4-4 でも水着なんて、スク水しかないっす

 休憩のために砂浜に戻ってきてビーチサンダルを回収する。一緒に置いてあるビニールシートを広げたオサムの横で、ソーニャは手にとったビーチサンダルを履かずに遠くを見て固まっていた。


 不安そうなおかしな感じを覚えるような表情と目だ。


「オサム、誰か見てる気がしない?」

「誰かって?」

「分からないけど、見られてる気がする」


 ソーニャは身を縮めてあたりを見渡す。

 こんな見渡しのいい場所で盗撮は難しい。本当に盗撮ならば見えるはずだと思い、オサムは警戒の目を凝らしてあたりを見渡す。


 すると、道路から海岸に降りる階段に光るものを見つけた。

 それを見つけるなり、オサムは走って階段の方へ行く。


「オサム!」


 いじめっ子をボコったこの体なので、多少の喧嘩はできるし、ソーニャを盗撮してたなら、警察も呼ばないといけない。厨二心をくすぐらたままの正義感を高揚させていた。


 だが階段で一眼レフカメラを構えていたのは、

「理衣さん!?」


「あらあら、見つかっちゃったっす。傭兵みたいなサバイバルはあーしには向いてないかもっすね」


 いつものひょうひょうとした口調と、好きなアニメを見てるように心底楽しく笑っている理衣が居た。


 理衣は、地味目の色のシャツにやっぱり地味なロングスカートという、オサムが見るのはいつ以来になるか分からない私服だ。仕事ではないのでこの服装が当たり前なのだが、制服じゃないことに逆に違和感だ。


「傭兵は湘南のビーチで盗撮なんてしないです。で、俺らを撮ってたんですか」

「そうっすよ。おふたりがここでサーフィンしているのを知ったんで、自慢の一眼レフ持ちだして」


 理衣の言う雇われ兵士が持っているバズーカみたいなレンズがついた一眼レフを、自慢気な表情でオサムに見せつける。


「あー、リーだ! ドーブルリィベーチェル」

「ドーブルリィベーチェル」


 オサムの後に続いてやってきたソーニャは、さっきまでの警戒心を解いて笑顔でロシア語で挨拶をする。


「今日はなにしに来たの~?」

「おふたりのハラショーなサーフィンを見に来たんっすよ」


 アイドルの握手会に来ているような笑みと口調で理衣は答える。こういうときの理衣はイキイキしてるなぁとオサムは関心しているが、次の台詞を考えて腕を組む。


「ハラショー! じゃあ、もっと近くで見ていいんだよ!」

「おぉうっ、それはスッパシーバ」


 理衣は、まるでアイドルのライブを近くで見てもいいと言われたように目をきらびやかに輝かせた。ソーニャは理衣とオサムの手をひいいて、


「このビニールシート使っていいから! じゃ、オサム! 続きしよう!」

「休憩はー!?」


 本当にサーフィンに関しては底なしの体力だなとオサムは思いながら、ソーニャの足取りにあわせて走る。理衣はソーニャの勢いに文字通りアワアワしながら引っ張られていた。



「いやぁ、ふたりともかっこ良かったっすよ~」


 着替え終わったオサムとソーニャはいつもどおり『エアシップ』の上のテラスへ。

 いつもと違うのはそこにアイドルの楽屋にお邪魔しているような理衣がいること。自慢していた一眼レフカメラがテーブルの上におかれている。


「スパシーバ、リー」


 理衣にはロシア語混じりでしゃべるんだなとオサムは思ったが、なにを言っているのかは分からない。多分今の『スパシーバ』はお礼とかそういう意味なんだろうと推測し、それを前提でオサムは話に加わる。


「そうですか? 俺なんて乗れずにコケてるばかりでしたけど」


 小さい波でも満足に乗れていないと、オサムは今の自分を評価し、自分に呆れるように両手でアニメのやれやれ系主人公のポーズをする。体力こそつけたものの、いつもの力技は通じないとなるとお手上げサーファーになってしまう。


「オサムもだんだんうまくなってる。

 これなら大会までにちゃんと乗れるようになるよ」


 ソーニャの言う大会まであと二週間ほどだ。一応初心者の部ではあるが、乗れないで参加することになるのはなんとか避けたい。なのでベテランのソーニャに大丈夫と言ってもらえると、オサムはホッと息を吐く。


「ほ~、オサムくん大会に出るんだ~。あーしもその日休みを取らなくちゃな~」


 理衣は次のライブチケットを確保する算段を練るようにワクワクした表情で、スマホのスケジュール帳に予定を打ち込む。


 なにか余計な情報を理衣に入れてしまった気がするが、ソーニャが言ったことだし不可抗力。仕方ないとオサムは脳内で自分に言い聞かせ、理衣の様子を黒いジト目で見ていた。


「ワタシも出るよ~。見に来てね~」

「行くっす行くっす! かっこいい姿ちゃんと写真に収めるっすよ~」


「よろしくー」

(よろしくって言ってるけど、多分理衣さんの私利私欲なんだよなぁ……)


 そんな写真の使用目的について思うところはあるが、とりあえず不利益なことがなければ黙っておくことにしたオサムは、表情を変えずにふたりの話を聞いていた。


「リーは海で泳いだり遊んだりしないの?」

「あーしは水着似合わないっすから……」


 謙遜というより自虐気味に笑って言う理衣を、ソーニャは不思議そうな顔で見つめている。


「そう? リーは日本人らしくてとても綺麗、それに面白い」

「そうかな? スパシーバ……」


 素直に褒められ慣れてないのか、理衣はうつむいて顔を赤くする。ソーニャはそんな理衣のリアクションにも不思議な顔をする。


 オサムにはなんとなく理衣の気持ちが分かる。自分もいじめっ子を見返したり、小説家としてスカウトを受けなければこんなにも胸を張って生活することはできなかったかもしれない。そう思うと文字通り自信が持てない友達を見守る目になる。


「海に入らなくても、またサーフィン見に来てくれる?」

「もちろんっすよ。ただ、仕事があるのでたまにになっちゃいまっすけど……」


 語尾が消えるように小さな声になり、理衣の顔もテンションもうつむいていく。


 理衣の仕事は接客業にあたるので他の仕事のように土日はほとんど休めず、その休みも週に一日。仕事の日は開店から閉店までずっと店にいるので、仕事の後にサーフィンを見に来ることもできない。どんなに仕事が楽しくても、そんな事実と侘しさが理衣の内心にはある。


「海に入らなくてもいいので、今度は遠くから見てないで、普通に遊びに来てほしいんです」


 遠くから見てるんじゃなく、普通に挨拶して普通に話をしたいとオサムは思って、ため息混じりに言う。


「……オサムくんがそう言うなら」


 その言葉に、理衣は頬を染めて妙にしおらしくなった。オサムは思ったのと違う返事に、変なことを言ってしまったのかと思いながら目を丸くして理衣を見直す。


「でも水着なんて、スク水しかないっす」


 オサムは椅子をひっくり返してずっこけた。

 なんであるんだろうと思うが、これは深く追求していいものなのか分からず、しばらく立ち上がれなかった。


「スクミズ?」

「学校の授業で使う水泳用の水着って言えばいいかな?」


 理衣がまともな要約をしてくれる。オサムとしては、どう解説していいか悩むところだったので助かった。

 だがそれ以上に言いたいことがあり、椅子を直しながら、

「なんでそっちはあるんですか!?」


「だって、オサムくんの書いた本に出てきたから参考資料に買ったんっすよ……」

「むしろ着れるんですか!?」

「一応……。

 恥ずかしいから着るならここじゃなくて、例のプールみたいな場所がいいっす」

「余計にダメです!」


「例のプール?」

「ソーニャは知らなくていいよ」

「えー、日本のこともっと知りたいよ~」

「スタジオっすよ。プール付きの。

 使用料金はお高いから入ったことはないっすけどね」

「すごーい」


 スタジオと聞いてソーニャは関心した驚きの声をあげる。一体どういう想像をしてるのか、オサムには分からないが多分実物とは違うだろうことまでは分かる。なので正しい情報を入れないように、これ以上は黙っておくことにした。


(水着買いに行かないとなぁ……)


 理衣はそんなふたりをよそに、口に出さずに脳内スケジュール帳に新しい予定を追加する。そうしてからテーブルの上の一眼レフカメラのベルトを首にかけて、

「それじゃあーしはこれにて失礼するっす」


 理衣は今から自分の所属する戦艦に戻るような晴れやかな表情で、ピシッと敬礼をする。


「もう帰るの~?」


 もっと話していたいという寂しそうな表情で、ソーニャは理衣の腕をつかむ。


「引きこもりのあーしには、お日様の下が辛いっす。

 写真はまた今度持ってくるっすね」

「分かったー。楽しみにしてるねー」

「ではこれにて失敬するっす」


 理衣は、恐る恐るハシゴを降りていく。オサムもソーニャは手を振って見送る。


 降りた先で『あ、どうもっす』と言っているのが聞こえた。入れ替わりではしごを登る音がする。上がってきたのは理衣とは真逆に、Tシャツとホットパンツ姿の陽の光に強そうな肌の奈美だった。


「お仕事お疲れ様。もういいの?」

「うん。今日はもう閉店。それで、さっきのメガネのおねーさんは?」


 奈美は住んでる世界が違う種族を見たような表情で、理衣のことを聞く。


「俺の小説のファン……でいいのかな。いろいろあって今は友達やってるかた」


 他に説明しようがないとオサムは思っている。

 良い説明があれば教えてほしいほどだ。


「面白いひとだったよ」

「そうなんだ~」

 と奈美は特に気にした様子もなく言っているが、奈美と理衣の相性が良いかはオサムには保証できない。理衣は奈美のことをリア充と呼んで敬遠しそうだ。


「オサムお兄さん、サーフィンはどう?」

「ようやく乗れるようになってきたよ。でもまだ大きな波は難しいなぁ」


 違う景色を見るためには、相応の努力と技術が必要だとオサムは再認識した。小説という媒体でもそれは一緒で、静佳といつも打ち合わせをしていたことを思い出しながら答えた。


「ナミは泳ぐ練習どう?」


 ソーニャは冒険物語の続きを楽しみにしていたようなワクワクした表情で聞く。奈美も新たな一歩――今まで踏み出せなかった一歩を進んでいるので、オサムも身を乗り出すようにしてその冒険を聞く姿勢をとる。


「ビート板を使えば泳げるようになったよ。

 最近は優里亜に付き添って貰ってボードに乗って練習してるね」

「すごーい! 今まで泳げなかったのに!」

「よかったよ。そんなに上達するなんて、教えた甲斐があるよ」


 オサムも弟子の成長を喜ぶような誇らしい笑みで言う。

 ひとに物を教える機会は今までなく、今もサーフィンについて教わる側だ。そんな自分がひとに物を教えて、その成果が出るのはとてもうれしかった。


「うん、ふたりのおかげだよ!

 でもボードに乗るとコケちゃうんだよね。砂の上でも」


「「砂の上でも?」」


 オサムとソーニャは声を揃えて目も一緒に丸くした。


 砂の上では当然揺れることはない。

 だから、ボードの上に立つことはとても簡単のはず。


 奈美もそれはおかしなことだと分かっている。

 うつむいて残念そうな声で、

「そうなんだよね……。幼いころ病気や障害とかも疑われたけど、異常なしって言われちゃってるんだよね」


 本人も原因が分かっていないらしい。オサムも知識を総動員するが、原因が全く思い当たらない。なのでどう声をかけような考えていたが、

「でも、あきらめないよ」


 一転して力強い声と、次の戦いに向かうような表情で奈美は宣言する。

「自転車は乗れるんだもん。サーフボードだって乗れるようになるよ」

「ダッヴァイ! がんばろうね」

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