3-4 あたしとしても、ちゃんといいものに乗って欲しいからね

 ソーニャのアドバイスを聞いても、ロングボードということろまでしか決められなかったオサムは『エアシップ』まで行くことにした。お店には現物もあるし、奈美と話をしたら進展があるかもしれない。


 だがその前に、体力づくりのためにプールで泳いでからお店へ向かった。トレーニングというだけでなく、頭の回ることをする前に運動をすると回転が良くなるという理由もあってのスケジューリングだ。


 強い日差しの方向、店の上のテラスから女の子の声が聴こえる。店の横の自販機でジュースを買ってから、ハシゴを登る。


「やあ、おふたりとも」


 日傘の下、涼しそうなテラスのテーブルには優里亜と奈美がいた。


「あら、オサムお兄さんいらっしゃい」

「珍しいわね。ひとり?」

「プールの帰り。サーフィンは体力がいるって聞いてから鍛えてるんだ」

「へぇ~。随分やる気になってるじゃない」

「始めるからにはちゃんとやらりたいからな」


 そう言って椅子に座り、缶の蓋を開ける。音を聞いて奈美が思い出したように、

「オサムお兄さん、サーフボードの新しいカタログ来たんだけど見ます?」

「うん、よろしく」


「はいはーい」

 と奈美はサーフィンをするように元気にはしごを降りていく。オサムはただそれをなんとなく、ボーッとした表情で見ていた。


「なに見とれてるのよ」

 優里亜は不機嫌そうに目をしかめながら顔で言った。なぜそんな顔をしているのかと思いながらも、

「元気な子だなぁって思って」


「あっそ、あたしだって、暇さえあればサーフィンしにくるほど元気なんですけど」

「確かにな。ソーニャといい、静佳ねえさんといい、そういう活発な子が多いな」


「そうじゃなくて」

「そうじゃなくて? ああ、理衣さんもね」

「そうじゃなくて!」

「ああ、俺も元気だぞって?」


「…………、はぁ」


 なんでこの男はこんなにも鈍感なのか、優里亜は相模湾の底よりも深いため息をついた。


 言わないと気が付かないのか、気がついてるのに気がつかないふりをしているのか。前に買ったサーフィン小説の主人公もこんな感じだし、モテる男はこういう風に振る舞う流行でもあるのだろうか?


「持ってきたよー」

 優里亜が頭を抱えていると、奈美が駆け上ってくるように戻ってくる。


「うん、ありがと」

 オサムがカタログを受け取ると、早速冒頭の新作から目を通し始めた。


「ソーニャからは、自分がしたいサーフィンの方向性や目標を決めておいたほうがいいって言われたんだけど……。

 それを決めてもサーフボードが決まらなくてなぁ……」

「まずはどうするのさ?」

「お店にチラシがあった大会、それの初心者の部にでることを目標にしようかと」


 オサムの最初の目標を聞いた優里亜は腕を組んで、

「方向性ね……残念ながらあたしもその発言に賛成ね」


 どう残念なのかオサムには分からないが、ソーニャの言っていることは優里亜も同意見らしく、本当に残念そうな声で優里亜は言う。


「ほらね、奈美の言ったとおりでしょ?」

 と自慢気な奈美は鼻を鳴らしながら決め顔で言った。


「さすがだね」

「へへっ」

 褒めてみると舌を出して笑う。


 そのあとオサムが奈美から目を離したとき、奈美がちょっとさびしそうな顔でジュースに口をつけていたのを優里亜は見た。


「話をしたらソーニャも出るって言うし――」

「ソーニャも大会出るって? あたしも出る!」


 優里亜は食い気味に話に乗る。そんな突風のような声に、オサムにも奈美にも対抗意識を燃やしてるのが分かる。


「あらあら」

「なによその顔」

「なんでも~」


 どうして対抗意識を燃やしてるのか奈美はよく分かっているので、ニヤニヤしながら優里亜を見ている。優里亜も話が変わったので結果オーライだった。


「それで、その大会のサーフボードはどうするのさ? 先にウェットスーツが届くんでしょ? 普通逆じゃない?」


 スポーツに必要な道具などを揃えるのにまずは、ラケットやシューズなどから入るのが一般的だと優里亜は思っている。オサムも最初はそう思っていたが、

「カタログを眺めてるとどうしたらいいか悩んじゃって」


「そんな、女の子の服選びじゃないんだから」

 はっきりしなさいよ、という呆れた顔で優里亜は言う。以前に水着を選ぶのにとても悩んでいたことは棚に上げた。


「優里亜ちゃん、男の子はこういうのにこだわるのよ」

「そうなの?」

「そうなの」

 奈美のオウム返しでオサムも肯定。


 自身が凝り性というのもあるし、長く使うものになりそうだから、ちゃんと選びたいと考えている。


「それにこういうのは考えてるときが一番楽しいから、悩むだけ悩ませてくれよ」

「男って分からないわねぇ」


 不思議な顔をして優里亜がつぶやくが、奈美にはなんとなくオサムの気持ちが分かった。


 新しい世界に飛び込む前の高揚感、プレゼントを買ってもらうときの感覚に近い。あの楽しそうなサーフィンができると思うとワクワクしてしょうがないのかもしれない。


「ファンボードとかロングボードにするっていうのは決めたんですよね? 最初は安定性重視って考えです?」


「うん。このふたつは初心者向けって聞いたし、奈美ちゃんはどんなの使ってる?」


「えっと、な、奈美は……」

 奈美の目が風に煽られるブイのように泳ぎ始めた。なにか変な質問をしたかと思ったが、オサムには思い当たるフシがない。


「奈美のお父さんはロングボードよね。まさに湘南の大人ってやつ」

「そ、そうそう。奈美もああいうの憧れるなぁ~」

「おっきな男におっきなボードは見栄えいいものね」

「同じことソーニャも言ってた」


 オサムのコメントを聞いて、優里亜が苦虫を噛んだような顔になる。


「そっか、やっぱりふたりも大きいのをすすめるか……」


 優里亜の表情は気にもせず、オサムはカタログに目線をやった。


 オサムの視線がカタログへと行っている間に、奈美は優里亜にウインク。ごめん助かった、と。優里亜はどういたしましてと頷く。


「ソーニャの使ってるのってこれだよな?」


 オサムはカタログの中から見覚えのあるロボットのロゴと、カラーリングを見つける。


「そうね。あたしとしてはよくこんな薄いショートボードに乗れるなぁって」

「薄い?」


「ボードの幅と厚みが大きいほど水に浮きやすいわ。

 でもひとによっては重いとか動かしにくいって言うと思う。

 だから慣れたひとは軽くて細いボードを選ぶのよね。

 あたしは細さはほしいけど、厚みはあったほうがいいわ」


「あと、大きい方がスピードがでるかも。

 男のひとはスピードあったほうが良いよね?」


 優里亜と奈美が、聞いてないこともいろいろ教えてくれる。やっぱり好きなんだろうなぁとオサムは思いながら、それぞれの意見や知識に頷く。


「スピードでると怖くない? ひととぶつかったりとか」


「波に乗るときは、みんな気をつけてるから大丈夫だと思うよ。

 ボードが大きいと、小さい波にも乗りやすいし、スピードよりもそういうところがオススメかも。

 あっ、波っていうのは奈美のことじゃないよ」

 と奈美が顔を赤くして補足する。


 奈美に乗るとはどういう状況なのか。オサムの脳内の画像処理ソフトが勝手に画像の加工を始める。もちろん女の子の上にサーフィンをするように乗るのではなく、ふたりの体が重なる状況のことを指す。

 奈美もオサムの体が上に来たとき、自分はたまらなくなるだろうと想像を始めてしまう。


「なによふたりして顔赤くして。いやらしい」

 ふたりして妄想モードに入ってしまったのを、優里亜はジト目で睨んでいる。


「ごめんごめん、優里亜ちゃんもいい名前だよ」

「フォローになってないわよ」


「オサムお兄さんもそう思うよね?」

「ああ、日本人でも外国人でも通じる名前って俺は好きだぞ」

「なっ……そんなことを聞いてるんじゃないの!」


 ツンモードに入った優里亜を見て、奈美はやれやれという顔をする。


「話それちゃったね。つまり、ロングボードで厚さや幅のある感じがいいかな」

「誰がそらしたと思ってるのよ」


 奈美は優里亜のツッコミをスルーして、ファッション雑誌を見ているような目でカタログのページを捲る。


「これとかどう?

 このシリーズは初心者から上級者まで、幅広く使えるのをコンセプトに作ってるんだよ?

 これなら飽きずにずっと乗れると思うんだ」


 優里亜もカタログを覗いて、さっきまでの機嫌を治したように、

「いいんじゃないかしら。将来的にもずっと乗れると思うわよ」


「優里亜からもお墨付きが貰えるのか……んじゃこれにしようかな」

「なによその理由」

「だって、いつもだったら優里亜反対しそうだし」


 これまでも優里亜にはいろいろ反対された。買おうと思っていた本、不良への対処法、大学の学科、小説を書く筆を置くこと、サーフィンなどなど。賛成されたことを思い出せないオサムはそっけなく言った。


「こっ、これは奈美のチョイスっていうのもあるし……。

 あたしとしても、ちゃんといいものに乗って欲しいからね」


 ぷいっと顔を七里ヶ浜の海に向ける。自身としては結構素直になったつもりなのに、そう言われるのは心外という気分だ。


「じゃあ、これに決定! 手続きあるから飲み終わったら下に来てね」

「うん、頼むね」


 そう返事をしたオサムを、奈美は羨ましそうな目で見てしまった。すぐにそれを隠すように事務所に早足で戻った。

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