう裏があるのか見当もつかない。オサムも静佳のことは尊敬してるし、恩人だし、姉のような存在だと思っている。
だからこそ、いろいろ知っていて怖いところがある。
「うん!」
それを知らないと思われるソーニャは、青い水のように純粋な返事をする。だがオサムはそんなソーニャに何事もないことを祈っていた。
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