豪結ー3

 帰宅はいつも通り18時に、自宅に到着した。商店街に寄ったのはまあいいとして、途中で松島に絡まれたのが予定外だった。

「ただいま」

「おかえり」

「おかえりなさーい」

 鍵を開けて中に入ると、普段通りのクラエスの出迎えの言葉と共に、聞きなれない声が聞こえて来た。

 誰が来ているのだろうか、と思いながらキッチンを抜けて部屋に入ると、食事をする丸テーブルに置かれた大きな鍋を囲むように、クラエスの他にもう一人、一階に住む如月さんが居た。

「突然、お邪魔しちゃってごめんなさい。今日、実家からお野菜がたくさん届いて、獅童さんのところに持ってきたら、クラエスさんが『夕飯どうですか?』って言ってくれて」

「ユキトにメッセージを送ったはずだが、その様子だと届いていなかったみたいだな……」

 「失敗してしまったか」とうな垂れるクラエスを見てから、ポケットから携帯を取り出して画面を見ると、確かにメッセージが来ていた。内容は、『一階のキサラギが野菜をくれたから、今日は鍋にしよう』というものだった。

「悪い、届いてたわ」

「そっ、そうか! それは良かった。買って来た物は、明日に回そう。今日はキサラギが作ってくれたが、明日はその材料を使って私が作ろう。あっ、もちろん、この鍋を作るのに私も手伝ったぞ」

 エヘン、と胸を張って何かを誇るクラエス。それに合わせるように、如月さんも鍋を前にして、えへん、と胸を張った。

「すみません。ありがとうございます、食事の用意をしてもらっちゃって」

「ううん、ぜんぜん! ご相伴に与らせてもらっちゃって、逆に申し訳ないくらいよ。それに、料理は勝手にやったことだから気にしないで。それより、獅童さんは人が作った料理を食べることができる?」

「えっ? どういうことですか?」

「ごめんね、変なことを聞いて。忘れてください」

 どういう意味か分からなかったが、如月さんとしても特に深い意味は無かったのか、ペコリ、と座ったまま頭を下げた。

 鍋は野菜たっぷりの味噌ベース味だそうで、俺が帰宅してから火を入れ始めたからもう少し煮えるまで時間がかかるらしい。その間に、買って来た食材を冷蔵庫にしまうのだが――。

「うおっ、お酒がいっぱい……」

 冷蔵庫を開けると、普段なら絶対に見ることがない缶ビールが入っていた。俺は未成年だから飲まないし、クラエスは飲めるそうだが節約のために我慢してもらっている。本人は、飲んでも飲まないでもどちらでも良い、というスタンスだ。

 だから、これを買って持って来たのは如月さんということになる。500mlの缶が10本と、なかなかの酒豪のようだ。

「ごめんなさい。みんな、どれくらい飲むか分からなかったから、適当に買ってきちゃった」

 いや違った。1人で飲むんじゃなくて、俺たちにも飲ませるらしい。

「クラエスはともかく、俺は未成年ですよ」

「家で、保護者が許可した場合なら大丈夫よ」

 それは確か、正月やお祝いといった無礼講な席での話ではなかっただろうか。でも、こんな誰かに見られるわけでもない家の中で、辞退するのも悪いので少しくらいは付き合うのもいいかもしれない。

 そういえば、父さんも俺が20歳になって、大っぴらに酒が飲めるのを楽しみにしていたな。

 上司の子供が成人し、一緒に居酒屋へ行って酒が飲めるようになった、という話を父さんは良くしていた。もう叶わなくなってしまったが。

「クラエスさんは、飲んでも大丈夫な気がしていたわ」

「そんなに、酒好きに見えるか?」

「何となくですよ、何となく」

 それほど表情が豊かとはいえないクラエスだが、酒好きな感じが顔に出過ぎていると思ったのか、顔をマッサージして愉快な顔になってしまっている。

「つまみとか、どうしますか?」

「あっ、それもね、だいじょうぶ。買ってあるから、一緒に食べましょ」

 俺の脇から、にょきっ、と顔を出して「失礼します」と一言いれてから、如月さんは冷蔵庫の中に手を突っ込んだ。そして出てきたのは、いくつかのタッパーに詰め込まれた料理たちだ。

「獅童さんも食べられるように、味が濃い目に作ったの。ほら、獅童さんが行っている学校って体をよく動かすじゃない? だから、そこを考えて――」

 如月さんの話は、途中からあまり聞いていなかった。今日、学校で言われたことや放課後に2人と話したことがフラッシュバックしてしまい、情けないことに気分が下がってしまった。

「――って、あれ? 私、なんかダメなこと言っちゃったかなぁ~……?」

 如月は手に持つタッパーと冷蔵庫、そして俺を交互に見ると、バッ、と俺の手を掴んで半ば無理矢理テーブルへと引っ張っていった。

「おわっ、と――」

「はい、獅童さん」

 渡されたのは、いつもの部屋着だ。簡単に丸めて置いてあるだけだったのが、渡された物は綺麗に折りたたまれていたので、如月さんが畳んだんだろう。

「色々、勝手に触っちゃったけど、この服と食べる前にちょっとした片付けと、掃除をしただけだから。ちゃんとクラエスさんにも監督してもらって」

 知らない人ならまだしも、色々とお世話になっている如月さんであれば、多少、部屋の物に触られたとしても気にならない。それに、監督していたのは本当らしく、クラエスは如月さんの言葉に大仰に頷いた。

「嫌なことがあったら、美味しい物をたくさん食べて、飲んで、お風呂入って、ゴロンするの。そうすれば、明日には考えがまとまって、また新しく動き出せるから」

 「ねっ?」と、俺の態度から何かを察した如月さんは、俺を元気づける笑顔で言った。

 押し付けられるように渡された部屋着に着替えるため洗面台へ行き、大人しく着替える。着替え終わった辺りで、冷蔵庫からビールを取り出し忘れた如月さんが扉を開けても良いか聞いてきたけど、俺が持って行くので座っておくように言った。

 冷蔵庫からビールを2本取り出し、いつの間にか冷凍庫で冷やされていた見たことがない――多分、如月さんが持って来た――グラスを3つ持って部屋に入った。

 鍋のフタが開いていたようで、部屋に入ると、ムワッ、とした独特の湿気が顔を包むと共に、自分の味付けではない香りが鼻孔をくすぐった。

 1人で食事をしていた時は気にならなかったが、3人で食べるとテーブルがとても小さい。しかも、鍋という、テーブルのど真ん中に鎮座する大きな物があるので、それがさらに圧迫感を増している。

 如月さんは見た目通りの女子力を発揮して、皿に具材の偏りが無いように満遍なく入れた物を渡してくれた。次に、クラエス、自分、とよそった後にビールをグラスに注いで回した。

「こういう時って、なんていえばいいのかな?」

「普通に乾杯でいいんじゃないでしょうか?」

「そう? じゃぁ、かんぱーい」

 軽くグラスをぶつけ合うと、如月さんは小さくゆっくりと飲み、クラエスは豪快に一気飲みをした。2人の反応を見てから俺も飲む。

 親戚の集まりやなんかで、大人たちが面白がって飲ませて来た。その時は美味しいとも思わなかったけど、今はどうだろうか。

「――――――うん、飲めなくはない」

「ほほぅ? 飲めないもんだとばかり思っていたが、そうでもないようだな」

 飲めると言った俺に、クラエスが、ニヤリ、と笑った。

 炭酸は上手いけど、口の奥に残る苦みにちょっと違和感を覚える。しかし、絶対にダメだ、という感じはしない。これはやっぱり、子供の舌だからだろうか。

「顔があまり変わらないから、飲めないって訳じゃないのね。だいじょうぶ、だいじょうぶ。初めは皆そうだから、何回かこうやって飲んだら、全く気にならなくなるわよ」

「如月さんは、お酒とかよく飲むんですか?」

「それがねー、あんまり飲まないのよぉ~。会社の人たちに誘われて飲むんだけど、それでも料理がメインね~」

「これだけ買ってきていたから、結構、飲むんだと思いました」

「クラエスさんが飲むって言っていたし、獅童さんがどれくらい飲むかも分からなかったから」

 むふふ、とグラスに口を付けながら、変な声を出して如月さんは笑う。妖艶とは程遠い仕草だが、その視線は優しく話しかけやすい雰囲気になっていた。

「このお鍋も、私が頑張って味付けした料理ですからね。どんどん、食べてください」

 「あっ、ここは獅童さんの家でしたね」と別に気にしなくても良いことを言い、如月さんは空になったクラエスのグラスと皿に、ビールと料理をお代わりした。



 鍋やタッパーに入った料理が半分ほどに減り、クラエスはいつも通りだが、俺や如月さんは顔が赤くなる程度には酔い始めた。特に、俺の方は慣れていないにも関わらず、如月さんと近いペースで飲んでいたから、だいぶ自分でも状態が分からなくなっている。

「あの、言いたくなかったら、もう全く拒絶していただいていいんですけど、今日、何かあったんですか?」

 意を決した、と言っていいほど、普段なら見ることが絶対にない如月さんの表情に気圧される。

 今の今まで楽しく飲み食いしていたところへの、突然のカウンターだったので少しのけぞってしまった。

「私も気になっていたんだ。キサラギも言ったように、言いたくなかったら無理にとはいわんが、言って何とかなるような物ならここで吐いた方が良い」

 何も詮索することなく、静かに飯を食っていたクラエスだったが、少しは気にしてくれていたようだ。如月さんが帰って、2人きりになったら聞こうとしていたのかもしれない。

 帰ってくるまでは――冷蔵庫の中身を如月さんと一緒に見ている時までは話すつもりは全くなかったが、アルコールが入っているからだろうか、フワフワとした思考では止める気は全く起きず、ツラツラと今日あったことをついつい吐いてしまった。

 クラエスはもちろん、如月さんも途中で口を挟むことなく聞き役に徹し、俺の思いのたけをぶちまけているのに対し、静かに受け止めてくれた。

 ハッキリと思い出せないけど、愚痴だけではなく口汚くクラスメイトや他クラスの生徒だけでなく、教師や学校に対しても罵ったような気がする。

 しかし、単純かもしれないが、吐いたら吐いたで少しだけ楽になった気がする。

 ぶちまけられたクラエスはいつも通りの変わらない表情だ。対して、如月さんは微笑む――というよりもっと清々しい感じがする笑顔になっていた。

「良かった」

「良かった?」

「だって、獅童さんはいつも平気そうな顔しているから、本当は人間じゃないんじゃないか、って思っていたの」

「確かに、平気な顔をしようと心がけていましたけど、さすがに人間じゃないってのは……」

 今まで普通に接していたのに、まさかの評価でちょっと心が凹んでしまった。

「だから、こうやって話してくれて――つまり、私を信用してくれたってことが凄く嬉しい」

 「ねっ、クラエスさん?」と如月が聞くと、話を振られると思っていなかったクラエスは、グラスに口をつけたまま、ビクリ、と肩を震わせた。

「あっ、あぁ、そうだな。ユキトはもっと私に頼ってくれてもいいんだぞ。学校ガッコウで一番、上になる手伝いを私だってしたい」

「えぇっ!? 何ですか、その話!? 獅童さんって、そんなに強かったんですか?」

「あぁ、そうだ。ユキトはな、やればできる子なんだ。まともな神器を渡しただけで、クラスのトップになって、しかも、学校ガッコウで一番、強い奴とも対等に渡り合えている。弱い、弱い、と馬鹿にしていた奴らの驚く顔といったら」

 子供の活躍を自慢する親のように、クラエスは自分のことのように胸を張って言った。

 話を聞かされている如月さんも、興が乗って来たように「ふんふん」と頷き、クラエスの話に聞き入っていた。

 Eクラスでは難なくトップに来られたけど、序列一位の堰神と渡り合えているか、と言ったら微妙だけどな。相手がこちらの土俵で戦ってくれたから、あんな風に戦えたって言うのもある。

 満腹とお酒が回って来たからか、妙に体がダルくなってきた。まぶたを上げ、目を開こうとしても上手く開かない。

 目の前で話す2人も、薄もやがかかるような映像になり始め、意識が落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る