3-6 このカラダほしいなぁ……

 サーフボードを決めた数日後、ウェットスーツが届いたという連絡が来た。


 サーフィンをするに始めることはできないが、新しい物が手に入るワクワク感にテンションをあげて、オサムは奈美の店へとやってくる。


「いらっしゃいー、ウェットスーツ届いてるよ」


 奈美も新しい物を見たことでワクワク感を隠せずにいた。

 泳ぐ練習を始めたその疲れも少しはあったが、それを吹き飛ばすほど楽しみなことが今の奈美にはあった。


「ありがと、奈美ちゃん」

「試着して行ってよ。サイズとかに不備があると困るからさ」

「うん」


 確かにそうだなと思ってオサムが返事をすると、

「手伝ってあげるよ」


 というご機嫌な奈美の意外な言葉。一瞬返事に戸惑った。


「なんで?」

「いいからいいから」


 そう言われながらオサムは男子更衣室に押される。男女が逆だったら大変だが、こっちはいいのかと思いつつカーテンの中まで押される。


「ささっ、脱いで脱いで」

「奈美ちゃんこのまま見てるの?」

「下は大丈夫だと思うから、上を着るところを確認しないと!」


 そういうものなのか?

 でも上なら大丈夫だろうし、本人が脱げというのでオサムは仕方なくシャツを脱ぎ始める。


「このカラダほしいなぁ……」


 奈美の息は熱でもあるように若干荒く、声も熱暴走しているように興奮気味になっていた。

 オサムが手を伸ばしてシャツをあげようとしたところで、奈美の手が腹筋に触れた。


「わぁ!?」

 オサムが驚いて体のバランスを崩す。

「キャッ!?」


 カーテンに引っかかって、勢い良く倒れることはなかった。だが、オサムの顔の目の前には奈美の褐色肌があった。


 日に焼けたわけではなく、元からこの色だという奈美の肌。そんな健康的な色をした顔が少し日に焼けたように赤くなっているのが分かった。


「ごめんね。大丈夫?」

「う、うん……痛いところはないですよ?」


「ナ~ミ~、遊びにき……た?」


 お店にやってきたソーニャが見たのは、奈美の上に覆いかぶさるオサムの姿。倒れたところで更衣室のカーテンから出てしまい、上半身だけが見えている。さらに奈美の褐色の頬は夕日のように赤くなっている。


 それを息を呑みながら見たソーニャは自分がここにいちゃいけないと感じて、後ずさりする。


 当然オサムたちもそんなソーニャの姿を見ており、見られてはいけないものを見られている感覚に襲われ、オサムも目を丸くする。


「えっと、こういうとき日本語にはいい言葉がありますよね」

「ど、どんな?」

「ゴユックリー」

「ま、待てソーニャ! 誤解だ」

「ここは一階だよー!」


 オサムはシャツを直しながらソーニャを追いかける。


「いい筋肉だったなぁ」


 奈美は倒れたまま、さっき味わった感触と汗の匂いを思い出す。



 ソーニャは店の前の国道一三四号線をサーフボードを担ぎながら走っていた。


(サーフボードやウェットスーツの入ったバックを担ぎながらよく走れるな……)


 関心しながらもオサムは必死に追いかけるが、まだまだ追いつけそうにない。道を並走する線路の後ろから踏切が降りる音が聞こえてきた。


「待って! 俺と奈美ちゃんはそんなんじゃない!」


 並走するように西から江ノ電がやってきて、オサムの言葉をかき消した。


「どんななのー!?」


 オサムの言っていることがよく聞こえないうえに、よく分からないソーニャはそんな返事を叫びながらまだまだ走る。電車は斜め左に反れて行き、海沿いに並ぶ飲食店からEDMやジャズが聞こえてくる。


「トラブっただけだ! やましいことはしてない!」

「トラブったってどういう意味ー!?」

「トラブルってこと! 英語英語ー!」


 オサムの言いたいことがようやく分かってきたようで、ソーニャはの音にあわせて踏切で止まるように走るスピードを落とし始める。


「俺はお客さん、奈美ちゃんは店員さん!

 さっきのは俺が足を滑らせてコケたんだ!」


「そう……なんだ?」


 ソーニャが足を止めたのは音楽のプロモーションビデオや、アニメによく使われる七里ヶ浜の坂の前だった。電車が通り過ぎ、オサムもようやくソーニャの前にたどり着いた。ソーニャは息ひとつ切らしていない。


「そうそう、やましいことなんてないし」


 対してオサムは息を荒くしていた。自分の体力がソーニャに劣っていたのか、自分のペースで走れなかったからなのか、どちらにしてもソーニャには驚かされてばかりだった。


「ならどうしてオサムはワタシを追いかけてきたの?

 説明するなら電話でもメールでもいいのに」


 坂を登る潮風のような涼しい声でソーニャはオサムに問いかけ、首をかしげる。


「それは……」


 オサムは、海沿いにある潰れてしまったファーストフード店の方に目をそらした。


 逃げ出すソーニャを反射的に追いかけて来たが、冷静に考えればソーニャの言うとおりだ。あとで弁解もできる。自分は一体なんでこんなにもソーニャに誤解されたくなかったと感じたのだろうか。


 ソーニャが湘南の碧い海のような目で自分を見ている。


「えっと、静佳ねぇの耳に入るとめんどくさいから……」


 一番合理的でソーニャもオサム自身も納得する理由が多分これだろうと思い、碧い目を見ずに曖昧な返事をした。


「めんどくさい? なんで?」

「えっと、どういう風に解釈されるか分からないし……そしたらソーニャもびっくりしちゃうでしょ?」

「そうかな?」


 日本語の難しさを実感しているソーニャも、オサムの取り留めのない説明に首を傾げる。


「うん……多分。ソーニャに誤解されたくなかったってこと、だと思う」


 どう誤解をされたくなかったのかオサム自身もよく分かってないが、多分そうなのだろうと思い始める。


「分かった。ごめんね、オサム」

「いやいや、こっちこそすまない」


 ふたりで回れ右をして、海岸沿いを歩きだす。別に喧嘩したわけでもないのに、くだらない言い合いをしてから仲直りをしたような、オサムはそんな感覚がした。


 いつもは多くの車で渋滞しているこの道も、今日は車通りが少なく波の音がよく聞こえた。海風も同様に車に散らされることなく、オサムたちの熱くなった体に優しく当たる。

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