1-8 なんでソーニャはサーフィンをするんだ?

「はらっしょー」


 木製のテーブルの上に出てきたイクラ丼を見て、ソーニャはイクラと同じおいしそうな感嘆の声をあげる。オサムの前にも同じものが置かれる。


「その『はらしお』ってどういう意味?」

「『ハラショー』だよ。ロシア語で素晴らしいとか、そういう意味。英語にするとクールとかグレイトとかになるのかな?」


「そうなのか。箸は使える?」


 オサムは返事をしながらソーニャに割り箸を渡す。


「大丈夫だよ、アリガト」


 ソーニャはちょっと震えた手つきで割り箸を割る。綺麗に割れず、残念そうな顔。


「割り箸、うまく割れない……日本の食器難しい」

「別に綺麗に割れなくてもいいと思うけど、俺も下手だし」


 オサムが割った割り箸を見せると、こちらのほうが左右のバランスが悪い。


「礼儀とか作法とかはあくまでマナーで、別にできないと食べちゃいけないってことないし、あまり深く気にする必要はないんじゃないか?」

「あまり気にしなくていい?」

「ちゃんとご飯を美味しく食べれることが大切だと俺は思うぞ」


 学校の先生が道徳の授業で教えるような言い方でオサムは自分の考えを語る。

 ソーニャはそれを聞き、頭のなかでロシア語に変換してから飲み込むように何度も頷く。


「分かった。ソレデハ、イタダキマス」


 両手を武士みたいに合わせて、ソーニャは早速イクラを口に運ぶ。作法はぎこちないが、箸の扱いはとても綺麗だった。


「うん、とても美味しい」


 サーフィンをしているときと同じ眩しいソーニャの笑顔を見て、

(大丈夫そうだな)

 そう思ってオサムも目の前の丼に手を付ける。


「日本の旅行人気の理由よく分かる。お行儀よくて、食べ物もおいしい」

「やっぱり食べ物がおいしいって理由で来るひともいるの?」

「もちろん。あとは建物や風景が目的のひと多い。このお店も、とても日本らしくて好き」


 木造の食事屋はちょっと古くさいが、鎌倉の雰囲気には合っている。その程度にしかオサムは思ってなかった。ソーニャの目から見れば『日本らしさ』が詰まった建物なのかもしれないと考えながら、店内を再び見渡した。


「それと日本は季節がはっきりした国で、季節ごとに同じ場所でも変わる。そういうの人気」

「季節変わっても同じ場所は同じふうにしか見えないけど」

「そんなことないよ。季節が違うと葉っぱも空の色も違う、雨や雪が降る」

「そういうもんなのか」

「シュカシュトー、イロードゥリーがあるのが日本のいいところ」

「春夏秋冬、彩りがある?」

「……日本語むずかしいね」


 ソーニャはイクラのように目を点にしてポカーンとした顔で言う。


「ソーニャは結構できてるから。難しい言葉を無理に使おうとしなければ、おかしいって思うところはないよ」

「褒められた! ありがとう」


 特に褒めたつもりでオサムは言ったわけではなかったが、ソーニャには嬉しく聞こえたらしい。オサムのおかげでご飯がもっとおいしくなったという顔で、ご機嫌そうにイクラ丼を平らげていく。


「オサムもしゃべれてるよ」

「うん? 俺はロシア語しゃべれないぞ」


 そもそも喋った覚えもオサムにはない。イクラがロシア語由来の言葉だってことも、言われるまで知らなかったのだ。


「ううん。今のオサム、お昼の頃より仲良しのしゃべり方してくれてる。でも、もっと気軽にしてほしい。ユリアとお話してたみたいに」

「そりゃ、優里亜とはかれこれ長い付き合いだし」


 優里亜も気軽というよりなんの遠慮もなしにオサムにいろいろ言ってくる。静佳も、理衣もそうだ。それは長い時間交流をし続けていたからだと思っている。


「友達の時間は関係ないよ。ワタシはオサムと仲良くなりたいって思う」


 ソーニャだけじゃなくて、サーフショップで出会った奈美も結構フランクに話しかけてきたのを思い出す。ソーニャもそうだが、元からそういう子なんだろうと思っている。


 そういう子には時間は関係ないのだと、オサムは感じ、

「じゃあ、そんな仲良くなりたいソーニャに聞きたいことがあるんだけど?」

「うん!」

「なんでソーニャはサーフィンをするんだ?」


 サーフィンを始める理由として、真っ先に思いつくのは『モテたい』からじゃないかとオサムは勝手に考えている。バンドを始めるのもそう、男の欲求としてそういうのはあるだろうし、この湘南という地方ではそんな雰囲気もある。


 じゃあ女性はどうだろうか。

 優里亜がサーフィンを始めた理由も知らないし、女子が『男子にモテたいからサーフィンをする』というのもなんだが違和感がある。そういうひとも居ないわけではないのだろうが、優里亜もソーニャもそうは見えない。


 それにソーニャはわざわざロシアから日本まで来てサーフィンをしたい、と言ってここに来たのだ。それなりの理由があるのだろう。


 そんなオサムの質問に対しソーニャは、イクラ丼を食べているのとは違う笑顔で、

「波に乗って動いてるときって、自分の力じゃない力で動いてるんだよ。車でも飛行機でも船でもない、自然だけの力。

 でもスキーと違ってそれは重力でもない。

 波ってそういう不思議な力。

 その力を借りて動けることに感動したの。初めてスープ――小さな波に乗ったとき、心の底からハラショーって言ったの」


『ハラショー』ロシア語で素晴らしいという意味だと、さっき言っていたのを思い出す。日本人的に言うと『すげぇ』とか『やべぇ』とか俗っぽい言い方しか思いつかない。ロシア語だったらこういう良い感嘆詞があるのだとオサムはちょっとロシア語が面白そうだと思った。


「不思議な力を味わいたくて波に乗るってこと?」

「そうかも。ちょっといい言葉が浮かばいけど……。

 でもオサムは小説書いてたことあるでしょ?

 そんなオサムならもっといい言葉で言ってくれるかもしれない」


 小説家の語彙でいい言葉で表してほしい。そう言われてイクラ丼を口に運びながら考える。不思議といえばファンタジー、ファンタジーといえば異世界。


「異世界に行った気分になれるとか?」

「イセーカイ?」


「異世界。こことは違う世界ってこと。例えば、イギリスの魔法学園小説とか、吸血鬼少年がいる世界とかそんな感じ」

「そう! サーフィンしてるとまるで違う世界に居るみたいなの!」

「違う世界か……」


 オサムの頭の中での連想ゲームでそんな言葉がでてきたが、ソーニャはそれを肯定した。そのせいで、どんな世界なのかオサムも興味が湧いてくる。


「箒に乗ったり、ヴァンパイアの羽で空を飛んだりはしないけど、そんな不思議な力。そこから見る新しい景色。それがサーフィンなんだよ」


 食べ物がおいしいからか、それともサーフィンがハラショーだと心底思っているからなのか、ソーニャの碧色の目は見たことのない輝きを放っていた。オサムはそれを眩しいとすら思ったし、別世界の人間の言葉にすら聞こえた。


 小説を書いていたとき、自分も異世界に行ってみたいという気持ちを思い出す。

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