6-4 うん、楽しみにしてるよ

 初めて波に乗れそうになったときのことを思い出す。


 エンジンでもない、風でもない、自分の手足でもない力で海に乗り、風を斬る感覚。普段見ているはずの湘南の風景も海から見ると別の世界。異世界を冒険しているときに見つけた新しい大陸のようだ。


 その先で自分を待っていたのは、新しい出会い。

 金髪碧眼の絵に描いたようなヒロインが、新しい魔法を教えてくれる。

 水を操り、海に浮かび、ボードで波に乗る。


 まるで魔法だった。


 サーフィンの魅力。

 もしかしたらそれは魔法のような力を感じることなのではないか。


 今のオサムにはその表現が妥当だった。でもこれが一番には思えない。

 もっと波に乗って、たくさんの景色を見て、いろいろなものを感じれば、もっといい言葉が浮かぶだろう。


 でも本当は今知りたい。

 ソーニャがロシアに帰ってしまう前に、それを伝えたい。

 もっと、もっと乗らせてほしい。


 そう思ったときに、急にボードが宙に浮く。自転車で前輪になにか引っかかったようなのと同じ感覚と衝撃。


 ボードはくるりと一回転。オサムも、分かりかけた感覚も波に飲まれる。



「あーあ、うまくいってたのに」

「一度コケちゃうと点数とかよりも心に響くんっすよね……。

 陸上でもフィギュアスケートでも、一度コケるとモチベーション的にも体力的にも、持ち直すのに苦労する聞いたことがあるっすよ」


 オサムが海に落ちたのを見て、奈美と理衣は残念無念というコメントをしてオペラグラスとカメラから目を離す。


 だが、海から上がってきたオサムを見た静佳は、双メガネでその表情を見つめていた。そして勝利を確信するようにニヤリと笑ってみせる。


「それは違うなふたりとも。その望遠レンズでオサムくんの顔をよく見てみて」


 あまりに状況と違う静佳の声と表情に、まさかと思い再度オサムを見てみると、

「オサムくん、笑ってるっす?」

「ホントだ。なんで?」


 頭にクエッションマークを浮かべる理衣と奈美をよそに、静佳は溢れ出る気持ちが口元や表情筋に出てしまっている。そしてオサムと仕事の打ち合わせをしていたときのことを思い出しながら口を開く。


「小説書いてるとき、いい案が浮かんだらオサムくんはああいう顔になるの。

 まるで新しい世界でも見つけた表情だ……」


 新刊のアイディア出しのときに、散らかった部屋でオサムは次はこういう展開がしたい。次はこういう敵が出てきて、主人公はこんなピンチに陥る。だがこうして乗り切る。その説明を聞いているのがとても好きだった。


「私はあの表情がすっごく好きなのよ」


 この世で一番美しいものを見ているような表情と、興奮した声でそう言った。



 一度失敗してからのオサムはさっきまでの冴えないサーフィンを挽回するように、調子のいい波乗りをした。


 優里亜に教わったカットバックを決めたり、調子が良くてもあまり成功しなかった大きな波にもキレイに乗ることができたり、ソーニャの動きを思い出しながら同じことをしてみたり。


 点数は伸びたが、本調子になるまでの減点が響き、次の試合へは進めなかった。


 結果が出た後に、ソーニャと優里亜がかけつけてくれる。


「オサム、えっと……うまくなったよ?」


 ソーニャが言葉を考え、首を傾げながらオサムに声をかける。


「そぅ……そうね」


 優里亜もオサムが落ち込んでいると思い、いつもの調子ではなく遠慮した言い方をする。


「ふたりとも、ありがとう。今回はこんなもんだった思うよ。また練習して次にそなえるさ」


 ソーニャと優里亜の心配とは全然違った表情のオサムに、ふたりは顔を合わせる。


「えっ、落ち込んでないの?」

「全然」


 ソーニャの直球の疑問にけろっとした顔で答える。オサムのほうが不思議な顔をしているほどだ。


「だって、相手はいつものオサムより全然下手っぴだったし、悔しくないの?」

「悔しいけど、練習すれば次はうまくいくって」


 優里亜の質問にも晴れやかな表情で返すオサム。優里亜はそれを見て目を丸くしてパチクリさせる。


「大会に出たおかげで見えてきたし、分かったことも多いから」

「そっ、そう。なら良かったわ……。それじゃあたしたち行くわよ」

「ちゃんと見ててね」


 気を取り直したソーニャと優里亜にオサムは強く頷く。



 ソーニャの本気のサーフィンはまるで魔法だった。


 人間が立てるはずがない水の上を走り、摩擦や抵抗や物理法則が通用していないような動きにも感じた。


 オサムは自分のその表現は大げさと思った。

 だが、まわりのギャラリーもオサムと似たような表情をしていたし、審査員に至ってはロシア国籍の謎の美少女がミラクルなテイクオフを決めている状況に騒然としていた。


 優里亜もいつも以上の気合を感じるサーフィンをしている。得意技に見たことなかった技術を見せられて、優里亜の新たな一面を見た気がした。


 何年も一緒にいるのに、まだまだ知らないことがある。


 サーフボードの上の優里亜はオサムの知ってる優里亜ではなく、魔法で変身した姿なのかもしれない。


 そんなふたりからは、この世界がどう見えているのだろうか。

 オサムなそんなことを考えながら、ふたりのいる決勝戦を見ていた。


 結果はソーニャが準優勝、優里亜は表彰台を逃した。

 大会主催側もソーニャのような子がここまで来るとは思っていなかったようで、驚きと感動の表情で表彰状を渡していた。


「ちっくっそー、あのときもっと攻めてれば……」


 みんなの元に戻ってきた優里亜は、魔法が解けたようにいつもの優里亜だった。


「優里亜ちゃん、悔しいのは分かるけどそんなことばを使っちゃダメだよ」


 絞ったような表情の優里亜の言葉に、奈美が顔をしかめ注意する。


「でもすごかった。俺もまだまだ優里亜には及ばないんだなって感じるほどだ」


 オサムがそう言うと、優里亜は夕日に照らされた顔をさらに真赤にして、

「そっ……、そうでしょう~?

 オサムもがんばってあたしに追いついてみなさい」

「なんだそれ」


 優里亜の偉そうな返しに、笑う一同。


 そこにサーフボードと表彰状、記念品を持ったソーニャが戻ってくる。


「パスドラヴリャーユっす、ソーニャちゃん」

「奈美感動しちゃったよ」

「いやぁ、まさかこんなにうまかったとは、私も知らなかったよ」

「まっ、今回は勝ちを譲ってあげるわ」


 皆の祝福の言葉に、子供のような笑みを返すソーニャ。珍しく目を逸らしながら、

「ありがとうございます……。

 ただ好きなことやってきただけなのに、こんなに褒められて、なんか照れる」


 今日までサーフィンをしていて、こんなにもたくさんのひとに褒められたことはなかった。友達はすごいと言ってくれていたが、ロシアではマイナーなスポーツになるサーフィンをすごいと言ってくれるひとはなかなかいない。


 自分のやってきたことが証明されたことは嬉しいが、急にこんなに褒められるとは思っておらず、ソーニャはただただ顔を赤くするしかなかった。


「そう謙遜することはないっすよ。あーしが言うのもなんですが、ソーニャちゃんは誇らしくするべきっすよ」

「うん、ありがとう、リー」


 理衣にはそんなソーニャの気持ちが少し分かった気がした。下手ではあるがソーニャには堂々としてほしいと伝える。

 その意図が通じたのか、ソーニャは顔を上げる。


「オサム、どうだった?」


 まだ顔の赤みが残ったままのソーニャと顔を合わせ、

「サーフィンをする理由、分かってきた。

 俺はサーフィンで異世界に行きたいんだと思う」


 これがサーフボードを選ぶときのソーニャの質問の答えだった。オサムはこの大会でそれを見つけることができたので、今はそれを堂々とソーニャに伝えられる。


「じゃあサーフィンのおもしろさ。説明できる?」


 もうひとつの質問にオサムは言葉を探すように少し考える。


 こうして大会が終わった今でも、言語化ができていないのだと自分で思い、

「言葉にするにはまだ時間はかかるかもしれない。

 でもちゃんと説明できるように、自分の言葉と波乗りで表現できるようにしたい。

 今度会うときまでにできてるか自信もないけど、できたときには見て、聞いてくれるか?

 俺の『見たもの』を」


 オサムはこれからもサーフィンを続けるという強い宣言をする。


 その解答を聞いた優里亜と奈美は嬉しそうな表情を浮かべ、静佳と理衣は面白くなってきたとワクワクした表情を浮かべ、

「うん、楽しみにしてるよ」


 ソーニャは満面の笑みで答える。

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