転換ー9
ケーキを食べ終わって少し談笑をしていると、昼食前の健診が始まったので俺とクラエスは瞳の病室を出て屋上に来た。
「いい
「そうだな」
落下防止用のフェンスにもたれかかりながら、クラエスは言った。
検診のために入って来た医者を見るなり、クラエスは「頑張れよ」とまるで今から大手術を受ける患者に対していうように応援してからできた。
それに瞳は笑うことなく、笑顔で頷き返していた。俺よりも、よっぽど兄妹っぽいじゃないか。
「家にはいつ頃、帰れそうなんだ?」
「妹しだいだな。元気になれば、帰るのは問題ない」
精神的な不安定さを除けば、あとは病気が治りにくい、といった程度だ。病弱な子や、多少、疾患があっても外で生活している子供は多く居る。
まぁ、他には心無い奴らが妹にちょっかいを出してくるので、簡単に退院させることが出来ない、という理由もあった。
「寂しいな」
「慣れた、と言っているけど、実際はどうだろうな。心配でなるべくなら一緒に居られる、時間に融通が利く学校に行きたいが、せっかく
普通の高校に入っていれば、夜遅くまでクラスの奴らの洗濯をしなくて済むので、その時間を妹のお見舞いやバイトにつぎ込むことができるだろう。
しかし、それだと恒常的に妹に苦労をかけることになる。一般の学校を卒業するよりも、神代学園を卒業した方が入社先を選べるし給料も段違いだ。
将来を考えるなら、今ここで無理をしてでも神代学園を卒業して、将来に備えなければいけない。
「そうか……。上手くいかないものだな」
「あぁ、全くだ」
フェンスにもたれかかるクラエスを真似するように、俺もフェンスにもたれかかる。体重をかけられたフェンスは抗議するかのように、ギリシ、と鈍い音を立てた。
「おっ、フィッシャーだ」
「フィッシャー?」
「あそこを飛んでいる
空を見上げた俺の目に入ったのは、フィッシャーと呼ばれる神器を持つ神器遣いだった。
序列20位前後とあやふやなのは、15位以下は結構、入れ替わりが多いので覚えようにも覚えきれないからだ。
「休日も訓練とは精が出るな」
憎まれ口を叩いているが、あんな風に空を飛びまわれたらどれだけ楽しいか、と夢想する。
俺だって、神器遣いである父さんの背中を見て育って来た。父さんのことを掲載した雑誌は全部読んでいたし、テレビだって見ていた。
あんなことがあったせいで、俺は神器遣いとしてのレールから外れてしまい、今では魔力式神器すら満足な物を渡されない状況だ。
「イニージア……。そんな所に居たのか……」
俺と同じくフィッシャーを見ていたクラエスが、まるで古い友人に出会ったように、懐かしむような声で言った。
「何だ、それは?」
「あの空を飛んでいる奴だ。名前はイニージア。私の
その言葉を聞いた瞬間、心臓を締め付けられた。
そうだ。そうだった。竜核式神器の中身は、竜人の魂が原動力として入っている。空を飛んでいるフィッシャーだけではなく、神代学園には20人分のクラエスの家族や仲間が居る。
「そっ、そうだった……。すまない、クラエス。配慮が足りなかった」
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「大丈夫だ。ちょっと、休めば治る」
「本当に大丈夫か?」
一番、近くにあったベンチに腰掛けて、はぁ、と息を吐く。出てくる息は冷たく、自分が吐いた息なのか、と疑問に思えるほどだ。
「医者を呼んでこようか?」
「だから、大丈夫だ。ちょっと、自分の馬鹿さ加減にイラついているだけだ」
一番の被害者を目の前にして、俺は何を不幸自慢していたんだ。今ここで辛いのは、クラエスも同じはずだ。
父親の魂は戻って来ても、母親の魂は今後、いつ戻ってくるか分からない。それに、自分の叔母があんな風に
「私や、叔母のことを考えているんだったら、無駄だぞ?」
「なん……で?」
「叔母のイニージアは、あそこで楽しそうに飛んでいる。何かに縛られて無理矢理やらされている、といった感情はない。それどころか、子供を育てているような、守ろうとする淡い感情すら見えている」
「どういうことだ?」
「イニージアは、元々、破天荒な性格だ。ああやって、魂だけになっても空を飛べているのが楽しいんだろう。もちろん、私はイニージアが楽しくやっていれば、それでいい。それ以上は、私が考えるべきことじゃないからな」
あんな姿にされても、人間を恨まないどころか一緒に飛にことを楽しんでいる。それに、学生を――子供を育てていると?
それが本当なら、竜人とはどれほどお人よしなのか。
「あの人はあんな性格だから、こうやって上手く行っているのかもしれないけどな。バルゲイル辺りだと、絶対に人に使われまいとして、暴れまわってそう」
クラエスの言葉は、的を射ている。神代学園の上位20名が高出力型――竜核式神器を使用することを許されているが、成績上位者になったからといって竜核式神器をうまく使えるか、と言えばその限りではない。
それは相性という物が存在するからだ。
今までなぜ相性などという不確定要素があるのか不思議だったが、クラエスの話を聞けば、おのずと答えが見えてくる。人間と竜人の性格が合わなければ、共に道を歩めるわけがない。
そう考えると、上に居る連中が酷く醜い化け物のような気がしてきた。そう思ってしまう俺も、調子の良い化け物なのかもしれない。
「ユキトは、父親のようにはなりたいとは思わないのか?」
やっと収まった動悸を、なぜ再び荒ぶらせるというのか。竜核式神器は、竜人の魂を使っている。それを使うなんて、今の話を聞いていたらできない。
「いや、そんなことはない。俺は、今の学校を何とか卒業できればいい」
心の振れ幅を感づかれないように、なるべく平静を装ってクラエスと会話する。
「我々に遠慮しているんであれば、気にしなくていい。それに――」
「だから、大丈夫だって。正直な話、俺は父さんみたいに才能があるわけじゃない」
「なら一度、試してみるか?」
試すような、そんな声色でクラエスはある物を差し出して来た。それは、白金に輝く球体で、見ていると温かな、そっと触れてみたい気持ちになってくる。
「それは……?」
触れたい。抱きしめたくなるような衝動に駆られながらも、何とか踏みとどまり、この球体が何なのかクラエスに聞いた。
「これは、私の魂――竜核となる物だ」
「ッ!?」
ゾクリ、と魂が冷えた。目の前にある白金色の球体が、クラエスの魂だと!?
「そそっ、そんな風に取り出して大丈夫なのか?」
「何千年も昔から行われている、確立された方法だ。安全に決まっている」
「だからって……」
あれが潰されてたら、クラエスは死ぬのか?
こんなにも無造作に、贈り物を持つように空気に晒して大丈夫なんだろうか?
「私の魂を使って、神器遣いになればいい。言っておくが、私は竜人の姫であり、力も上位の存在だ。他の奴らなんかと比較にならないほどの――な」
小悪魔のような微笑みで俺を誘惑するクラエス。あの甘い囁きに――違う。俺は、父さんの背中を追い、目指すべき存在としていた。
クラエスの提案は、喉から手が出るほどの話だ。しかし、ここで手を出しては、俺の他の――竜人から魂だけを抜き取り、あんな道具に仕立て上げた奴らと同じになってしまう。
「ダメだ! それはできない! クラエスを殺してまで、俺は神器遣いになりたくない」
寸でのところで踏みとどまることができた。まだ俺は人間だ。
しかし、それでもクラエスは柔和に笑った。
「安心しろ。魂を竜核にしたとしても、すぐに死ぬわけではない」
「どういうことだ?」
「私の肉体と魂は、見えない尾でつながっている。長距離離れたり、神器の動力源となる竜核が潰されたりしなければ死ぬことはない」
「じゃあ、他の竜人も?」
「他の皆はダメだ。すでに肉体が滅んでいる。戻る場所がなければ、魂は天へ帰るだけだ」
一瞬、湧き上がった希望。しかし、そんな淡い希望は、クラエスによって打ち砕かれた。
なんて酷い世界だろうか。
「それにほら。私の魂に触れてみろ」
「えっ?」
「そっと、そっとだぞ……」
言っている意味が分からなかったが、クラエスに言われた通り魂にそっと触れる。
白金色の球体には質量といった物がないのか、触ってもふんわりと霧に触れているような感覚がするだけだ。
「あっ――」
――という間だ。白金色に輝くクラエスの魂に触れた瞬間、クラエスの意識が、竜人たちとの記憶が一気に脳内に入り込み、そして去っていく。
走馬燈のような一瞬の記憶は鮮烈ではなく、ぼやけた古い霞がかった物だったが、見る者の心を温かくするものだった。
「今はここまでだ」
「――ッ!?」
周囲を囲っていた竜人たちは消え去り、一瞬で現実に戻され引き戻された。そこにはクラエスが居て、魂は自分の体に戻したのか無くなっていた。
「思った通り、私とユキトの相性は良いみたいだ」
「良い……?」
クラエスは自分の魂を胸に再び入れ、俺の頬をそっと撫でる。そして離したその手は、少し濡れていた。
何事か、と自分の手で顔を触ると、いつの間に出ていたのか涙がとめどなくあふれ出していた。
「ちょっと無理矢理だったが、心を通わさせてもらった。先も言った通り、私たちの相性は良いようだ」
「どういうことだよ?」
「そのままの意味だ。私の魂をユキトの竜核として使えば、他の奴らとは比較にならないほど強くなれる。それに――」
クラエスは言葉を切ると、無防備にその話を聞いていた俺を抱きしめた。
「ユキトたちを守らせてくれ。ナリノリとの約束だけじゃなく、私がユキトたちを守りたいと思ったんだ」
その言葉に嘘や偽り、誇張といった混ぜ物が全く入っていない、クラエスの心からの言葉だった。
「昨日、会ったばかりの私が言って信じてもらえないかもしれないが、私は何があってもユキトとヒトミを裏切らない。だから、信じて欲しい」
父さんと知り合いで、遺書と遺骨を持って来たクラエスだが、会ったのは昨日だ。
ずっと前から知り合いだったような気がするけど、それは気のせいだ。
しかし、クラエスの言葉は気のせいではない。本当の、心からの声だと分かる。
「――未熟で情けない奴だけど、クラエスに甘えても良いか?」
「あぁ。存分に甘えろ」
恐る恐る、クラエスの背中に手を回し軽く抱きしめた。だが、それでは足りない、というように、クラエスはさらに強い力で俺を強く抱きしめた。
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