第四章 引きこもりの水着回

4-1 ロングボードは大きいなー

「あっ、オサムお兄さん待ってたよ!」


 オサムはボードの到着の連絡を受け、今日の昼過ぎに早速『エアシップ』へ。


 店に入るなり、カウンターにはカタログでしか見たことがなかったボードが置いてあるのが目に留まる。


「おー、ロングボードは大きいなー」


 なぜかオサムよりはしゃいでいるソーニャがそう言いながら、専用のケースに入ったロングボードに駆け寄る。ソーニャが自分のボードを横に置くとその大きさがよく分かる。


「確かに改めて見ると大きいなぁ。ソーニャやが使ってるのでも、最初は大きいと思ったけど、それ以上だからなぁ」


 ショートボードとロングボードの大きさの差はだいたい五十センチほどあると、調べているときに分かった。

 これだけ違うと動き方にもかなり違いがあるのもうなずける。


「その分快適なサーフィンは保証するよ」

 奈美はまるで自分が作ったかのように自慢気に言った。


「そうだ、オサムお兄さんはどうやってボード持ち運ぶ?」

「自転車に乗せられるようにしておいた。湘南だとこういうの多かったし」


 サーフボード決めたその日に、自転車にサーフボードを乗せられるパーツを通販で頼んだ。ロングボードは電車に乗せられないし、これをオサムの家から担いで歩くのは結構疲れる。今日乗ってきた自転車にすでに付いていて、帰りはそこに乗せて帰れる。


 社会人になっても、サーフィンしているならを車を買うことも考えたほうがいいなと、オサムは思っている。それならソーニャのボードも乗せることができるし、他のサーフポイントに行くことだって可能だ。


 ぼーっと自分のサーフボードを見つめながらソーニャとの淡い未来のことを考えていると、

「それじゃ早速練習しようか!」

「そ、そうだね、うん」


 ソーニャの声でハッと我に返る。なんでまだ波に乗れてないのに、そんな先のことを考えていたんだろうと、自分で不思議に思った。

「がんばってね~」

 そう言って奈美はカウンター裏へ。


「奈美は来ないの?」

「奈美はお店番あるからね」

「でも……」

 仲間はずれにして気が引けているような顔のソーニャに、奈美は笑って、

「奈美は寂しくないよ。お休みの日と、あと夏が終わったら優里亜ちゃんと一緒に練習するよ。だから気にしないでいってらっしゃい」



 着替えたオサムとソーニャは早速海へ。今日も日差しが強く、砂の上はビーチサンダル越しでも熱いと感じる。


 そんな暑さと熱さに参ってすぐにでも海に入りたいところだが、しっかりと準備運動をした。これを怠って海に入るのは危ないのはふたりもよく知っていた。


「まずは砂の上で、乗り方からやってみよう!」


 いきなり海にボードを浮かべて波に乗れるということはない。乗せてもバランスを崩さない砂の上で、乗り方の基礎から始める。


「そのテイクオフのやり方なんだけど、ネットで動画とか見て練習したぞ」


 まだなにも教えていないのに『テイクオフ』という言葉が出てきた。ソーニャは関心したように、または驚いたように口を丸くする。


 オサムはボードに乗らなくても、動きの確認や動作練習を地上でやるのは実は効果があるという情報をネットで見た。それから一日のトレーニングメニューに、ボードを波に乗せその上に立つまでのテイクオフの手順を加えた。


 毎日すれば体が覚えるだろうと思い、折った毛布をサーフボードに見立てて、ベッドの上で動作を繰り返している。


「おー、オサム勉強家ー!」

「そうでもないけどな」


 頭で覚えるのが嫌だから体に覚えてもらおうというのが、オサムのスポーツの考え方だった。うまくいかないときには理屈で考える。


 なので本人は頭を使っているという感覚はない。


「じゃあ、スープに乗ってみる?」


 波が低く、泡立って白くなった箇所のことをサーフィンの用語でそう呼ぶ。


「うん。うまく行かなかったら砂の上で動作を見直すって感じでお願いするよ」

「大丈夫、オサムならできるよ!」


 なにを根拠に言っているのか分からないが、ソーニャがそう言うならやってみようとボードを海に浮かべる。まだ足がつく場所なので、ボードに乗らず押して行く。


「そこから乗ってみて」


 波が引いたところでボードに乗り、後ろを見ながら波が来るのを待つ。


 波がこちらに来たところで、両手で漕いで波と一緒に進んでいく。泳がなくても進むと思ったところで、漕ぐのをやめる。


「ここで、ボードに乗って――えええ」


 練習した動作を口にしながらボードに乗ろうとするが、そこでバランスを崩しボードがひっくり返る。視界は異世界に転生する直前のシーンのように、上下に歪む。


「オサムー、大丈夫?」


 浅いところなので波に飲まれて溺れることはない。その代わり砂に尻もちをつくことになり、ウェットスーツは砂まみれ。


「うんー、練習してもやっぱり一発じゃうまくいかないなぁ」

「でも、ボードに乗る前まではいい感じだったよ!

 あとは乗るところを頑張ろう!」

 ソーニャに励まされ、波の間に漂うボードを拾いに行く。



 それからオサムは何度もボードをひっくり返した。


 そこで一旦海での練習をやめて、砂の上で動作を再確認。久しぶりにうまくいかないことに当たり、仕方なく原因を考えることにする。


「ポジショニングがうまくいってるんだけど、うまくボードに立てないんだよなぁ」


 家で練習していた動きをゆっくりと実践し、ソーニャに見てもらう。ソーニャにも手本を見せてもらい、見よう見まねでやってみるが、違いが分からない。


「どうやっても斜め前にバランスを崩すんだよね」


 失敗したとき、そのほとんどが斜め前へに滑るように落ちているのに気がついた。殆どがそうなるということは、そこに原因があるところまでは考えた。だがそこから先の理由がよく分からない。


「オサムはサーフィンしてるとき、どこ見てる?」

「ボードの位置を調整するためにボードを見てるけど」


 最初のうちは周りを確認する余裕はない。ボードがちゃんと波に乗っているか、動作がちゃんと出来ているか見ている。


「前を見て。下を向くと波に飲まれちゃう」

「前を見たらボードとか確認できなくないか?」


「大丈夫、オサムの動きは初めてのひとに見えないほどできてる。

 でもうつむくのはよくない。波はうつむいたひとの足をすくうよ。

 だから自信を持って前を見て」


 オサムは以前、静佳に似たようなことを言われた気がする。


 自分の文章に自信がなかったオサムは、静佳にそれを伝えた。そのときにも『できてる。だから自信を持て』と言われた。自分のやっていることに間違いがないことが分かれば、あとは進むのみだと知った経験。


「分かった。やってみる」


 それと同じだった。

 ボードを持って、再び海へ。

 ポジショニングや動作はさっきと同じ。

 違うのは目線の先。


 ソーニャが見守ってる。

 波に押されて動く力はまるで魔法。近くには金髪のヒロイン。普段見てる海もまるで異世界の大海原。気分は異世界ファンタジーだ。


(おっ、これはいけ――)


 いけると思ってボードを見たその瞬間、ボードの後ろが上がりオサムは前にひっくり返る。柔道で相手に投げられたような感覚で浅い波の中に落ちる。

 居心地のいい異世界から再びリアルの世界へ戻された気分で、上にある太陽の眩しさに目を細める。


「惜しかったよ」

「ソーニャの言うこと分かってきた。確かに目線が下だと投げられる」


 そう言いながらオサムは、うつむいていた頃の自分を思い出す感じがした。


「人生もサーフィンも前をむくことが大事だよ」

 オサムも前を向くようになってから、自分の人生がうまく行き始めた。


「深いね」

 ソーニャがどういう人生を送ってきたのかは分からないが、彼女の言っていることはとても正しい。そう思ったオサムは、考えと同じくらい深く頷いた。


「深い? まだ浅いところでしか練習してないよ?」

「海の深さじゃなくて、意味がたくさんありそうってこと」


 サーフィンは人生の縮図というのは言い過ぎかもしれないが、こういうスポーツには人生の役に立つことが結構入っているのかもしれない。オサムはそんなことを思って、気をとりなすように勢い良く立ち上がる。


「そうだよ!

 サーフィンはいろんなことを教えてくれる。

 ワタシもいろんなこと教わった。だからオサムもたくさん知ってほしい」


「うん……それと、さっきうまくいきそうになった感覚、もう一度味わいたい」

 取り憑かれたようにオサムは再びボードを持ち波立つ海へ。



 着替えるためにお店に戻ってくると、奈美がわざわざ入り口で出迎えてくれた。


「オサムお兄さん! ソーニャちゃん! おつかれー」

「おっつかれー、ナミ!」

「お疲れ、奈美ちゃ――」

「オサムお兄さん! サーフィンはどう!?」

「すごいよオサムは。これならもうすぐ乗れるよ」


 挨拶を最後まで言わせてもらえず、ふたりは大波のようなハイテンションでオサムのサーフィンの話を始める。


「まだそうでもないよ。結局今日はスープにすら乗れなかったし」


 結局あの後もうまく乗ることはできなかった。どうしても足元を気にする癖があるみたいで、同じような落ち方を繰り返した。


 なので、ふたりが思っているほどうまくいったようにはオサムは思っておらず、ふたりの褒め言葉に心がむずがゆくなってくる。


「でもテイクオフの仕方は覚えたんだ~」

「オサムはすごいよ!

 サーフボードに初めて乗る今日まで家で練習してたんだって!」

「予習もしないで挑むのがいやだっただけだよ」


 ソーニャに一から十まで教えてもらうのは悪い気があるのと変な恥ずかしさがあった。時間はたくさんあるが、サーフィンができる時間は日中に限られる。なら日中はなるべくサーフボードに乗っていたいという考え方もあり、基礎練習を夜に入れただけだった。


「っていうか、何回『すごい』って言うんだ?」

 なのでここまで褒められるとオサムも不思議な気分になる。


「すごいと思った回数だけ言うよ!」

 ソーニャは本心ですごいと思ってくれているのだろうが、オサムとしては少し恥ずかしい。自分はそこまですごい人間ではないと思っているのでなおさらで、身を縮こませるように体を固くする。


「これは大会が楽しみだなぁ~」

「あまり期待しないでね」

 奈美の言葉にオサムは苦笑いで返した。

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