1-2 付き添いの彼氏さん?
急に異世界に飛ばされてたり、異世界じゃなくても突然ヒロインに声をかけられても、ラノベみたいにうまくいくわけない。オサムは家を出てすぐにそう思った。
共通の話題が見えない状況で、初めて会った――しかも外国の女の子と話をするのは難しすぎる。静佳はなんで、急にこんなハードルの高いソーシャルゲームのようなクエストを寄越してきたのだろうか。
約二メートルほどのサーフボードと、ウェットスーツなどが入っていると思われる大きめのビニールバッグを担いで、ソーニャは元気にアスファルトの砂漠のような道を歩く。
ソーニャは母が日本人とはいえ、ロシアに住んでいたのによく冒険家のように歩き出せるなと関心する。対してオサムは知ってる道なのにどうしたらいいか分からず迷っており、こちらが道に迷ったような表情をしていた。
「オサム! どこに行けばサーフィンできるの?」
(行き先も聞かずによくついてきたな……)
「七里ヶ浜。今から電車乗って移動するよ」
キャラクターの台詞を考えているときのように言葉使いを探り、オサムは答えた。
オサムの住んでるアパートの最寄り駅は由比ヶ浜駅。七里ヶ浜駅までは、電車で四駅――十分ほど距離になる。
「そのシィチリガーハマ、どうしてそこがいいと思ったの?」
「ランニングしてるときに、そこらへんなら程よく波があったのを覚えてた。普段はあまりサーファーが多くないと思ったから、かな」
「なるほどー。つまり『コテツにはいらんずらばコージを選べず』だね」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず?」
「だよ!」
「あとそれはここで使える言葉じゃないけど」
「アレ?」
ソーニャは碧い目を点にして首を傾げた。
出会って即仲良しがスローガンのようなソーニャと、うまく会話出来てるかまだ不安なオサムはそんな話をしつつ、由比ヶ浜駅へ到着する。ひとの乗り降りも少ないので無人駅で、今日も蝉だけがホームを賑わせている。
オサムは財布ごと交通ICカードを改札機にタッチした後、
「切符はあっち買うんだけど……漢字は読める?」
小さな駅は切符売り場の場所や無人改札などが分かりづらいとネットで話題になっているのを聞いたことがあった。海外から来たなら、日本特有のシステムがアレンジされてたりで、なおさら難しいだろうとオサムは思った。
「切符買わなくても大丈夫! 日本来たとき、これ作ってもらった」
ソーニャは財布から、ペンギンが描かれた緑と白のICカードを取り出して自慢気に見せる。
「すごいでしょ? 日本だと特にこれがあるとベンリーって聞いた!」
そう言ってソーニャは改札機にカードをタッチする。
「でもアリガト。キーを使ってくれたんだね」
「まあ、うん」
『気を使って』という言葉が変な言い方になっていたのを指摘しようかと思ったが、ソーニャの無垢な笑顔を崩せないと思って曖昧な返事をし、オサムは目をホームの方へそらした。
江ノ島電鉄線、通称『江ノ電』は民家の間や神社の手前を縫うように走ったり、短いトンネルを抜けたり、海沿いを走ったり、線路のすぐ横を車が走ったりする。知らないひとからすればアスレチックのようなジェットコースターのような路線だ。
ソーニャは電車の先頭車両の一番前の席で、初めて車に乗った子供のような表情でそのめまぐるしい光景を見つめていた。
そしてそのテンションのまま電車を降りて、七里ヶ浜の駅を出る。
「駅を出て、すぐそこは海~」
ソーニャは潮の香りに導かれるように、海の見えるところまで駆けていく。駅の直ぐ側には川が流れており、その橋の上でソーニャは海を見渡す。
オサムはテンションの高いソーニャにずるずると引きづられていくだけだった。
「海を珍しそうに見てるけど、ロシアでもサーフィンしてたんじゃないの?」
日差しとソーニャの笑顔が眩しく、目を細めながらオサムは聞く。
静佳の話を聞く限りはソーニャは経験者だ。それに現地の海で飽きるほど波に乗っているような経験者じゃなければ、わざわざ外国まで来てサーフィンをしたがることもないだろう。
「っていうかロシアみたいな寒い国でサーフィンなんてできるのか?」
ロシアを極寒の国だと思っているオサムにはそれも疑問だった。
「サーフィンする場所には『カムチャッカ』ってところある。それ以外だとロシアであまりできる場所ない……。で、どっちあっち?」
もうそばにある川から海に流れて行ってしまいそうなソーニャのソワソワしたテンションに、カムチャッカがどこかという疑問も流されて、
「あっち」
と指差しオサムは先に歩きだす。指差す方には飲食店やサブレのお店があり、ソーニャもオサムを追い抜く勢いでやってくる。
「じゃあなんでわざわざ日本に?」
「ワタシ寒いの嫌いなの。だから暖かくって、毎日いつでもサーフィンできる湘南に興味あった」
強い日差しと騒がしく鳴く蝉の声。今感じている日本の夏は、ソーニャの理想の場所のようだ。一方でオサムはロシアみたいに寒いくらいの場所が良いと、毎年夏に思っている。そんな真逆の考え。
「ロシア人なのに寒いの苦手なの?」
「ロシアのひとみんな寒いの好きなのは違う! ひとそれぞれだよ!」
今まで笑ってた顔が考えの違いで膨れる。オサムはその表情の変わりかたに、怒られたような気分になり萎縮。
「……ごめんなさい」
「分かればヨロシイ! 『ひとを恨んで罪を恨まず』ってやつ」
素直に謝るとソーニャはまた上機嫌になる。まだ距離感がつかめずにいたが、これは言わないといけない気がしたオサムははっきりと、
「それ逆。ひとを恨んじゃいけない」
「アレ?」
ソーニャが小さな碧色の宝石のように目を点にして考えいる間に、住宅街を進むと民家の合間から海が見えてくる。その反対側、そばにはレトロさを感じさせる赤茶けた江ノ電のレールが走っていた。柵がついておらず簡単に入れてしまう。
「昔こんな映画あったね」
「レールの上に入るのはちょっと……」
「大丈夫! 日本は電車たくさん走ってる。だから行ったと思ってもすぐにやってくる。ここもいっしょ!」
ロシアのような広い国と比べても、日本の列車は多く感じるのだろうとオサムは思いながら、ソーニャの話に耳を傾けていた。
「サーフィンはそういうの大事! 危ないと思ったことはしない、危ない場所には近づかない、天気が悪いときは波に乗らない」
「やんちゃなスポーツだと思ったけど、そういうところはちゃんとしてるんだな」
「軽い気持ちで波に乗ると危ない。でも楽しむ気持ちも大事!」
ソーニャがサーフィンについて語っているのを聞きながら、道を真っ直ぐ歩くと国道一三四号線に合流する。そんな波の音が聞こえる線路沿いの先には一件のサーフショップがあった。
「おー、湘南のサーフショップはとてもおしゃれ!」
サーフィン用品店『エアシップ』は灰色や白の民家ばかりの中、海沿いにある黄色い建物でとても目立つ。入ったことはないが、その存在はオサムもよく覚えていた。
「えっと、サラニコロモムロを……」
「『更衣室を貸出します』だって。ここで着替えればいいんじゃないか」
「おー。こういうところも日本すごい!」
ロシアでサーフィンするときはどうしていたんだろうかと、質問をする前にソーニャがお店のドアを開けた。入店のベルと一緒に、
「ゴメンクダサイ、コーイシツ……? を使いたいです」
「はい~、どうぞ」
異国の店なのになんにも怖がらずにソーニャは声をかける。その声に反応し、店の奥からセミショートの銀髪の女の子がひょこっと出てきた。
「女子更衣室はこの奥で、男子はそっちですよ」
褐色の小さな手が位置を案内してくれる。ソーニャは『ありがと』と言いながら奥へ。ソーニャを見送った店員は次にオサムの方を見る。
「あ、俺は違うんで」
オサムは両手を振った。
「じゃ~あ~、付き添いの彼氏さん?」
銀髪の女の子は小悪魔のような黒い目と冷やかしの声で、オサムに聞いてくる。
「『彼氏』ってところは違いますよ。むしろ今日初めて会ったばかりで、あれこれあって付き添いを押し付けられたんですよ」
慌てたオサムはあたふたと散らかった説明をした。
「ふ~ん、そうなんですね」
それを聞いた店員は興味が失せたような返事をして、レジに戻って仕事を始めた。
オサムも暇になってしまったので、とりあえず店内を見てみることにした。まったく未開拓の地と言ってもいいほど入ったことのない店なので、冒険心や興味が湧く。
木造で温かい雰囲気がある店内には、たくさんのサーフボードが並ぶ。
ソーニャの持っていた二メートルくらいの物から、持ち運びが大変そうなサイズまで様々。形も波を切るために尖った物や、スノーボードみたいに丸くなったタイプなどがあり、一口にサーフボードと言ってもいろいろなのだと素直に思って、オサムは小説の取材をしている目で品物を観察していた。
それ以外にはウェットスーツや帽子、ビーチサンダルなどが並んでいるが、あまり店おが大きくないからか、量は少ない。
「さぁ、行くよオサム!」
大きな波のような強さと気合の入った声が聞こえてきた。
更衣室から出てきたソーニャは、黒い半袖タイプのウェットスーツを上半身に着て、下はビキニのような白いショートパンツ。SFアニメに出てくるスーツを想像していたオサムは、その色気のある水着みたいなデザインに目をそらした。
「イザ! シュッジンだー!」
オサムは細くも力強い手に握られ引っ張られる。こうして近くで見ると分かる柔らかそうな白い肌、こんな暑い日なのにひんやりとした手の感触。そして先程見えてしまった思った以上に色っぽい格好に、あらゆる意識や感覚が取られており、
「俺は海に入らないけど……。あとそれを言うなら出陣だって――」
と言い返すので精一杯だった。
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