1-7 今ドアを開けると裸ないしは、下着のソーニャがいるわけか


 家に帰ってくるとオサムは、買った本をベッドのそばに置いてストレッチを始める。

 オサムの日課は筋トレだ。

 ストレッチのあと、腹筋、背筋、スクワット、腕立て伏せにダンベルなどをほぼ欠かさず毎日行っている。トレーニングを始めたのは中学の頃からで、今ではかなりの力と体力がある。静佳の家の引っ越しを手伝わされるほどだ。


 今日はその静佳の依頼で、いろいろ出歩いて疲れたのでランニングはパスにして、筋トレだけにしようと思っていた。トレーニングをしながら夕飯のことを考えないといけない。


 手を動かしながら考えよう。そうしてダンベルに手を伸ばしたとき、家のチャイムが鳴る。


 この時間にオサムの家に来そうなのは、優里亜か静佳か――今日その可能性がひとつ増えたことを思い出す。


「オサム! シャワー貸して?」


 やっぱりソーニャだった。サーフィンをしていたときと同じように、真夏の太陽のような明るい声でオサムに用件を言った。


「奈美ちゃんのお店で浴びたんじゃないのか?」

「浴びてたら途中で壊れちゃって……。

 そしたらシズカがオサムの家のを借りてこいって。

 あとシズカは急に仕事ができちゃったからって先に帰っちゃった」

「ホント忙しいなあのひと」


 静佳はライトノベルの編集部で仕事をしている。

 様々な作家を担当しており、オサムも過去には自分の小説を見てもらっていた。

 忙しい中、他の作家よりも時間を割いてもらっていたことを思い出す。


 そんな恩人の頼みには断りづらく、オサムはソーニャの持つサーフボードに目をそらしてどうするか考える。


「迷惑かけないから……お願いシマス」


 ソーニャの小動物が餌を求めているような表情も、断りづらい理由になった。


 馴れない日本語で、頑張って自分に頼みごとをしている可愛い女の子というのは、アニメや漫画の世界であっても胸打たれる。それを実際にされたら、男としては多少意地を張ってでも引き受けたほうが良い。


「さすがに泊まるってことはないよね」

「ちゃんと日本に居る間は静佳のお家に泊まるよ。鍵も預かってるから大丈夫」


 女の子とひとつ屋根の下という漫画やラノベにありがちな展開だが、実際にされると間違いなく難しい。それが現実にならないことを確認して、

「ほら、入って」

「ありがとー。サーフボードここに置いていい?」

「どうぞ」


 再びソーニャを家に入れる。本当に片付けをしておいてよかったと、内心ほっとするオサム。散らかってたら見栄もはれないしサーフボードもおけない。


「そうだ、あとシズカがご飯も一緒に食べてきなさいって」

「ほぼ丸投げかよ、あのひと」


 それでも静佳の依頼とあれば逆らえない。逆らったり反論しても強引に押し通される。反発できたのは小説の中身についてだけだった。


「お金、預かってる。オサムの分も」


 食事代を理由に断ろうとしたらこれである。電話しても反抗する武器はすでに取り上げられていた。オサムは大きなため息を着いて、

「……じゃあ、なにが食べたい?」

「えっと、シュヤケのタマゴをご飯に乗っけたやつ」


「イクラ?」

「えっと、イクラってロシア語でね、魚のタマゴって意味なの。

 だからちょっと、頭のなかクチャクチャになっちゃって、……多分それのこと」

「あ、そうなんだ」


 オサムはスマホを取り出し『イクラ』を検索ワードに入れる。


「これか?」


 イクラ丼の画像を見つけたのでソーニャに見せてみる。


「これこれ!」

「イクラがロシア語なら、ロシアでも食べられるんじゃないかこれ?」

「そんなことないよ。

 イクラもそうだけど、お刺身みたいに魚を生で食べる食文化、日本くらい。

 あとタコやイカもそう」


 そう語るソーニャの目はイクラの形になり、口もマグロの口みたいにパクパクしている。


「じゃあこれにしようか」

「お店知ってるの?」

「この辺は多いから、ちょっと調べれば見つかると思う」


 検索ワードに『鎌倉』を加えて店の場所を調べようとすると、

「じゃあシャワー浴びてるから、ショウサお願いします! シャワーここだね!」

「それを言うなら調査だろう?」


 オサムの指摘は、脱衣所に入ったソーニャには聞こえなかっただろうし、聞こえたところで状況は変わらない。


「はぁ~」


 ソーニャの言葉違いを指摘するのと同じ音量の大きなため息をつく。


「店の場所なんてすぐに調べられるって……」


 オサムのスマホに表示された地図アプリには、すでにお店までのルートは表示されていた。

 時間を持て余したので他にもあるか見てみることにしたオサムだったが、浴室から聞こえてくる音で手が止まった。


 浴室から聞こえてきたドアの音、ドアふたつ越しに聞こえるシャワーの音。


(俺の部屋に女の子が入ってシャワー浴びてるのか……)


 脱衣所のドアを見て思ったことを意識しだすと、他のことなんて進まない。


 ウェットスーツを来たソーニャの姿は体のラインが出ているので、脱いだらどんななのか想像に難くない。オサムの脳内の画像加工アプリは、ソーニャの裸体と家の浴室を簡単に合成する。そこにシャワーや湯気を加えて完成だ。


 むしろ湯気はいらない。漫画のシャワーシーンみたいな湯気は実際には起こりえないし、湯気ができたとしてもそれで大事なところは隠れたりしない。


 スマホの画面はすでに真っ暗。こちらのアプリは休止状態だ。


(やべぇ、なに想像してるんだ……)


 脳内の画像加工アプリが、太もものディティールを確認し始めたところでフリーズ。スマホの地図アプリに戻る。


「えっと、由比ガ浜大通りに一箇所と、駅から南に行ったところに一箇所か。あとは鎌倉だなぁ。電車乗るのはめんどくさいし、近場が空いてればいいんだけど」


 口に出さなくてもいいことをしゃべり、なるべく脳みそのリソースを減らすオサム。それでも一度加工した画像が脳内にチラつく。


(ソーニャのウェットスーツ、下はスパッツみたいなのだと思ってたけど、ビキニみたいなショートパンツだったんだよな……。太ももすっごい綺麗だったし、サーフィンしてるとスタイルも良くなるのか)

「――じゃなくて、鎌倉だとどこらへんだ?」


 脳内フォルダに収められたスクリーンショットから、スマホの地図アプリに再び戻る。だがスライドしすぎて鎌倉の街を通り過ぎ、山の上を表示する。


(胸も、ウェットスーツで締め付けてたけど、結構あるよなあれは。こればかりは鍛えたものじゃなくて天から、親から与えられたものだろうし)


 またスライド失敗、地図は西に行き過ぎており逗子の街を表示している。

 シャワーの音が止まった。ドアの音が、彼女がその扉の裏に居ることを教える。


(そいえば、鍵かける音がしなかったな)


 一応浴室には鍵がついている。一人暮らしだと当然使わないが、こういうときに使うものだろうとオサムは思っている。


 今はかかってない。


(今ドアを開けると裸ないしは、下着のソーニャがいるわけか)


 サーフィンをしていたときの白のショートパンツを思い出す。海外だとどういう下着の柄が流行っているのか分からないが、少なくともソーニャに白は似合うだろうなと思った。イメージ図が白に塗られる。女性は下着の上下を揃えると聞いたことがあるので、上も白だろうとこちらも塗りつぶし。これじゃ水着と変わらないかもしれないなと思ったところで、スマホが足元に落ちる。


 拾おうとかがんだところで脱衣所のドアが開く。見えたのは絵に描いたようなラインの白い太ももだった。


「シャワー、アリガトウ」


 オサムの視線からだと太ももが喋ったように見えた。


「あ、いや、よかった。うん」


 スマホを回収し慌ててその画面に戻るが、地図アプリはなぜか真っ青な相模湾を表示していた。

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