4-3 オサムは『見えるんだ』

 今日も練習のためにソーニャと海にやってきた。気温は三十度を超えると、奈美のお店で流れていたラジオから聞こえてくる。


 いつも元気なソーニャだが、さすがに暑いのかどこか遠くを見るような細い目をしていた。


「ソーニャ?」


 だがその表情はいつもの高揚感を感じる笑顔ではなく、暑さで気が遠くなっているのでもなく、なにかを気にしているようだった。


「どうしたんだ?」

「う~ん……。気のせいかな?」


 首を傾げつつも自分自身を納得させるようにソーニャはつぶやいてから、

「さ! 今日も始めるよー」

「う、うん」


 本人が大したことはないというのなら、大丈夫だろう。なにかあれば自分もついてるし、近くに奈美のお店もあるし、道沿いの国道は車も結構走っている。それを目視でも確認してからオサムも頭を切り替えた。


「前回言われたテイクオフの注意点、練習してきたから見てもらえる?」


 そう言ってオサムは波の方へと行った。先日と同様ボードに乗り、波に合わせて滑りだす。


 うまく波に乗ったところで、昨日ソーニャに教わり、練習したとおりに前だけを見てボードへ乗る。


 昨日と同じようにうまくいきそうになったのと同じ感じがした。

 自転車ではなく、かと言ってオープンカーでもない。自然の力で動かされる。

 スピードは自分の思ったよりも早く、その風がとても心地いい。今日が三十度を超える文字通りの真夏日だと思えなくなったほどだ。


 暑さだけではなく、いろんな感覚がおかしくなってきた。


「はらっしょー」


 不思議な感覚から、現実に戻したのはソーニャの感嘆詞。それを聞いてうまくいってるんだなと思ったが、もうすぐ波の力がなくなる。


「やばっ!?」

 と口に出したときには、後ろから海に落ちた。先程までの感覚は、全て砂浜へと埋もれた。


「オサムーできてたよー! 波に乗れてたよー」

 当人のオサム以上に興奮したようで、ソーニャが波の音をかき消すような大声で叫びながら駆け寄ってくる。


「うん、あとは着地かな」

「着地は後でどうにでもなるよ!」


(後先は考えないのか……ソーニャらしいといえばらしいけど)

 ソーニャのテンションに押されて冷静になってしまったオサムは、ボードを回収しながらそう思った。


「ところで、その……乗ってるときの体勢とか姿勢はどうだった?」

 本音はかっこいいかどうか聞きたかったオサムだが、自分のことを『かっこいい』と聞くのは恥ずかしく、目をそらしながら遠回りな言い方をした。


「かっこよかったよ!」


 ソーニャはその言葉の真意を汲みとったように、スポーツ選手に憧れるような輝く目と声で返してくれる。


「そっか……それはよかった」


 ソーニャの目からかっこよく見えたのなら、その姿勢は間違ってないってことだろう。こういうスポーツは、姿勢が悪かったらかっこ悪くなるとオサムは思っている。


 だが面と向かってかわいい女の子に『かっこいい』と褒められるのはなれておらず、オサムは顔を隠すように顔を鎌倉方面へとそらした。


「じゃあ次は大きな波に挑戦してみる?」

「いや、もうちょっとスープで練習してみるよ」


 さっきの感覚を頭ではなく体で覚えたいと思い、反復練習をすることにする。再びボードを海に浮かべて、オサムは再び白い波に向き合う。


「うん! じゃあワタシは沖のほうで波に乗ってるね」


 そう言って沖の方へ泳いでいくソーニャを見て、両手の拳を握りしめ、再度気合を入れる。



 しばらくスープで練習したオサムは、大体の乗り方を覚えてきた。

 手順は家で練習してきたわけで、そのイメージトレーニングとリアルとのギャップを埋めていくことができている。


 うまく乗れだしたところで、今日はおしまいにしようとも思った。

 だがランナーズハイのような高揚感を体から感じている。

 その勢いでソーニャが悠々と波に乗っている沖の方へボードを泳がせた。


「オサム! どうしたの?」

「スープじゃなくて大きな波に乗りたくなってきたから、教えてほしい」

「うん! やってみよう」


 ソーニャはしっかりと目を合わせ、この日差しに負けない笑顔で答えてくれた。


「手順はさっきと一緒だよ。スープのときよりもいっぱい泳いで波に合わせてね」


 オサムはうなずいてボードに乗り、昨日から続けているのと同じように泳ぐ。


 先程のスープと違うのは、本気で泳がないと波についていけなくなること。水をかく腕にも力が入る。


 漕ぎ続けるとようやく波とスピードが合った。泳ぐ手を止め、ボードに手をつき、足を飛び乗せる。


 その瞬間、オサムにはさっきまでスープで波乗りをしていたのとは、違う光景が目に入る。湘南の町並みや浜は遠く、まるで海の世界に来たような感覚がする。


 幼いころ見ていたアニメに海を旅する物語があった。世界には陸地が少なく、船の上で生活をするという主人公たち。時折エンジンの付いたサーフボードに乗り、海賊たちと戦う姿に憧れていたのを思い出す。


 自分はその世界にいるのかもしれない。


 そんな幻覚とも言える感覚に、

(これはイケる)


 いよいよその波の上へ立とうとした。ボードに両足を乗せたその刹那、波が横にずれ現実の世界の海へと落ちていき、視界は空の青から海の青へと変わる。


「波の勢いがぜんぜん違う……」


 水上で顔を出し大きく息を吐いたオサムは、近くにあった自分のサーフボードにしがみつく。


「難しい?」


 そばにいたソーニャが優しい家庭教師のような顔と声でオサムに聞く。


「難しいけど、多分乗ったらまた違うものが見える気がする」


 真顔で言った後に思った。我ながら変な表現をしたかもしれないと。


 サーファーたちがどういう理由で波に乗るのかはひとそれぞれ。楽しいから、モテたいから、かっこいいからなどなど。

 そんな理由の中に『なんとも言えない楽しさ』というのを見たことがある。ソーニャや優里亜も似たようなことを言っていた。それが自分にも分かってきたのかもしれないと感じた。


「オサムは『見えるんだ』」


 まるで自分も特殊能力、異能力者のような言い回しでソーニャが言った。

 その不思議な表情は『お前も同じ力を持つものか、ならばワタシとともに世界のために戦ってくれ』と後が続くのではないかと思って首を傾げた。


「うん? どういうこと?」


 ソーニャの言葉に、オサムは不思議なものの正体を確かめるように聞き返した。


「ワタシはサーフィンしてると『感じる』んだ。風とか、水しぶき、太陽、空気、音、いろんなこと」


 ソーニャの自分の魔法を語るような口調はオサムをうなずかせる。オサムの厨二心がくすぐられて『ソーニャは異能力者』という妄想も間違ってなかったように思わせてくる。


「前に異世界にいるみたいっていうのはそういうことなんだな」

「そうかもしれない。ワタシはそれを感じてるだけで、やっぱりうまく言葉にはできないんだけど……」


 ソーニャは自信のない表情で、海の底に言葉を探すようにうつむく。


 オサムもさっき感じた不思議な感覚を言葉にしろと言われて、うまくできる自信はない。それはソーニャも同じのようで、抽象的な言い方にしかならない。ソーニャからすれば外国語の日本語ならさらに難しいのだろう。


「でもそんな気持ちにさせてくれる、サーフィンってすごいんだな」

「すごいって何度も言ってるよ!」


 ソーニャは頬を膨らませてオサムに言った。

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